深夜の逃避行劇

死ぬことなんてとっくのとうに平気になったと思っていた。
でも、春を置いていくことが、春をひとりで残していくことが璃来は許せなくなった。

春が自分を忘れても構わないなんて言葉は綺麗事だ。
未練なく別れようとするための優しさだ。
そんなもの春は必要としていないのに。


「ここ…だね」


昨日から寝ていなかったふたりはそのまま朝まで眠ってしまい、翌日、案の定バキバキになった体を抱えながら雨足が強くなった中を歩き出した。
休日ということもあり田舎にも関わらず人や車とすれ違うことが多く、いつもの半分にも満たないペースで道を進んだ。

そして昼をすぎしばらく経って、遂に金星の塔へ続く森の入口に辿り着いた。入口は石畳でできた数段の階段があり、その奥の鳥居をくぐるとけもの道が続き、立ち入り禁止のテープを越え更に歩いた先にある。

傘にばらばらと雨粒が当たり、跳ね返った水滴が足元を濡らす。


「なんか、すごいわくわくしてる」

「今さら?」

「ぼくひとりじゃ絶対成し遂げれなかったから」


璃来は自分自身を認めてもなお、自分のことを『私』とは言わなかった。

春がどれだけ認めても、救いあげても。
心に錆びついた里琴の掴んだ手が、璃来をずっと縛り付けて離さないから。

だけど、それだけじゃなかった。
璃来自身が母親を捨てられないから。あの母親には、璃来しかいないから。
そんな思いが里琴を嫌いにさせない。捨てさせない。

自由を手に入れて初めて、鳥籠の中の鳥は檻を出られないのではなく出ない選択を選んだことに気づく。

与えられた過去の愛情を、人間は捨てることも忘れることもできないのだから。
だから、璃来が『ぼく』であることが嘘だろうと偽りだろうと、死ぬまで守り続けてしまう。


「そんなこと、…ないよ」


濡れた石がつやつやと煌めいている。璃来が傘を持ち昼下がりにも関わらず薄暗い道を進んでゆく。

階段を昇った先は左に曲がると広間に出てお参りする場所があるのだが、金星の塔へ向かう道は左に曲がらず立ち入り禁止の柵と柵を繋ぐチェーンを跨ぎ真っ直ぐ進む。
この先は一切の灯りがなく、けもの道でさえなくなった整備されていない林の中を歩くことになる。

この道が金星の塔への正規ルートだが、当時あったけもの道はすっかりなくなり、柵棒もそれを繋ぐロープも錆びつき朽ち果て、一部を残し欠落していた。
顔を見合せたふたりは、意を決して一歩を踏み出した。