「俺、……いや、何でもない」
「なに、言って?」
「何でもないから」
逃げるように立ち上がって、朝くんは部屋を出ようとする。その背中に、私は言い放った。
「なんで、そんなに逃げようとするんですか?」
私の声は、想像以上に部屋に響いた。
笑わずに、私はただ真剣だった。そのせいか変な敬語になっているが、そんなことは心の底からどうでもいい。
彼は足を止めたが、こちらを振り返らない。そのまま下を向いて、黙り込む。
ひるは私から離れていき、朝くんの方へ向かった。
「逃げないで、ちゃんと、私に言って」
尻尾を振りながら、ひるは、主人である朝くんの足のところへ到達し、上の方を見つめていた。
振り返る朝くんの目に、私は捉えられる。
優しい茶色い目なはずなのに、今は違った。
ただ、私を恨むような、目。そんな目で、私は初めて彼に捉えられた。
「私も、誤魔化して笑いながら逃げてる。朝くんは、死ぬ以外は逃げてもいいって言ってくれた。…でも、でもやっぱり、待ちたくないから。ただのワガママだけど、逃げずに、言って」
わかっている。朝くんが、私に言いたくないことがあるくらい。
それでも、私は待ちたくなかった。ただの勝手なワガママでしかないが、許してほしい。
何年も時が過ぎて眠りから目覚め、互いに、20以上の大人になっていたとしたら。
私は、きっとこの今を後悔する。
やっぱり、待てない。後悔なんて感情があると思うのは、朝くんだからだった…


