◯ヒーロー・栢のベッドルーム(夜)
キングサイズのベッドがあり、内装も華やかな栢の部屋。
藺月栢《吸血鬼、年齢不詳、見た目は17∼18歳、黒髪、186センチ》
真っ暗な部屋を月明かりが照らす。
窓枠に腰掛けるヒロイン・椿。
雪平椿《16歳、156センチ、セミロングの茶髪》
無表情の栢が椿の頭を撫でる。
そっと瞼を閉じる椿。
椿(吸血鬼なんて大嫌いだったのに)
栢が椿の首筋に噛みつこうとする。
椿(心も体も全部。奪われるならあなたがいい──)
*
─椿が生まれた日の話─
生まれてきたばかりの椿が泣いてるところにモノローグ。
20☓☓年、11月7日。
元気な産声をあげて生まれてきたその赤子は両親に“椿”と名付けられた。
◯セレブ御用達の病院・個室(昼)
病院で用意された新生児用のウェアに身を包む椿はベッドの上で母の胸に抱かれながら、すやすやと眠っている。
早苗(椿の母)「これで雪平家は安泰ね。あなた」
早苗《22歳。艶のある黒髪。ロングヘア》
ベッドの傍らで椅子に腰掛けていた敏之(椿の父)に話しかける早苗。
敏之「ああ、よくやった。同じ雪平の血でも女の方が断然、希少価値が高い」
敏之《25歳。黒髪。メガネ》
椿を見ながら満足げに微笑む敏之。
ベッドに身を乗り出し、生まれたばかりの椿を不思議そうな目で見つめる姉の藍。
藍《3歳。可愛らしいピンクのワンピース(高級ブランド)を着ている。セミロングの黒髪をふたつ結び》
藍「おかーさま。あーちゃんの、いもーと?」
早苗を見ながら首を傾げる藍。
早苗「そうよ。藍の妹で名前は椿っていうの。仲良くしてあげてね」
早苗の言葉にぱぁっと笑顔を浮かべる藍。
藍「うん! なかよくする」
少女は愛されるはずだった──。
*
─椿が生まれてから15年後の話─
◯6月・街中(夕方)
白のブラウスとグレーのスカートといったシンプルな制服に身を包み、セミロングの髪を揺らしながら目的地へと歩き続ける椿の後ろ姿。
椿(──幾千年もの間、続いてきた人間と吸血鬼の争いに終止符が打たれたのはおよそ700年前のこと。
力では敵わないと悟った人間と、餌の絶滅を恐れた吸血鬼は共存していくことを選んだ。
そうして続くこの世界で私、雪平椿は今日も生きている)
空を見上げる椿。その表情はどこか冴えない。
椿(この体に流れる血を憎みながら。だけど、それももう全部疲れて終わらせようと思っていた。
私がいなくなっても、誰も悲しまない。
血の繋がっている家族でさえも、私を愛してはくれないのだから)
おじさん「お嬢ちゃん、どこへ行く気だい」
五メートルほどの塀で仕切られた向こう側。
BEAST区(通称B区)と呼ばれる一角を眺めていた椿におじさん(50代)が話しかけてきた。
手には酒瓶が握られていて、頬は酒のせいかほんのり赤い。
おじさん「そっちは危ないよ」
椿に話しかけながら歩道の隅に腰を下ろすおじさん。
椿(あちら側へ足を踏み入れることの意味をこの街で育った人間は皆、理解している。
もちろん、この街で生まれ育った私も。
親は子供が歩きだす前から口を酸っぱくして言う)
『B区は危険だから決して足を踏み入れてはいけない』と。
母親が小さな子供の両肩を掴みながら言い聞かせるイメージ図。
椿(なぜなら、そこには人間の血を好む獣が住んでいるからだ。それなのに私が連日この場所へと足を運ぶ理由はただひとつ。今した話が私には関係のないことだから)
椿「ありがとうございます。おじさん。でも、私は大丈夫なんです」
おじさんに愛想笑いをする椿。
椿の言葉に頭をかくおじさん。
おじさん「変わった子だな」
座っていたおじさんはその場で寝転ぶ。
椿(……なんて無防備なの。こんなところで寝ていたら、血を全部吸いつくされて死んでしまうかもしれないのに。
人間が吸血鬼に血を吸われて死んでもニュースにはならない。ただひっそりと命を終えるだけ)
