それなのに、鏡に映る()()()髪の毛は、サラサラと癖がなく、どこまでもストレートで、折り目も、くせ毛もない、真っ直ぐな髪質だった。

 きれいねぇ……なんて、普段だったら、羨ましく、憧れていたことだろう。
 だが、今は、全くそんな感情さえも上がって来ない。

「あら? お嬢さま、もう、起きていらっしゃったんですか?」

 静かに部屋の中に入って来た若いメイド? ――らしき少女が、鏡台の前に座っているセシルを見て笑みを浮かべ、頭をゆっくりと下げて行く。

「おはようございます、お嬢さま」

 じっと、その若いメイドらしき少女を観察している自分自身は、部屋に入って来た人物を見ても、全く認識していない。でも、『セシル』の記憶には、ちゃんと残っている。

「オルガ……」
「はい、お嬢さま」

 オルガは、数年前からこの屋敷にやって来た少女で、最初は、見習い侍女の仕事をしていた。
 仕事に大分慣れて来た様子のオルガは、今年から、セシルの“世話焼き”という仕事を任されている。

 でも、まだ若い少女だ。確か、15~6歳くらいではなかっただろうか。

 ()()()()――自分自身では知らない世界で、場所なのに、頭の中に、勝手に浮かんで来た単語だ。『セシル』 が慣れ親しんだ、知識だ。


(ああぁ……、更に、混乱しそう……。もう、いや…………)


 現世(なのか前世) の自分自身の記憶と知識。
 今、この体の持ち主だった『セシル』 の記憶と知識。

 ごっちゃ混ぜになって、それでも、考えもせずに、スルスルと、勝手に頭に浮かんで来る単語。

 『セシル』 が黙り込んでいる側で、オルガは窓側に行き、カーテンを開けて行く。

「今日のお召し物は、なにになさいますか、お嬢さま?」
「なんでも、いい……」
「はい、わかりました」

 オルガはご機嫌な様子で、(勝手に)『セシル』 の今日のお召し物を選び、セシルの着替えを手伝ってくれた。

 手慣れた様子でセシルの髪をブラシで()き、それで、今日の『セシル』 の整いが終わっていた。

 その間、ただ黙り込んでいる『セシル』 を不審に思わず、オルガは『セシル』 を鏡台の椅子から降ろしてくれた。

 着ているドレスを見下ろすと、高級そうな布地に、繊細なレースがついて、丁寧に(ほどこ)された刺繍がされている。

 子供用のドレスだからか、ふわっとスカートは広がっているが、コルセットをしたり、大袈裟なクリノリンをつけなければならないようなドレスではなかった。

 そのことに安堵すべきなのか、感謝すべきなのか、今の『セシル』 には、何とも言えない状況だった……。

 朝食の為、ダイニングに向かう為に、小さな体でオルガの後をゆっくりとついていく。

 通り過ぎて行く屋敷の内装や、ドアや、通路や、壁や、天井や、そういったものが、全て西洋風で――造り自体が、中世や近世のヨーロッパを思い起こさせるものだ。

 ダイニングになっている部屋に行くと、すぐに、そこにいた小さな男の子が駆け寄って来た。

「おねーさまっ!」

 自分の体に抱きついてきた小さな男の子。
 サラサラとした金髪に近い銀髪で、その小さな体で、ぎゅぅっと、自分を抱きしめて来る。

「シリル……」

 顔を上げた男の子の瞳は真ん丸として、その深い藍の瞳が嬉しそうに輝いている。
 まだ幼さが残るほっぺが柔らかそうで、つい、指で突いてしまいたくなる衝動に駆られてしまう。


(なんて、可愛い男の子なのかしらね……)


 お人形さんみたいに可愛くて、その小さな体を、ぎゅぅっと抱きしめたくなってくるほどだ。
 『セシル』 の弟の、シリル、だ。

「ああ、セシル、おはよう」

 テーブル越しから子供たち二人を眺めながら、優しそうに瞳を細めて行く男性。

「……お父、さま……」

 本当に優しそうに、そして、嬉しそうに、瞳を細めている男性は、子供達が可愛くて仕方がない、という表情も、雰囲気も、体中から溢れ出ているかのようだった。

 どこまでも優しい、父親だ……。

 これが、『セシル』 の家族だった。

 母親は、数年前に流行病(はやりやまい)で亡くなってしまった。それからは、ずっと三人だけの家族である。

 大きなダイニングテーブルの前で、クッションが乗った椅子に座り、『セシル』 とシリルは朝食を取る。
 目が覚めて――変な意識が冷めて、初めて食べる食事だ。この世界の、食事だ。

 今朝のメニューは、スープにパン。ものすごい硬いパンを見る限り、スープにつけて食べるのだろう。
 スープのダシは効いているのかもしれないが、なにか、あまり味気のないスープだった。

 それでも、丁寧に磨かれた銀食器。洒落た陶器の食器。
 見上げる天井にはシャンデリアもあり、そういった些細なものにも全て、富をうかがわせるものだった。

 なんとか無事に朝食を済ませた『セシル』 は、恒例なのか、午前中はシリルと遊んで時間を潰す。

 こうやって、何も考えないで、適当に体を動かしている方が、気が狂わなくて済むわね……。

 シリルは、大好きな姉の体に、誰か知らない人間が乗り移ったかもしれない事実を知らないだろうし、気付いている様子もない。
 ただ、嬉しそうに、にこにこと笑顔を浮かべ、『セシル』 と遊んでいた。

 気が狂ってしまいそうな、ささくれた心には、可愛らしいシリルの笑顔に癒されるものだ。

 また、眠って、目を覚ましたら――今度こそ、本当に、()()の自分に戻れているのだろうか……?

 考えたくない最悪の状況なのに、心の奥で、その考えを止めることができないでいた……。