また別のある日、ビンボー村に機械人間になりたいという夢を持つ親子がいた。
裕太郎()奈津子(母親)だ。この二人は、機械人間になるため、機械人間になれる施設に向かっていた。機械人間になれる施設「オートマーチラボ」に行く途中目に光がないまるで操られているかのように更新し機械的に作業をこなす人々を見た。親子にとっては操られるのが当たり前で、むしろ自分たちのほうがおかしいと思っていた。
多くの人々が操られ、命令されたことをやっている中で、自分たちだけが謎の自由を与えられているのが、貧乏人たちの道徳心に深く突き刺さり、早く自分たちもそうなれるように、世界が平等であるために願っていた。
しかし、そんなことは叶うはずがなく、一部の裕福な人が機械人間に、貧乏人は相変わらず命を狙われながら生活するのが続いており、親子は必死にお金を貯め、機械人間になろうとしていた。母子は、「これならもういっそ、全員が普通の人間だったらいいのに」と思うことは一切なく、「自分たちが悪い」その一点絞りで物事を考えていた。
しかし、これも人工知能の策略だったのだ。人工知能は、実は貧乏人の頭も生まれた直後にいじっていたのだ。医者はすべて人工知能搭載のロボットだったので、最高官位にいる、すべての人工知能の頭脳を集めた、マザーコンピュータの考える通りの世界を作る命令を聞き入れ、守っていた。
これが、貧乏人の誰しもが「機械人間になりたい」と考える、それしか考えられない仕組みだった。つまり、この世で機械人間でない人など一人も居ないのだ。
そう、この世界では、全ての人間が機械人間だったのだ。