オディールが死んだ日に


25歳の時に起ち上げた小さなゲームアプリの会社は十年経った今や、人材をはじめとする様々な運に恵まれて年商50億と言う中堅企業にまで成り上がった。


十年前は秘書の(はら)とエンジニア二人と言う人数で細々と経営していた。そのときは全然儲からなくて社員に給料を渡すのに精いっぱいだったのに、今や億万長者とはいかないまでもそれに近づいている。


自社ビルも買った。3億近い自宅マンションも買った。ブランド物を身に着け、高級外車を乗り回す。昔、夢見たことが実現してこのうえなく満足だと思われた。


Kick rook㈱  CEO 柏原 匠美


と言うのが俺の今の肩書で、名前だ。


世間では俺は成功者だと物語る人間は少なくない。


しかし問題はいつまでもまとわりついてくる。


今や若者の間でゲームは無くてはならない存在。家でゲーム機を使う、外出時にスマホで遊ぶ、ゲームセンターも日々進化する。


うまく時代の波に乗れた気はしたが、これがいつまで続くか分からない。新しいゲームが出たら少し前のゲームですら古いと受け取られ自然人が離れていく。ユーザー離れとは仕方ないことだが、それをいかにつなぎ留めるのかが悩ましいところである。だから最近はゲーム以外にも目を向けることにした。しかし運は良くても波に乗らなければ意味がない。


うんざりさせられるほどの会議の繰り返し、新しい取引先、融資の話。会議に会食に時折メディア雑誌の取材等々が入っていて一週間はあっという間に過ぎた。


案外……と言うかこうゆう生活に慣れてしまっているのか妻のいない生活もさほど苦ではなかった。会社では秘書の原が、家では家政婦の吉崎さんが仕事面でも生活面でもサポートしてくれてるから、だろう。


約束の一週間が経ち、しかしその日妻は帰ってこなかった。


”ごめんなさい、向こうでの滞在が少し長くなりそうなの。あと三日程で帰るわ”とメールが来たときは少しばかりがっかりしたが、一週間待ってあと三日待てないわけでもない。


”気を付けて”と簡潔にメールを返したのが



最後だった。