「綺麗…」
川沿いの桜並木を眺めれば、自然と零れる感嘆の声。
ポケットからスマホを取り出して、さっと目の前に掲げた。
カシャ。
気持ちいいくらい澄み渡った青空と、淡いピンク色の桜。
上手く一つの写真に収まったそれらを見て、ふっと頬を緩めた。
春。
桜が咲く季節。
この時期になるとどうしても思い出してしまう。
貴方は今、どこで何をしてるのかなーー。
.
高三になる前の春休み。
私、高倉あいは学校からの帰り道、ふと通った川の橋の上で足を止めた。
「すごい綺麗」
学校の近くにこんなお花見スポットがあったなんて。
川沿いにずらーっと並んでいる桜の木。
まさに満開というべきその桜並木に、私は目を奪われた。
「写真撮っとこ」
スマホのカメラを起動させて、パシャパシャと数回音を鳴らす。
うん、写真でもやっぱり綺麗。
自分が撮った写真を見て満足気に頷いた。
「…あれ」
顔を上げて、ふと視線を左に動かした私の目に映ったもの。
なんでこの木だけ離れてるんだろ。
川沿いの桜並木から少し離れた場所にある、一本の桜の木。
道の端に立ったその桜は少し寂しそうに見えた。
引き寄せられるようにその桜に近づく。
川沿いの桜よりこっちの桜の方がちょっとだけ色が濃い気する。
品種が違うのかな。
表示がされてないから何て言うのか分からないけど、この桜も綺麗だなぁ。
…カシャ。
一人ぼっちでも凛と咲いている桜に見とれていたら、耳の奥で音が鳴るのが聞こえた。
その音に何気なく桜から目を移すと、こっちに向けられたスマホが目に入った。
「…え」
「あ、」
スマホを持った人とパチッと目が合う。
照れ笑いを浮かべたその人は、ゆっくり私の方に歩いてきた。
「よっ」
「…さ、櫻井くん」
私の前で止まると、櫻井くんは「久しぶり」と笑った。
櫻井くん。
高二で同じクラスになって初めて知った彼は、頭が良くてサッカーが大好きで、明るい性格の人気者。
彼女がいるらしいことは噂で聞いていたけど、それでも私は密かに想いを寄せていた。
「桜綺麗だなぁー」
桜の木を見上げて呟く櫻井くん。
「…ねぇ、さっき何撮ったの?」
「ん?」
「さっき、こっちにスマホ向けてたよね」
「ん、あー…桜、桜撮ったの」
綺麗だったから思わずね、と笑う。
「ほんとに?私の方向いてなかった?」
「ほんとだよ」
…それもそうか。
櫻井くんが盗撮なんて、まして私をなんて、ありえないよね。
当たり前のことに頷く。
「ごめん、嘘」
「え?」
「つーか、半分ほんとで半分嘘」
「え、どういうこと」
「歩いてたら、桜を眺めてる高倉を見つけてさ。気づいたらパシャって撮ってた」
「え、何それ」
「いやなんかさぁ、絵になってたんだよ。だからつい?」
ごめん悪気はないから許して、と両手を合わせてくる。
女の子みたいなくりっとした瞳がまっすぐ私を見つめるから、ドキッとして目を逸らしてしまった。
「え、だめ?」
「いや…じゃ、じゃあさ」
「うん」
「それ消して」
「え?」
「撮ったやつ消したら許してあげる」
「え、やだ」
「えっなんで!消してよ」
即否定した櫻井くんにびっくりする。
「だってよく撮れたんだもん。見てよ、ほら」
スマホを操作して私に向けてくる。
しぶしぶ覗き込むと、桜と、それを見上げてる私の姿が映っていた。
確かに。
よく撮れてる。
けど!
「は、恥ずかしいから消してよ」
櫻井くんのスマホに、櫻井くんが撮った私がいるってだけで恥ずかしすぎる。
「えーいい写真なのに」
「よ、よくない、消して」
「しょうがねぇなぁ。そんな言うなら消しますよ」
と言いつつ、名残惜しそうに画面を眺めてるだけで指が動かない。
「…け、消さないなら私が消すよっ」
スマホを手から奪おうとしたら、櫻井くんは「わっ、だめ!今消すから待って」と慌てて言った。
「…、じゃあ早く」
「はい、はーい…おっけー消した」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
櫻井くんはあーあもったいねぇ、と呟きながらスマホをポケットに仕舞った。
もったいない、って…
そんな写真、彼女に見られたらどうするの。
「てか、高倉今日部活?」
「ううん違うよ。もう引退してるし。櫻井くんは部活っぽいね」
肩から提げたスポーツバッグをちらっと見る。
「うん。サッカー部は夏の大会まであるからな」
「そっか、大変だね」
「まぁな。でも好きだから辞めねぇよ。今辞めたら絶対後悔するし」
サッカーの話をしてる時はいつもキラキラした笑顔を見せる。
そんな櫻井くんが私は好き。
「部活じゃねぇなら何してたの?制服着てるから学校でしょ?」
「あーうん。ちょっと、引っ越しの手続きをしにね」
「え?高倉引っ越すの?」
「あ、学校は変わらないよ」
「なんだ、びっくりした。転校すんのかと思った」
「ふふ、しないよ。するならとっくにみんなに言ってるから」
「だよな。俺だけ知らねぇとかないよな」
「ないない」
もし転校だったら、櫻井くんは寂しがってくれるのかな。
転校なんて嫌だけど、そんなことを考えてしまった。
「引っ越しってことは学校遠くなんの?」
「ううん、逆。近くなる。今までは自転車通学だったけど、これからは徒歩になるの」
「へぇ」
「だからこんなとこに桜並木があるなんて知らなかった。この道通らないから」
「あ、そうだよな」
「ん?」
「や、そういや登下校で高倉に会ったことねぇなって思って」
「あ…そうだね」
櫻井くんはいつもここを通ってるんだ。
「じゃあこれからは会うかもしんないってことか」
「うん、だね」
「よろしく!」
ふはって櫻井くんが笑った。
前より櫻井くんと話す機会が増えるかもしれないんだ。
些細な幸せに嬉しくなった。
「家どっち?こっち?」
「うん」
「お、同じだ。じゃ途中まで一緒に帰ろ」
「えっ」
思わぬ誘いに声が出た私を不思議そうに見てくる。
い、いいの?
彼女に見られたらまずくない?
私はそんな疑問を胸に仕舞って、「…ううん、帰ろ」と答えた。
だってこんな機会、二度とないかもしれない。



