夢のような日々が終わり、兵庫県に直帰する更紗。
 どうにも仕事に身が入らないのだが、無心で作業する心得はある。淡々と仕事をこなしていた。

「同人誌を描く時間はないかぁ」

 休みは東京往復だ。毎週ではないにしろ、体力的にきつい。
 壁打ちは続けている。ガントレットストライカーに関してだ。

『今週のガントレットストライカー格好いい! 環君に惚れ直すよ』

 直後蒼真からメッセが届く。

『惚れ直したくれたか』
『いつも惚れているよ!』

 これぐらいの軽口を叩く余裕はでてきた。
 
『映画が終わったらデートだな』
『まだ早い!』

 釘は刺しておく更紗。実際事務所に出入りするようになって、以前より敏感になっているのだ。

『えー。大阪に行くからさ』
『カラオケぐらいならね。東京では無理でしょ』
『そうだなー』
『人気特撮俳優なんだから、身辺はしっかりとね!』

 更紗もこんな釘は刺したいとは想わない。しかしやはり社会人として区切りをつけるべきだ。
 
『俺のこと、どう思っている?』

 直球できたなと苦笑いする更紗。一回り以上年下に翻弄されてばかりではいられない。

『18歳になったら教えてあげる』

 自然に送った言葉だった。

『またお預けか』
『再会してから怒濤すぎるよー』

 さすがにショートメッセで蒼真さん呼びする勇気はない。

『女優デビュー楽しみだ』
『そうだね。次はさ来週行くからよろしく!』
『メッセージは送るから!』
『はい』

 そう返信して会話は終了した。
 枕を抱え、一人悶絶している更紗。

(推しだよー。推しとこんな会話してていつか罰があたりそう)

 ごろごろしてふと思う。

(罰があたるなら、せめて私一人にあたりますように)

 それだけを願わずにはいられなかった。

「蒼真さんも年頃の男だしなー。お預けか。辛いんだろうな」

 そういわれても男性と付き合ったことはないので何をどうしたらいいのかまったくわからない。
 壁打ちするわけにもいかず、更紗のほうこそ悶々としてしまう。

 結に愚痴代わりにメッセージを送り、寝ようとしたところ電話がかかってきた。

「もしもし。結? たいしたことないから電話しなくていいって書いたのに」
「こらー! どこの世界に母親に男女間の相談する女がいるの。あんたがそこまで世間知らずだとは思わなかったわ。心配で私まで眠れなくなりそうよ!」
「え? そんなに」
「そんなに」

 電話の向こうで真顔になっている結の顔が想像できた。

「蒼真が何をいっても受け流して。18歳になったらもうどうでもいいわ。あんたらの好きにしなよ」
「母親が投げないで? あまり待たせるのも辛いかなって」
「あんたのほうが暴走しそうで怖くなって電話したのよ!」
「暴走する勇気がないよ!」
「素人ほど、思いきったことをするからね」
「何の素人?!」
「……私が悪かったわ。あなたはそのままでいて」
「なんだよー。教えろよー」
「拗ねないの!」

 そうはいいつつもお互いの近況を話し合い、電話を切る。
 
(結論を出すにしても蒼真さんが18歳になってもらわないとね。あと一年と少しぐらいか)

 あと一年悶え続けるのかと思うと、気が遠くなった。
 
◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「蒼真が思いっきり迷惑かけているな」

 結の旦那、大地が苦笑する。

「あらあなた。盗み聞きとは感心しないよ」
「とはいっても息子のことだからなぁ。なんで更紗さんまで女優になるんだよ」

 二人の仲には口を出す気はないが、その話を結から聞いたときは驚愕したものだった。

「端役よ端役。大げさに考えちゃ駄目」
「しかし兵庫と東京の往復だぞ。端役のためにだぜ。勤め人がやることじゃない」
「西宮なんて四捨五入したら大阪みたいなもんでしょ。新幹線ならすぐよ」
「なんてことをいうんだよ」

 あまりに大雑把な妻に苦笑いする大地。

「更紗さんを幸せにできるのかなあ。あの人が娘になるのかあ」
「気が早い! 私は更紗の婚期が遅れてしまうことを気に掛けているのに。蒼真が更紗を捨てることだってありえるわ」
「そのときはさすがに蒼真をぶん殴るぞ、俺」

 息子に手を挙げたことは一度もない優しい大地ではあったが、そんな未来もあり得ないわけではないことを知っている。

「俺達夫婦が迷惑をかけっぱなしだった。その上、息子が更紗さんを捨てるとか考えたくもない」
「年齢はね。やっぱりね」
「やめろ。その話は俺に効く」

 年の差婚の二人にとっては禁句に近かった言葉だ。

「だからこそ余計にね。傷が深くなる前にあの二人が判断することなんだけど…… 二人とも子供だからなぁ」
「更紗さんは分別ある人じゃないか。だからこそ女優なんて話にまで飛躍したんだし」
「常識ある大人のやることじゃないけどね!」
「特撮俳優は非常識だろう。なにをいまさら」

 特撮俳優を目指して、本当に主役の座を射止めた息子を誇らしく思っている大地。

「人としての良識があれば問題はない。第一、昔の俺達は後先を考えない子供だったんだ。更紗さんが面倒を見てくれなかったら、蒼真の幼少期、乗り切れたかどうか」
「そうねー。私達、人のことはいえないわねー」

 二人して笑い出す。今でも夫婦仲は良いのだ。

「そろそろ映画の収録か」
「収録現場を見に行きたいけど、更紗が嫌がるのよねー」
「俺にはよくわからんが、推しから告白されたらどういう心境なんだ?」
「派閥によるかな」
「君たちの世界は派閥が複雑すぎるよ」

 大地にとっては複雑で奇妙な世界だ。同じ作品が好きでも逆カプなら相容れない世界なのだ。

「ガチ恋なんていっても、推しと恋愛は別物よ。だから更紗も面食らっているわけで」
「どんな結末でもいいからハッピーエンドがいいな。ビターエンドやバットエンドにはしないよう、蒼真に言い聞かせよう」
「そうね。願わくは二人が無事、お互いを傷付けないよう。――難しいわね」

 すべては息子次第。二人は自慢の息子が、更紗にとってのヒーローになることを願っていた。