オスマンドの気配が消えて、セシルがまたリアーガに視線を戻す。

「大規模?」
「そういう噂だ。ジャールの話では、なんでも、王国軍だけでなく、王都から、騎士団がやって来るかもしれない、っていう話も挙がってるぜ」

「騎士団? 王宮の? こんな辺境までわざわざやって来るということは、戦が勃発した話も、予想を超えた数だったのかしら? 戦が勃発したのは、おとついなのに」

 ブレッカから早馬で緊急の知らせを飛ばしたとしても、今日――やっと、王都に着いた頃ではないのだろうか?
 それなのに、もう、王宮から、騎士団の派遣の話まで挙がって来ているようなのである。

 事態は、予想以上に最悪なのかもしれなかった。

「まだ噂だけどな」
「噂など、火の無い場には、煙は立たないものでしょう?」

「まあな」
「リアーガはどこから?」

「俺も、昨日までは、アトレシア大王国にいたぜ。ブレッカじゃねーけど。ジャールと落ち合うのは、コロッカルだ。まだ安全だからな」

「ですが、ブレッカからの移動など、無理なのでは? 今は戦が勃発していますから」
「いや、ジャールは、一応、ノーウッド王国の通行書があるから、問題はない。コロッカルの領境は、検問が張られているが、正式な奴まで止めることはしないようだ。そんなことしてたら、ギルドの方から、文句が挙がって来るだろうからな」

 ギルドで正式な傭兵の登録を済ませた傭兵たちは、余程のことがない限り、他所の国からの拘束を受けたりはしない。移動だって、正式な証明書があれば、それは仕事の一部なのだ。

 だから、戦で検問所が警戒していても、正式な証明書を所持している傭兵を足止めしてしまったら、ギルドから、正式な苦情が国に申し立てられる。

 国としても、戦のことでかかりきりなのに、ギルド商会まで(一応、社交辞令だろうと) 相手にしている暇はないのだ。

 それで、余程の状況や理由でない限り、正式な証明書を所持している傭兵は、検問でも、今はまだ止められる可能性は少なかった。

「向こうの気候はどうです?」
「雨季じゃないから、雨は少ない。極たまに、俺がいた時に、小雨が降っていた程度だ」

「そうですか。――こっちも、そろそろ種植えの準備が始まり忙しくなるのに、本当に困ったものですわ……」

「まっ、こっちの理由なんかお構いなしだから、戦になってんだろ」
「そうですけどね……」




 それからすぐに、セシルに召集された全員が、執務室に集まっていた。
 リアーガは、出された軽食をモグモグと平らげている。

「リアーガさん、久しぶり」
「よう」

 気軽に挨拶してきたフィロに、リアーガが口をモゴモゴさせながら、手を上げる。

「先程、ブレッカでの戦が勃発した、との報告が入りました」
「ブレッカですか?」

 問いてきたのは、この領地の騎士の制服を着ているラソムだ。
 ラソムはセシルに引き抜かれて、コトレアの領地の騎士団の団長を務めている。

 領地の騎士の制服は黒地で、袖や襟元には、階級章代わりに、色の違うストライプが入っているが、光物で目立たぬように、金のボタンなどは使用されていない。

 膝程まである長いジャケットにベルト付き、下も同じ色地のズボンに、膝下までのブーツ。
 一見、質素に見えるが、実用性はお墨付きの制服だ(ここだけの話、セシルが開発の協力をしたので)。

「ええ、そうらしいのです。それも、かなり本格的な。噂では、王都から、騎士団がやって来るかもしれないそうです」

「確かに、それは本格的ですね」
「ええ、そのようです。隣国の南で戦が勃発すると、戦の影響で、物資の流通が停滞、または、完全遮断される恐れがでてきます」

 この領地でそれが問題になるのではなく、食糧難で困窮した近隣の農村から、コトレアに食糧探しで、ゴソッと移民希望してくる村人の対応で、コトレアでは問題が挙がってきてしまうのだ。

 コトレア領は――ある意味、セシルが一手に統括している治外法権のような領地である。
 誰かれと、コトレア領に住み着くことはできないのだ。領地の統治方法と運営方法で、セシルに許可をもらえない移住民は、コトレアには入れてもらえない。

 そうなると、領境でキャンプしたり、難民――のような真似事で、領境(りょうざかい)をうろつく民が大勢出てきてしまったら、それこそ、コトレアでは、なかなか無視できない状態になってしまう。

 まさか、ほっぽり出したまま、餓死させるわけにもいかないが、無償で食糧の配布だってできるわけではない。そんなことをしてしまったら、領内の領民を餓死させてしまう恐れもある。

 隣国の問題なのに、それで影響がでてくるのは、ノーウッド王国も同じだった。

「それで、仕方がないのですが――私もその確認に行きます」

 そして、全員から、一拍無言の沈黙が返された。

「それなら、私も一緒に行きます」

 その中で普段と全く態度が変わらないフィロが、淡々と言った。

 セシルは、あまり思わしくない……という顔色を、ちょっと見せていた。

「今の段階では、戦に参戦するわけではありません。まだ、「見習い」 の子供を連れて行くのは得策ではないでしょう」
「見習いでもなくても、私達は一緒に行きます。止めても無駄です。それから、「見習い」 でも、私達は役に立つことを、マスターだってご存知でしょう?」

 それで、戦に出向くというのに、フィロは恐れも見せず、まるでそんなことを気にしてもいないかのような態度で、淡々としている。

 フィロの言い分はもっともで――セシルも困ったように浮かない顔をしている。

「お前ら、遊びじゃないんだぜ」

 リアーガ冷たく言い捨てた。

「いつ、子供の遊びって言ったんですか?」

 フィロも淡々と言い返す。

「あのね、リアーガさん、僕たちの覚悟、舐めないでくれます? 先輩だからって、偉そうにしないでください」
「なんだとっ」

「二人とも、おやめなさい」

 セシルが静かに二人を割って入る。

 まだ子供である――あの子達を戦場に連れて行くのは乗り気ではないが、それでも、今セシルの領地にいる中の人材で、あの子供達ほど()()()動き回れる子達はいないのだ。

「仕方がありませんね……。フィロ、同行を許可します。全員、一時間以内に、旅支度の準備をさせてください」
「わかりました」

「ラソム、対策本部以外で、野営用のテントが――そうですね、二台。それから、最悪のケースを想定して、数週間滞在できる準備を整えて。予備のマントを、リアーガともう二つ。サイズは、リアーガくらいの体格で、問題ないでしょう」
「わかりました」

「移動用の荷馬車は、子供達の誰かに引かせましょう。残りは、騎馬で。イシュトール、ユーリカ、あなた達二人は、重装備で」
「わかりました」
「わかりました」

「私がしばらく邸を空ける間、全ての連絡事項はオスマンドへ。今夜の定例報告会での状況説明も、よろしくお願いね、オスマンド」
「かしこまりました。マスター、今夜の携帯食は、どうなさいますか?」

「そうねえ……。12人分から15人分、用意してくれませんか?」
「かしこまりました」
「準備が整い次第出立します。全員、取り掛かってください」

 全員が一礼して、すぐに執務室を後にする。

「俺はおかわり欲しい」

 椅子から立ち上がったセシルは、リアーガを見返す。

「今は忙しいから、勝手に厨房に行って、頼んできてね」

 成長期は過ぎたはずなのに、相変わらず、よく食べるリアーガだ。
 感心してるのか、呆れているのか、そんなセシルも執務室を後にしていた。