リシェルは子供のころにテイラー伯爵領に行ったことを友人達には話した事がなかった。だから、ニオル家兄妹が知らないのは理解できる。が、当事者のルーナも全く覚えていなかった事に、リシェルは僅かながら落胆していた。
 それを敏感に感じ取ったアントンが
「リシェルはルーナ嬢に会ったことがあるのか?」
と聞いてきた。ルーナは首を傾げて
「リシェル様の事は学園で遠くからお見かけしたことがあります。女生徒から大変人気がおありだと聞きました。そんな公爵家の方がわたくしのことをご存知だなんて……。」
と不思議がっている。公爵家の子息だと言う事は知っているようだ。
「僕がルーナ嬢に会ったのは9年ぐらい前だけど、そうだね、忘れちゃうか。」

 セイラがアントンとリシェルにも椅子をすすめてくれたので、二人はテーブルについた。アントンがセイラの隣りで、リシェルはルーナの隣りである。メイドが二人の分のティーセットを運んできた。

「9年前って学園に入る前か?」
アントンが聞いてくる。
「そうだね。ルーナ嬢は9歳だったと思う。あの時は父と一緒にテイラー伯爵家を訪ねたんだ。」
「ケント公爵と?」
ルーナは頬に手を当てて考え込む。しばらくして、はっ!と顔を上げた。
「もしかして迷子の?」
どうやら思い出してくれたらしいが、リシェルにとっては恥ずかしい事を公表されてしまった。ちょっと赤面しながらリシェルが頷く。
「テイラー伯爵家で迷子になったのですか?」
セイラが追い討ちをかけてくる。
「伯爵家というか、バラ園?で。」
リシェルは記憶を辿りながら答えた。
「まあ!ルーナ様の領地のお屋敷にはバラ園があるのですか?」
セイラはバラ園に興味があるように問いかけた。すると、ルーナは悲痛な表情で答えた。
「………あの頃はバラの農園があったのです。」