深夜の逃避行劇

日が暮れ、時折通り過ぎる自転車を眺め、ふたりはまだ動けずにいた。自動販売機の稼働する機械音が僅かに聞こえ、ふたりを淡く照らす。
春は泣き止んでから糸が切れたように黙りこんでいた。結局ご飯は全て食べきれず、冷めてしまった食べ残しごと設置されていたゴミ箱に捨てた。

何もかもが重荷となり足枷となり、春の心を荒ませる。
璃来はずっとそれに気付かないふりを続けていた。
だけどもうきっと、限界だった。


「ぼくって、ちゃんと役に立ってる?」


出会ってからの春は、気づいたときにはいつも泣いていた。その涙の原因は、図らずも全て璃来だった。璃来が春を、泣かせていた。

春は優しいから。正義感が強いから。
言わない子じゃなくて、言えない子だから。
だから璃来を突き放せない。


「生まれてから今まで、ぼくはずっと誰かの足枷で、重荷で。…何がそんなに春がぼくと一緒にいる理由になるのかわからないよ」

「…………」

「言ってくれないと分かんないよ、春。全部ぼくのせいだって。こんなぼくなんか必要ないって_」

「璃来のせいなんかじゃない!」


その言葉を聞いた瞬間ほぼ間髪入れずに春は前のめりで叱るように答えた。璃来の両手を握りながら、確かめながら。


「私、璃来はちゃんと素敵な女の子だと思ってるよ。昔のくんちゃんも、再会したときも、今だってそう。だから、璃来が璃来を否定しないで。」


ひとりで戦ってきた今までの璃来を否定しないで。


「私は誰がなんと言おうとありのままの璃来を肯定してる。
今までのかっこいい璃来もたまに見せる笑顔のかわいい璃来も、全部璃来だよ何も間違ってない。
ねえ璃来、璃来はどうしたい?璃来は自由よ。縛られるものなんて何もないの。」

「…っ、」


弱々しく啜り泣く声が、嗚咽が、両耳に響く。それから小さく、璃来は伏し目がちに春に視線を合わせ、呟く。


「春は、ぼくでいいの?」

「璃来が!いいの!」


璃来は璃来なの。璃来じゃなきゃだめなの。
そんなトートロジーでしかこの感情は伝えられない。

春の余りの包容力の大きさを、今迄感じたことの無いこの名前の知らない感情を、どう受け止めればいいか。有り余るこの幸せをどう手にしたらいいのか。この悩みを噛み締める以上の幸福を璃来は知らなかった。

いつの間にか空を雲が覆い、小雨が降り出した。
ベンチに並んで座っていた春の膝に崩れ落ち、押し寄せる安堵に今まで守っていた何かが決壊し、璃来は泣き崩れた。
春が璃来の涙を見たのはそれが最後だった。