ユウイチは、40代後半の会社員である。今日は、年末、2023年も終わりで、ユウイチは、東京の新橋まで来ていた。
 ここは、新橋。肌の突き刺す寒さの中、ユウイチは、カラオケボックスに入っていた。その前の日は、『有村架純の休日』というドラマを観ていた。
 そして、小一時間、歌った。一人カラオケである。ユウイチは、いきものがかりのファンで、『ブルーバード』が、好きだから歌った。
 『ブルーバード』は、ユウイチの十八番である。そして、ユウイチは、カラオケボックスで、唐揚げとポテトを頼んだ。
 『ブルーバード』でユウイチが、「蒼い蒼いあの空」と歌っていると、電話のベルが鳴り、「これからオーダーを持っていきます」と若い女は、言った。
 そして、若い女の店員が、「オーダー入りました」と言って、ドアを開いた途端に、ユウイチのトレーナーに、注文したアイスコーヒーが、ガシャンと音を立てて、トレーナーを汚した。
 「すみません」
 若い女の店員は、謝っている。
 「弁償します」
 と必死になって彼女は、言うが、ユウイチは、怒ろうかとも思った。
 しかし、彼女は、店長を読んで、ミッキーマウスのトレーナーの代金を払った。店長は、「お許しくださいませ」と言って、ユウイチは、トレーナーに名残を惜しみつつ、処分して帰った。
 面白くない年末だった。因みに、ユウイチは、妻もいたが、妻は、急に「他の男が好きになった」と言って、三行半を下した。そして、元妻のユリは、ブラジルへ移住した。元妻のユリは、年は近いが、気は強かった。ただ、唯一の救いは、「ユウイチには、慰謝料請求はしない」だった。
 ユリは、細身の女だったが、目の前の店員は、少しふっくらしていた。女優で言えば、有村架純に似ている。
 「すみませんでした」と、彼女は、涙目になって謝っている。女の涙を観たのは、久しぶりだった。ユリとまだ交際をしているときだった。
 トレーナー代の3000円を払ってもらった。帰り際、彼女は、少しばかりポテトチップとプリッツを持ってきた。
 少し、思い出した。
 ユリは、よくユウイチに、「歌上手いじゃん」と言っていた。ユウイチは、ユリの好きな中山美穂や小泉今日子の歌を歌っていた、それが、きっかけで付き合い始めたのだ。
 ただ、目の前の彼女は、涙を浮かべているが、思い出のきっかけだったカラオケボックスで、女の涙を観るのは、個人的に良くないとユウイチは、思った。
「あのう」
「はい」
「泣かなくて良いですよ」
「だって大事にしていたトレーナーを汚したのですから」
「いやね」
「はい」
「僕の好きなカラオケボックスでトレーナーを汚されても怒ったりしないって」
「…」
「人間、生きていたら失敗は、いっぱいするから、気にしなくていいよ」
 ユウイチは、20代の時、よくケンカになっていたが、40代後半になると怒る気力は失せてきた。
「はい」
「また、ここのカラオケボックスに来たいな」
 と言って、ユウイチは、帰った。彼女は、「またお越しくださいませ」と言った。
 ユウイチは、地下鉄新橋駅じゃら泉岳寺駅を通って、京急快特久里浜行きで、横浜へ帰った。
 帰りの京急快特久里浜行きの車内で、「あのカラオケボックスの女の子、可愛かったな」とか思って「彼女になってくれないか」と妄想した。勿論、現実は、映画みたいにならないと分かっていた。
 電車は、品川から蒲田、川崎を通って、横浜まで行った。そして、横浜で下車して、ユウイチは、ハイツへ帰った。
 年末は、紅白歌合戦を観た。芸能人の不祥事だし、好きなアーティストも出場しなかった。
 2024年になった。
 今年は、近所の神社へ初詣をした。そして、その日の夕方4時。ユウイチのハイツが、ぐらっと揺れた。
 そして、スマホのニュース速報で「石川県能登半島地震」とあった。ユウイチは、びっくりしていた。普段は、観ないテレビをつけたら、ニュースは、地震の速報になっていた。
 突然、お笑い番組は、中断になった。
 4日になって、ユウイチは、会社に出勤した。
 今回の年末年始は、慌ただしかったなと思った。
 ところで、ユウイチは、あのカラオケボックスで、トレーナーを汚した有村架純に似ている彼女は、どうなったのかと思った。
 LINE交換をすれば良かったのか?と思ったが、すぐにそれをしたら、だらしない男みたいに自分を思われてできなかった。
 朝礼が終わった。デスクトップパソコンのメールボックスを開いた。すると、そこには、クレームのメールが、あふれていた。クレーム対応は、いつものことになっていた。そして、いつも「申し訳ございません」と謝罪文をメールに送信していた。また、電話もクレームが、多かった。商品についてのクレームが、ほとんどだった。
 それ故、ユウイチは、胃潰瘍になったこともあった。
 朝10時が過ぎた。その時、上司が、「バイトの面接をしてくれる?」と言った。そして、ユウイチは、そのまま応接間へ向かった。
 「おはようございます」
 とドアのノブを開けた瞬間、そこに有村架純に似ているカラオケボックスの彼女がいた。
 これは、困った。ユウイチも困ったが、彼女も困っている。
「あの」
「はい
「先日、新橋のカラオケボックスにいませんでしたか?」
「はい」
 彼女の名前は、ミユキと言った。そして、人手不足だから、バイトはすぐに採用になった。暫くしてから、ユウイチは、ミユキとLINE交換をして、付き合いが始まったらしい。(終)