椿「寝るならお家に帰ってからにしてください」
しゃがんでおじさんの肩を揺らす椿。
しかし、おじさんは「ん〜」と唸るだけで一向に起きる気配を見せない。
椿(……この人も命が惜しくないのかな)
椿「これだけお酒の匂いがしていたら、吸血鬼も寄り付かないか。もう行きますね、私」
おじさんに一声かけてから塀を目指して歩く椿。
椿(早く見つけないと。私の人生を終わらせてくれる人。いいや、吸血鬼を)
なんの仕掛けもない。乗り越えようと思えば容易に乗り越えることが可能な塀。
そこに足をかけた椿は、黙々と登り続けた。
半分ほど登ったところで振り返る椿。
さっきと変わらない姿で寝転ぶおじさんが目に入る。
椿「………………はぁ、」
なにかを決心したかのように、深いため息をつく椿。
おじさんのことがどうしても気がかりで、様子を見に行くことにした椿は塀から一気に飛び降りた。
おじさんの元へ向かう道中、近くにあった自動販売機で茶色い小瓶に入った液体を購入する。
ラベルには『Garlic』の文字。
中身はにんにくのエキスを抽出したもの。
吸血鬼から身を護るために作られた護身用グッズのひとつ。
椿「少し濡れる……あと臭うけどごめんなさい」
小瓶の中身をおじさんに振りかけていると、遠くの方から18時を知らせる鐘が鳴り椿がはっと顔をあげる。
椿「帰らなきゃ……ううん。無視すればいい」
一度、B区に目をやる椿だが、その足は家へと向かっていた。懸命に走る椿。
椿(ああ、今日もまた死ねなかった)
*
◯椿の家の前
丘を登ったところにあるお城のような大きな家。
立派な門構えの隣には天然石で作られた表札があり、『雪平敏之、早苗、藍』と3人の名前だけが刻まれている。椿の名前だけがない。
椿はまるで泥棒にでも入るかのようにそっと門を開けた。
誰にも気づかれないように慎重に帰宅した椿だが、玄関前の廊下を偶然通りかかった早苗と鉢合わせする。
早苗の後ろにはメイド服を着た使用人(女性)がふたり。
早苗は椿を見るなり眉をひそめる。
早苗「なぁにこの臭い」
匂いを振り払うかのように、一度手で風を仰ぐ早苗。
椿「た、ただいま帰りました。お母様」
手をお腹のあたりに添えて、深々とお辞儀をする椿。
早苗「もしかして護身用の……あなたには不要じゃないかしら」
椿「あの、これには……、」
早苗「説明なら結構よ。一刻も早くシャワーを浴びて出て行きなさい」
椿に背を向けて歩きだす早苗。
椿「……はい。申し訳ございませんでした。お母様」
早苗の姿が見えなくなるまでお辞儀を続ける椿。
その後、使用人用のシャワー室でシャワーを浴びてから調理場へと顔を出す。
夕食準備のため慌ただしい調理場。
隅に置かれていたボウルとビニール袋を手に取る椿。
ボウルの中身は野菜や魚の切れ端。
袋には食パンとフランスパンのかけら。
椿の夕食。
椿「いただきます」
椿の言葉に返事をするものは誰ひとりとしていない。
玄関から外へ出た椿は離れにある小屋へと移動した。
◯家から離れた小屋・椿の部屋(夜)
立派な屋敷にはそぐわない物置部屋のような小屋。
そこが椿の部屋になっている。
食材をテーブルの上へと置いた椿は、布団に寝転び瞼を閉じた。
椿の部屋にあるのは年季の入ったテーブル、布団、カセットコンロ、目覚まし時計。服はつっかえ棒にかけている。
椿「つかれた……」
椿(母のまるでゴミでも見るかのような目が脳裏から離れない。母は私のことが嫌いだ。いいや、母だけではない。父も姉も雪平の人間は皆、私のことを嫌っている。
ただそれは仕方のないことだ。私は雪平家の“汚点”だから)
椿(今から15年前────、私が産声をあげたとき、両親はさぞかし喜んだに違いない。吸血鬼が好む最高級の血を持つ子供の誕生に)
雪平家の人間は代々、『赤蜜(しゃくみつ)』という血を持って生まれ、その蜜を吸血鬼に捧げることによって、他よりも豊かな暮らしを手に入れた。
