小川さんの部屋は2階の左端にあった。

 郵便受けには細いマジックで彼女の苗字が記されている。


 その隣りの呼び鈴に何度も手を伸ばすのだが、押すことが出来ずに5分以上が過ぎた。

 思い切って…いや、殆ど思い付きにも近い行動で彼女の部屋まで来てしまったことに、今更ながら緊張してきた。


 何と言えばいいのだろう。


 かいていた汗が冷えてきて、乾いた冬の風に喉まで渇いてきた。

 冷たくなった指先で呼び鈴に触れながら、俺は何度も唾を飲み込んだ。


 何度かタイミングを計っているうちに、このまま帰ってしまおうかという気持ちに襲われてきて足を後ろにずらした時に、

 右手に持っていた紙袋の存在を思い出した。

 斉藤さんからの届け物だ。


『信用していますよ』


 あの言葉はきっと…おそらく俺が男であることに対しての斉藤さんからの注意なのだろうが、

 見舞いに来たことに対しての口実がみつかったことに心が軽くなった。


 しかもアパートを探すことに必死になっていた俺は、

 自分では何も用意していなかったことにそこで初めて気づいた。


 本当に情けないヤツだ。


 とにかくこの袋はしっかりと届けなくてはならない。

 ふうと息を吐き出してから、

 俺は思い切って呼び鈴を押した。


 部屋の中に音が響くのが聞こえたけれど、彼女はなかなか出てこなかった。

 眠っているのだろうか。


 どうしようと思いながら3回目を鳴らした時に扉がゆっくりと開き、中から彼女が顔を出した。


 隙間から覗いてもはっきりと分かるほど、彼女の顔は白かった。


「すみません…具合の悪いときに…」


 小声で言うと、


「藤本さん…今覗いて少しびっくりしました。とりあえず上がってください」


 扉を開いた彼女は、何の躊躇いもなく俺を中に入れてくれた。

 玄関先にきちんと揃えられた小川さんの靴がある。

 脱ぎっぱなしの自分の玄関を思い出しながら、その隣りに自分の靴をぎこちなく揃えて脱いだ俺は、再び緊張し始めた体で彼女のあとに続いた。