オヤジさんが自分のことを話すことは滅多にないけれど、

 こちらの話を引き出すのは巧かった。


 軽くもなく、かといってしつこくも説教臭くもなく。

 気づくと、知らないうちにどんどん色んなことを喋ってしまっている自分がいる。

 たぶん、このオヤジさんは、こっちにいる人間の誰よりも俺のことを知っているだろう。


 俺がこのオヤジさんについて知っていることは、

 4年前に奥さんを亡くしてから、

 ひとりでこの店の切り盛りをしているということくらいだ。


 奥さんの葬儀を終えたあと、思い切って店を閉めてしまおうと思ったらしいが、

 ふたりで立ち上げたこの店をつぶしてしまうことに、

 どうしても踏ん切りがつかなかったらしい。


 そして常連客の温かい言葉と気持ちに助けられたんだと、

 珍しくカウンターの中でコップ酒を煽りながら俺に聞かせてくれたことがある。



 どんな町にも、どんなちっぽけな場所にも、

 それぞれの事情を抱えながら懸命に生きている人間がいるものだ。



 さっきすれ違った学生たちだって、

 誰にも言えない悩みや不安なんかを抱えているんだろう。

 そうは見えないだけであって。



「すぐお通し持っていくんで。あ、これ使ってください。寒いでしょう」


 そう言いながら店名入りの白いタオルを差し出してきたのは、

 オヤジさんに「コミヤ」と呼ばれているこの店唯一のバイト生だ。


「ああ、ども。悪いな」

「何にします? 最初。生でいいですか」

「うん」


 コミヤからタオルを受け取った俺は、

 カウンターの前を過ぎて、こちらからは死角になっているテーブル席に向かった。