昨日降り始めた雨は夜にいちど止んでなお次の日もまだ降り続いていた。
雨が降って思わぬ収穫があり、ふたりは何とか空腹を凌いだ。
青藍電車の車内は横一列タイプの配席で、ところどころ老朽で座席のシートが剥げていた。綺麗なところに並んで腰かけて、ばらばらと電車に降り注ぐ雨音をふたりで聞きながらずっと世間話をしていた。
前回の反省を踏まえて、ふたりは太陽が沈んでから決行することに決めた。
「私の誕生日? 3月31日だよ。璃来は?」
「ぼくは7月2日」
「…? そうなんだ、なんか意外だね」
「意外?」
「5月とか、春生まれかなって」
「春は好きだよ」
春の肩がびく、と跳ねる。季節のことだとわかっていても、数秒遅れで頬が紅潮して耳まで赤くなった。ごまかすように春は笑うが嬉しさのあまりにやけが抑えられていなかった。両頬に手を添えてにっこにこの春に、璃来は呟く。
「春は愛されて育ってきたんだね」
「…ううん。全然だよ」
嬉しそうな顔から一転、寂しげな顔で笑う春は、静かに語り始めた。
「_でね、全部春のせい、全部春が悪い。終しまいには産まなきゃよかったーなんて。他人の前でだけ優しく触れるあの手が嫌いになって。」
「唯一守ってくれたおばあちゃんは私が小3に上がる前に死んじゃって。」
「暴言なんて日常茶飯事、今私が死んだらお母さん泣くのかな笑うのかな。死にたい、死んでやる死んでやる…っ、って、結局、このザマ!まあ、璃来にはわかんないか。」
重苦しい空気にさせないためにわざと明るく話す春だったが、璃来にとっては逆効果で。
あまりにも簡単に死ぬなんて笑って言うものだからそんな軽率に命を考える春に少しの怒りを覚えた。春の話をぶった切って璃来は口を開く。
「ぼく病気なんだよね」
同情、しないわけではない。してほしくなんてもっとない。
立ち向かえだとか、生を押し付けたいわけでもない。
でも、春が。
ぼくを蔑ろにしてまで大丈夫ってふりして、今もひとりで抱え込もうとして崩れそうなのに、なんでまだひとりきりで戦おうとしているの。
「毎日毎日体中痛くて、薬飲まないと普通の生活が送れなくて。入院中毎日ぼくの部屋にくる看護師は月日が経つにつれ無理に笑顔で話すようになって、しゃべり相手だった子もいつしかぼくを避けるようになって。」
いつしか母親からは早く死ねと罵倒されるようになって、一度だけ本気で凶器を持ち出されて以降はついに璃来の病室を訪れなくなった。
「君がずっと羨ましかった」
自分で死ぬ時を決めて、生きたければずっと生きれて。
「病気の苦痛に怯えることもない。逃げられる場所だってある。どこへでも行ける体と元気がある。
自分ばっかり不幸不幸ってよく言うよ。その不幸は自分のせいって思ってるんだ。これが当たり前なんだって悲観ぶって。いつまでそうやってかわい子ぶってるの」
もう、開いた口が塞がらない。璃来は立ち上がり座っている春を真正面から見下ろす。
「ねえ、今ぼくのことどう思ってるの?ぼくは君が嫌いだよ。ずっとずっと嫌いだった。だからあんなこと言った。一生ぼくの見えるとこで苦しめてやりたかった。なのに君は真っ直ぐにぼくを見て、眩しいくらいに周りを明るくして。余計にぼくは突き落とされてたんだ。知らないよね、そんなこと。生まれてきた理由も分からなくて、惰性で毎日を無駄に潰して浪費して。」
ぽたぽたと水滴が地面に落ちた音が鳴る。その雫が床を濡らしてゆく。
「この2週間ずっと考えてた。普通になりたかった。普通当たり前の人生がほしかった!
ぼくは、君が一番嫌いだった…っ!!」
目が合った璃来の瞳は真っ赤に充血し、眼球がこぼれそうなほどに大粒の涙があふれる。
この時初めて春は璃来の涙を見た。
「…っ、ごめん…ごめんね。ごめんなさい……」
春の口から震えた声で謝罪の言葉が零れ、雨のように璃来に降り注ぐ。
きっと璃来が聞きたかった言葉はそんな言葉では無いと分かっていてもそんな言葉しか今は言うことが出来なかった。
璃来の心は誰にも許されていなかった。
惨めな自分を開けっぴろげにしておいた分際で璃来は春の名前を言うことさえできず、自分の殻を厚くして春さえも遠ざけていた。
「っな…んで…」
離れて。ぼくのそばからいなくなるなら早いほうがいい。一緒にいる時間が長ければ長くなるほど、もうぼくはひとりじゃ立っていられなくなるから。
なのにどうして君はまだぼくのそばにいるの?