今ではそれが生業となり、赤蜜を持って生まれれば一生食うに困らないと言われるほどだ。
生まれてきた子供は家柄を問わず皆、病気の有無を調べるために血液を採取する。
採取された血液の一部は血液機関へと送られて、そこで両親は初めて知った。
椿(私が赤蜜を持たないことを。それどころか、私の血は飢餓状態である吸血鬼さえも手を出さないFランク)
敏之は早苗の浮気を疑い、早苗は椿を責めた。
両親はなぜ自分に強く当たるのか。
どうして藍とは一緒にいられないのか。
椿は両親のいないときに一度、藍の部屋へと向かい尋ねたことがある。
玩具が多く並ぶ子供部屋で、お人形さん遊びをしていた藍。
近くいた使用人は、椿に自分の部屋へと帰るよう促す。
しかし、雪平家の次女。乱暴には扱えない。
椿『おねーさまは、どうして椿といっしょに遊んでくれないの?』
藍『お父様とお母様に叱られるからよ』
椿『おとーさまと、おかーさまは椿のことがきらいなの?』
藍『そうよ。だって、椿の血は吸血鬼に捧げられないから』
椿『きゅーけつきに?』
藍『私たちがこんなに大きなお家に住めるのは雪平の血のおかげ。椿はそれを持っていないの』
椿(幼い私に姉の話はよく理解できなかったけれど、私が愛してもらえないのは吸血鬼がいるから。それだけは、はっきりとわかった。
もし、この世に吸血鬼が存在しなければ私の体に流れる血がFランクであろうと関係なかった。姉と一緒に過ごせただろうし、両親も私を愛してくれただろう)
椿「……吸血鬼さえいなければ」
右上を曲げて手首のあたりを瞼の上へと乗せていた椿。握りしめていた拳に力が入る。
椿(ただ、私は吸血鬼を憎む一方で彼らを必要としている。この惨めな人生に終止符を打つために──)
◯椿の部屋(朝)
ジリジリ。今にも壊れてしまいそうな目覚まし時計が音を鳴らす。
椿はハンガーにかけていた制服を手に取り着替えた。
スカートとブラウスだけで、ネクタイやリボンはない。
藍の通っていた女学院ものとは比べ物にならないほどシンプルな制服。
椿の部屋にある家具はすべて藍が処分する予定だったものを引き取った。
これでも一応、雪平家の次女。衣類だけは定期的に支給される。
今、椿の部屋にある中で両親が用意したものは高校の制服のみ。
椿「学校に通わせてもらえるだけでも、ありがたく思わないと」
靴を履いて学校へと向かう椿。
◯学校・教室
教室に到着してすぐに窓際一番後ろの席で腕を枕の代わりにしながら机に顔を伏せる椿。
女子生徒A「おはよー」
女子生徒B「あ、おはよー。昨日のあれ見た?」
女子生徒A「あれって?」
女子生徒B「あのバズってた動画の〜」
椿は耳に入ってくる会話に一瞬だけ顔をあげる。
斜め前には楽しそうなクラスメイトたちの姿。
椿(ここにも私の居場所なんてない。私が雪平の血を持たないことは校内の人間なら誰しもが知っていることだ。
特別な血を持って生まれたものには、護衛が付き、指定の学園への入学義務がある)
椿には護衛がいない。通っている高校も公立で一番学費の安いところ。
椿(幼い頃は学校に期待した。そこでなら流れる血がなんであろうと関係なく過ごせると。だけど、学校では腫れ物扱い。
私と話せば血のランクが落ちる。なんて噂をされることもあった)
ひとりで移動教室へと向かう椿、昼食時には裏庭でひとり家から持ってきた食パンを食べる椿。
6限目の授業が終わり、椿は昨日のようにB区付近へと向かっていた。
昨日のおじさんがいないことに安堵した直後、閉められたシャッターの前でぐったりと座り込む男(栢)の姿が目に入った。
栢は黒いロングコートに身を包んでいる。
椿(この街の住人は、いつからこんなに無防備になったのだろう)
栢の前を通り過ぎようとしたとき、小さなうめき声が聞こえて思わず足を止める椿。
椿「大丈夫……ですか?」
立ったまま声をかけるが反応がない。
椿(返事がない。……生きてるよね?)
