「では、柏原 翆さんは一週間前…いいえ正確には十日前にパリに発ったと言うことで間違いありませんね」
若い方の刑事に聞かれて俺は無言で頷いた。声に出して答える気力すら奪われていた。
さっき見た遺体は本当に妻の翆だったのだろうか、いや違う。―――そう思いたかったが、閉じられた目からも分かる長い睫毛、整った鼻梁、少し薄めの唇。そして何より彼女をより美しく引きだたせる右目下の泣き黒子。
翆に違いない。
無機質な、取調室と言う場所ではないが割と広い会議室のような部屋に通され俺は所謂事情聴取と言うものを受けている。勿論人生初の出来事だ。
「おかしいですね、ここ一か月前からフランスパリで”ハムレット”の演目はないんですよ。翆さんが航空券を購入した記録もない」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
「そんなバカな。妻は確かにハムレットの舞台に立つと言っていました」
だから翆が日本で死んだなんて信じられない。
「はぁ」年配の刑事が少しため息をついた。「あなたはそれを信じたんですか?」最初は初老とくたびれた感じを思わせたが目だけは威力があって爬虫類を思わせた。
「信じるも何も、疑う余地なんてない」ムッとして言い返すと
「奥さんは他にオトコがいてそいつと不倫してたんじゃないですか?」と言われ、今度ばかりは我慢ができなかった。
この男は、たった今妻を失ったばかりの夫に無神経なことをよく言えるな。それとも刑事と言うものがそもそもこう言う人種なのだろうか。いや、俺がガキの頃に散々厄介になったおもわりは少なくともこんな冷淡なものではなかった。俺たちを何とか更生させようと、どこか暑苦しいものすら感じていたのに。それとも交番勤務のおまわりと、刑事と言うのはここまで違うのか。