春を突き放すつもりで、自分という足枷から解放させるつもりでそう言った璃来の決心は、春のその行動により全て決壊してしまった。
春は、泣く資格も今の璃来を慰める資格も無かった。けれど、咄嗟の行動で思わず璃来を抱き締めていた。
気づいてあげられなくて。
辛い思いばかりさせて。
私のせいでたくさん悩ませて。
一緒に背負うとか言っておいて結局ひとりで全部、背負わせてしまって。
まだ笑えているから、私より大丈夫なんだと思ってしまっていた。
「ごめんね…」
あの日貰った薔薇の花びらが一片ひとひら舞い落ちる。花はもう、枯れていた。
雨が降って思わぬ収穫があり、ふたりは何とか空腹を凌いだ。
青藍電車の車内は横一列タイプの配席で、ところどころ老朽で座席のシートが剥げていた。綺麗なところに並んで腰かけて、ばらばらと電車に降り注ぐ雨音をふたりで聞きながらずっと世間話をしていた。
前回の反省を踏まえて、ふたりは太陽が沈んでから決行することに決めた。
「私の誕生日? 3月31日だよ。璃来は?」
「ぼくは7月2日」
「…? そうなんだ、なんか意外だね」
「意外?」
「5月とか、春生まれかなって」
「春は好きだよ」
春の肩がびく、と跳ねる。季節のことだとわかっていても、数秒遅れで頬が紅潮して耳まで赤くなった。ごまかすように春は笑うが嬉しさのあまりにやけが抑えられていなかった。両頬に手を添えてにっこにこの春に、璃来は呟く。
「春は愛されて育ってきたんだね」
「…ううん。全然だよ」
嬉しそうな顔から一転、寂しげな顔で笑う春は、静かに語り始めた。
「_でね、全部春のせい、全部春が悪い。終しまいには産まなきゃよかったーなんて。他人の前でだけ優しく触れるあの手が嫌いになって。」
「唯一守ってくれたおばあちゃんは私が小3に上がる前に死んじゃって。」
「暴言なんて日常茶飯事、今私が死んだらお母さん泣くのかな笑うのかな。死にたい、死んでやる死んでやる…っ、って、結局、このザマ!まあ、璃来にはわかんないか。」
重苦しい空気にさせないためにわざと明るく話す春だったが、璃来にとっては逆効果で。
あまりにも簡単に死ぬなんて笑って言うものだからそんな軽率に命を考える春に少しの怒りを覚えた。春の話をぶった切って璃来は口を開く。
「ぼく病気なんだよね」
同情、しないわけではない。してほしくなんてもっとない。
立ち向かえだとか、生を押し付けたいわけでもない。
でも、春が。
ぼくを蔑ろにしてまで大丈夫ってふりして、今もひとりで抱え込もうとして崩れそうなのに、なんでまだひとりきりで戦おうとしているの。
「毎日毎日体中痛くて、薬飲まないと普通の生活が送れなくて。入院中毎日ぼくの部屋にくる看護師は月日が経つにつれ無理に笑顔で話すようになって、しゃべり相手だった子もいつしかぼくを避けるようになって。」
いつしか母親からは早く死ねと罵倒されるようになって、一度だけ本気で凶器を持ち出されて以降はついに璃来の病室を訪れなくなった。
「君がずっと羨ましかった」
自分で死ぬ時を決めて、生きたければずっと生きれて。
「病気の苦痛に怯えることもない。逃げられる場所だってある。どこへでも行ける体と元気がある。
自分ばっかり不幸不幸ってよく言うよ。その不幸は自分のせいって思ってるんだ。これが当たり前なんだって悲観ぶって。いつまでそうやってかわい子ぶってるの」
もう、開いた口が塞がらない。璃来は立ち上がり座っている春を真正面から見下ろす。
「ねえ、今ぼくのことどう思ってるの?ぼくは君が嫌いだよ。ずっとずっと嫌いだった。だからあんなこと言った。一生ぼくの見えるとこで苦しめてやりたかった。なのに君は真っ直ぐにぼくを見て、眩しいくらいに周りを明るくして。余計にぼくは突き落とされてたんだ。知らないよね、そんなこと。生まれてきた理由も分からなくて、惰性で毎日を無駄に潰して浪費して。」
ぽたぽたと水滴が地面に落ちた音が鳴る。その雫が床を濡らしてゆく。
「この2週間ずっと考えてた。普通になりたかった。普通当たり前の人生がほしかった!
ぼくは、君が一番嫌いだった…っ!!」
目が合った璃来の瞳は真っ赤に充血し、眼球がこぼれそうなほどに大粒の涙があふれる。
この時初めて春は璃来の涙を見た。
「…っ、ごめん…ごめんね。ごめんなさい……」
春の口から震えた声で謝罪の言葉が零れ、雨のように璃来に降り注ぐ。
きっと璃来が聞きたかった言葉はそんな言葉では無いと分かっていてもそんな言葉しか今は言うことが出来なかった。
璃来の心は誰にも許されていなかった。
惨めな自分を開けっぴろげにしておいた分際で璃来は春の名前を言うことさえできず、自分の殻を厚くして春さえも遠ざけていた。
「っな…んで…」
離れて。ぼくのそばからいなくなるなら早いほうがいい。一緒にいる時間が長ければ長くなるほど、もうぼくはひとりじゃ立っていられなくなるから。
なのにどうして君はまだぼくのそばにいるの?
春を突き放すつもりで、自分という足枷から解放させるつもりでそう言った璃来の決心は、春のその行動により全て決壊してしまった。
春は、泣く資格も今の璃来を慰める資格も無かった。けれど、咄嗟の行動で思わず璃来を抱き締めていた。
気づいてあげられなくて。
辛い思いばかりさせて。
私のせいでたくさん悩ませて。
一緒に背負うとか言っておいて結局ひとりで全部、背負わせてしまって。
まだ笑えているから、私より大丈夫なんだと思ってしまっていた。
「ごめんね…」
あの日貰った薔薇の花びらが一片ひとひら舞い落ちる。花はもう、枯れていた。