椿「どこか気分でも」
栢「…………っ……」
栢は椿の声に反応を見せると、顔をゆっくりあげた。
栢と目が合った瞬間、椿の心臓がどくんと跳ねる。
椿(きれいな……ひと)
栢の美貌に見とれる椿だが、すぐに違和感に気づく。
栢の瞳は赤く、うっすらと開いた唇からは鋭い牙が見えた。
目の前にいるのは人間ではなく、吸血鬼だと気づいた椿は息を呑む。
椿(どうして吸血鬼がこんなところで倒れているの? ずいぶんと弱っているように見えるけど……)
見上げた先には太陽。眩しくて目を細める椿。
椿(日の光を苦手とする吸血鬼がこんな日当たりのいい場所で休むなんて考えられない。もしかして歩けないほど弱っているの?)
攻撃してこない吸血鬼に戸惑う椿。
椿(日陰に移動させる? いいや、私が吸血鬼を助ける義理なんてない。このまま放っておけばいい)
立ち上がろうとした椿だが、あることが頭をよぎり栢の目をじっと見る。
椿「私があなたを助けたら、あなたは私を殺してくれる?」
栢「……あ、……あ」
力なく返事をする栢。
返事を聞いて、栢を助けると決めた椿。
近くの自動販売機で果汁100%のオレンジジュースを購入する。
椿(私の血はFランク。きっとそのままじゃ飲めない)
筆箱からカッターを取り出して自分の指を見つめる椿。
一瞬、ためらいの表情を見せた後、カッターで指を切り、流れた血をジュースの中へと混ぜた。
血入りのオレンジジュースを栢の口へと流し込む。
半分ほど減ったところで、一度栢の口からペットボトルを離すが変化はない。
まだ血が足りないと思い今度は別の指を切ろうとした椿。
その手を栢が掴み口を開く。
栢「お前……」
さっきまで虚ろだった栢の目が椿をはっきりと捉える。
今まで見たどの吸血鬼とも比べ物にならないほど美しくて恐ろしい男を前に椿は目を奪われた。
椿「ソレ、ジュース、チ、ハイッテマス」
一瞬でも吸血鬼に目を奪われた自分が許せなくて、飲みかけのペットボトルを栢へと押しつけて立ち去る椿。
椿「なにしてるんだろう……私」
走り去る椿の後ろ姿を見ながら、栢はつぶやく。
栢「……お前はなにも変わってないな」
─翌日─
◯学校(夕方)
授業を終えて正門までの道を歩いている椿。
椿(昨日はなんてことをしたんだろう。……吸血鬼を助けるなんて)
昨日の光景が頭に浮かぶ椿。
自分の行動に深くため息をついていると、正門前が人で溢れかえっていることに気がつく。
椿(なんだか騒がしい)
サングラスをかけた栢に群がる女子生徒たち。
栢は椿を見つけると、歩きだす。
女子生徒「うちの学校に用ですか?」
媚びるように話しかけた女子生徒。
女子生徒「ねぇ、お兄さん」
腕を掴む女子生徒の手を振り払う栢。
女子生徒「もぉー」
めげない女子生徒。
栢「お前らに用はない」
人だかりを避けて帰ろうとしていた椿に栢が声をかける。
栢「雪平家の次女」
その言葉にぴたりと足を止める椿。
椿(だ、誰……?)
うろたえながら、鞄を胸元でぎゅっと抱く椿。
栢は椿の肩を抱く。
栢「俺が会いに来たのはこの女だ」
椿「へ…………?」
男の言葉に椿は目を見張る。
栢がサングラスを取り、椿は昨日の吸血鬼だと気づく。
椿(き、昨日の吸血鬼──⁉)