それから数日後。

 日々穏やかで、あまり(に真新しいことが次々と開発されて大忙しの) 普段と変わらないその日の午後、コトレアの領地には、早馬で駆けて来た騎士達が邸にやって来ていた。

 玄関先で出迎えた執事の前に、どうやら、ヘルバート伯爵家からの急報を届けにやって来たようだった。

 普段と全く変わらず、冷静で、凛としたままの執事のオスマンド。――だが、その胸の心境は落ち着かず、心配が上がってきてしまう……。

「それで、どうなりましたか?」

 ゴクリ――と、聞こえぬ唾を飲む音が、自分の耳に良く響く。

 だが、緊張して待っているオスマンドに反して、かなりのスピードで王都から騎馬で疾駆してきた騎士達は、まだ肩で息をついているような様子でも、にこやかな笑顔を出した。

「ええ、セシルお嬢様は、無事にご卒業なされました。全く問題もありませんでした」
「――そう、ですか……」

 一瞬、執事のオスマンドの顔にも、(つい止められず) 嬉々(きき)とした色が浮かび、少しだけ顔が緩んでしまった。

 すぐにその顔を引き締め、
「もう一つの件は?」
「ええ、そちらも全く問題はありませんでした。婚約解消成立です!」

 なぜかは知らないが、ヘルバート伯爵家の私営騎士のはずなのに、そこで大宣言をかます騎士。

「そうなのですかっ!?」
「はいっ。正式に、公式に、お嬢様は、あの侯爵家のバカ息子から婚約解消なされたのですっ」

 そして、騎士とは言えど、私営の騎士で、使用人である。()()()()、と貴族を愚弄できるような立場でもなければ、身分でもない。

 つい、嬉しさが勝って、(個人的な感情が) 出てしまった言葉である。

 だが、そこにいる残りの騎士も、執事のオスマンドも(全く) その点を指摘しない。

「そうでありましたか。それは、朗報でございます。――――ああ……、長かった……」
「そうですね。オスマンドさんも、心配なさっていたことでしょう。旦那様が、きっと領地の領民達が心配しているから、早急に知らせてやるべきだろう、とおっしゃられて」

「そうでございましたか。旦那様には、この領地からよりも感謝申し上げます。――さあさ、皆さんも、早馬でお疲れのことでしょう。部屋を用意させますよ。食事も」
「ああ、ありがとうございます」

 なごんだ雰囲気のその場で、三人揃って喜びが隠せない為、馬を使用人達に任せて、邸に入って来る騎士達もイソイソと落ち着きがない。

「ああ、二人に部屋を用意してあげてくれないかな? 食事も頼んだよ」
「かしこまりました」

 まだ若い侍女がオスマンドの指示に頷き、そこで一礼した。

「私はすぐに皆に知らせなければならないからね」
「はいっ、わかりました」

 実は、執事のオスマンドと一緒に玄関先にやってきていた若い侍女だって――ちゃーんと、今の朗報を(しっかりと) 耳にしていたのだ。

 それで、湧き上がってくる嬉しさに勝てず、満面の笑みを投げる。


「やったぁっ!!」


 つい、出ちゃった叫びである。

 普段なら、すぐそこで注意がされて、きちんと叱られる場面でも――今日は仕方なく、オスマンドもその奇声は見逃してあげることにしたのだった。

 それからすぐに、15分もしないで、邸から飛ばされた急報が、領地全土に広がった事実は言うまでもない。


「婚約解消!?」
「やったぁっ――!!」
「万歳っ――!!」


 邸から飛ばされた急報を持って、領民達の前でその知らせを告げる領地の騎士達の前で、全員から全員揃って、同じ反応が帰って来た。

 そして、すぐに大歓声が沸き上がる。

 うわぁーっ!

 通り中で、領民達が万々歳で大喜びである。
 領内の宿場町でも、お店から、全員、顔を出して急報を確認してきた領民達が、大騒ぎ。

「今日は無礼講だっ!」
「全員っ、俺の店で1杯ずつ奢ってやる! 祝いの酒だっ!」
「やったぁ――!」

 大喜びしながら、感涙もどきの涙まで流して喜び出す主婦の群れ。

 全く状況が把握できていない小さな子供達など、ポカンとして、その奇妙な行動をする大人達を見上げている。

「どうしたの?」
「今日は、お祝いなのさっ!」
「そう。お祝いだっ!!」

 祝いをする理由は全く理解できず。
 だが、お祝いで浮かれるのは、子供達も嬉しいのである。それで、うわぁーい! と、通りを走り回る子供達。




 そんなこんなで、その日、コトレアの領地では、どこもかしこも、賑やかなお祝いで大騒ぎだったそうな。

 ここまで――領地一体になって、若い領主名代サマのご令嬢の婚約解消を祝う土地があるのだろうか……?

 商用などでこの地を訪れていた外聞の人間は、一体、なんの天変地異が起きたのか……などと、(絶対に) 奇妙がっていたことだろうに。


* * *


「マスター、お帰りなさいませ」
「「お帰りなさいませ」」

 コトレア領の領主の邸である玄関前で、使用人全員が丁寧に頭を下げていた。

 その筆頭にいる執事のオスマンドが、ゆっくりと顔を上げた。

「マスター、お帰りなさいませ。旅はいかがでしたでしょうか?」
「ただいま戻りました。旅路は順調でしたわ」

 スッポリと全身を隠してしまうほどの真っ黒なマントを羽織り、馬の上で全員を見渡しているお若い領主サマを見て、使用人全員の顔がほころんでいく。

 セシルは身軽に馬から降りて来て、控えている馬係りの使用人に手綱を手渡した。

「皆はどうです? 変わりありませんか?」
「はい、マスター。日々、つつがなく、問題もございません」
「そう。それを聞いて安心しましたわ」

「マスター」
「なんですか?」

「玄関先ではございますが、まずお邸にお入りになられる前に、どうか、私からも、お祝いの言葉を。ご卒業、おめでとうございます」

 そして、感極まったように、(玄関先なのに) 執事のオスマンドが深く一礼した。

 ありがとう――とセシルが口にする前に、
「「マスター、ご卒業、おめでとうございますっ!」」

 使用人達、全員に先を越されてしまった。

 そして、執事と同じように、使用人全員が深々と頭を下げていく。

 その間――誰一人として、“婚約解消”の件は触れない。

「あらあら。皆、ありがとう。私も正式に卒業しましたので、これからは、しっかりと領主のお仕事に専念できますね」

 いえいえ。

 「領主名代サマ」 だろうと、セシルほど()()()()()その立場を理解して、その仕事を万全にこなしている領主サマなどいない。

 はっきり言って、頭を下げている使用人全員、これ以上しっかりし過ぎたらいけませんわ。体を壊してしまいます――せめて、もっと()()()()()()()()、なさるべきです――と、全員一致の言葉に出されない心配は、胸にしまわれる。

 なにしろ、このお若い領主サマ。お若いだけではなく、非常に高い能力をお持ちで、その能力も証明済みである。
 機動力もあり、行動力もあり、おまけに、統率力は全く問題なく、ありとあらゆる政策を始め、施行し、ただの田舎の一農村であったコトレア領を、見事に“町”まで作り上げた手腕をお持ちでもある。

 昔から、ジッとしている時も場もなく、いつも仕事で動き回っている状態だ。

 止まることもなく全速力で、はっきり言って――周囲にいる者達が(全く) ついていけないような、ものすごい早いペースで、一人で何でもやってのけて、一人で何でもやり遂げてしまうほどの領主サマなのである。

 仕事をこなす量も量だが、そのスピードだって、尋常ならないものがある。