「セシル、気を付けて行っておいで」
「はい、お父様。後のことはよろしくお願いしますね?」
「ああ、もちろんだよ。心配しなくていいさ」

 ぎゅぅっと、セシルが大好きな父親に抱きついていき、父のリチャードソンも、可愛い娘とのお別れに、しっかりとセシルを抱きしめた。

「セシルさん、気を付けて行ってっらっしゃいませ。また、豊穣祭で会いましょうね?」
「はい、お母様」

 そして、次に、母親のレイナにも、セシルはハグをする。

「姉上、お気をつけて」
「ありがとう、シリル。いつでも遊びにきてね」
「はい、考えておきます」

 最後に、可愛い弟にもしっかりとハグをする。
 次に会う時は、きっと、シリルの身長がまた伸びて――今度こそ、セシルの身長を追い抜かしてしまうかもしれない。

「それでは」

 セシルは身軽に馬の背に騎乗し、その場の騎士達に合図をすると、馬が快調に駆け出した。

 使用人の全員が、丁寧に頭を下げている。

 護衛の騎士達の他、王都から持ち帰る荷物を積んだ荷馬車が動きだし、見る見る間に、伯爵家の屋敷を去っていった。

 ここだけの話だが、セシル付きの侍女であるオルガは、昔は馬車に揺られて移動をしていた。
 だが、セシルは時間が押していると、護衛の騎士達を数人だけ連れて、さっさと領地に戻ってしまうことが毎回になってしまって、セシルからは、


「ゆっくり戻って来てくれればいいわ?」


などと、信じられないほどの優しい主サマからの言葉を受け取って、感動しているオルガだった。

 だが、オルガだって侍女としての矜持(きょうじ)はあるのだ。


「私は、お嬢様付きの侍女でございます。その侍女が、お嬢様のお世話もできずに馬車に揺られているなど、言語道断の行いでございます!」


 それから、オルガも必死に乗馬を習い、今では――侍女の矜持とプライドにかけ、セシルが移動する時は、絶対においてけぼりになんてならないぞ! ――との意気込みすごく、一緒に騎馬で移動することができるようになったんです。

 セシルは、本当に愛されていますねえ。


* * *


 時を(さかのぼ)ること少し前――――

 ノーウッド王国南方には、小さな農村が続く領地がたくさんある。南方は王都側に比べて、発展途上と言える土地が多く、領地の発展もほとんどされていない、所謂、()()が多いのだ。
 町とも呼べないほどの大きさの領地が揃い、ほぼ農村だけで成り立っているような場所ばかりだ。

 その中で、南方でも少し西よりに位置する場所に、ヘルバート伯爵領コトレアという土地がある。

 それぞれの領地はかなり離れた場所にあって、行き来することも簡単な距離ではないが、地理的で言えば、近隣の領地から――あまりに突出している、一領地だった。

 近年では、商業や商隊などの交易路として、コトレアの領地を利用・活用する人達がかなり増えだしていた。

 そして、コトレアを訪れる人達の間から決まって上がる決まり台詞、


「あの町って変わってるよなあ」
「そうそう。でも、面白いよなあ」


などなど。

 そういった噂がチラホラと上がりだし、面白半分、確認半分など、領地にやって来る外部の人間の数が、かなり増えだしていた。

 人口と言えば、千人ほどの“小さな町”と呼べるような大きさだ。
 領地に暮らしている領民達も、日々、つつがなく暮らしている。

 その領地には、昔は領城と呼ばれていた領主が住んでいる邸がある。小高い丘を利用し、その上に(そび)え立つ邸。

 周囲の小さな家屋や建物とは違い、貴族が居住する邸としての風格を備えていた――が、華美でもなく、絢爛豪華(けんらんごうか)でもない。
 貴族の邸には見えても、ただ、それだけの建物だった。

 そんな平和な領地で、今日のこの日、領内では、どこに行っても、領民達の気もそぞろだった。
 ソワソワと落ち着きなく、日課の仕事中でも、誰もいない後ろをチラチラと確認してみたり、お昼を食べながらも、つい――その思いが、全く違う場所に馳せていた。

 コトレア領の領主の館である邸内でも――そこで働いている使用人の行動が落ち着きない。

 ここにも一人。

 きちんとした燕尾服に身を包み、背筋正しく、テーブルの上にフォークやナイフ、スプーンなどを並べ、その一本一本を手に取り、丁寧に拭いている。
 これは毎日の日課で、全くいつもと変わらない仕事の一つだ。

 燕尾服を着た紳士は、邸の管理を一手に任されている執事のオスマンドである。

 元は、王都にあるヘルバート伯爵家のタウンハウスである屋敷を任されていたが、セシルの父親であるリチャードソンから直々に頼まれて、コトレア領の邸を管理する為に、コトレアに移って来た一人だった。

 お貴族サマに仕える執事と言うものは、大抵、何においても冷静で、卒がなく、屋敷の管理も、屋敷で働いている使用人の管理も、そして、当主様の身の回りから仕事の世話まで、完璧にこなすことができる有能な人物が多い。

 なにしろ、貴族と言えば――まあ、ピンからキリまであるのだが――大抵、自分の領地で何が起きているのかも知らなければ、把握していない貴族などたくさんいる。

 そんな(役立たずの) 貴族サマが、なぜ、生き延びていけるかって?

 それは、陰ながらお貴族サマを支えている有能な執事と、働き者の使用人達によることが多い。

 陰の功労者とも呼べよう執事の有能さで、お家一つ潰れるか、盛り上がるか、そこまで大袈裟に、その一家の左右を簡単に決めてしまう重要な役職だ。

 ノーウッド王国や近隣諸国の王国もそうだが、一応、執事学校という執事を育成する専門の機関がある。執事見習いで貴族の屋敷などに泊まり込みの若い執事達が、貴族の推薦を受ければ通える、要は専門学校である。

 その成績次第では、高位貴族の専属執事として、永久就職が決まることもある。