「足りなくないですか?」

「調度いい量でした」

「ほんとに? 私が調度いいのに」


 胃をさすりながら小川さんは俺の器を覗き込んだ。


「もっと食べてくれていいんですよ?」

「いえ、本当に十分です」


 俺もまた胃をさすって見せると、

 彼女の顔がほころんだ。


「美味かったです。その、いつも食ってる蕎麦とは全然違って」

「いつも?」

「いつもっていうか、立ち食い蕎麦とか」

「ああ立ち食い蕎麦。私食べたことないなぁ。駅ではすごく気になるんですけど。ほら、すごくいい匂いがするでしょう?」

「あれはあれで美味いんですよ、なかなか。立ち食い蕎麦って、本気で腹減ってる時に食べるから」


 俺の言葉にふふふと笑った小川さんは、


「そっか。急いでる、ってだけじゃないんですね」


 納得した、という顔でお茶を啜った。


 橙色で統一された店内の明かりを映す彼女の顔は、

 いつもよりも健康的に見える。


 口紅の取れた唇もまた、明かりに照らされて綺麗な色をしていた。



 夕食時の店の中は、じょじょに席が埋められていく。

 
「行きましょうか」


 カウンター席の空きが無くなるころ、俺と小川さんは店を出た。