「まったく、ひどいですねえ」

 書類と睨めっこしていたアルデーラは、視線だけを上げた。

 アルデーラの向かいで、机越しに立って、同じように書類を整理しているレイフを見上げる。

「なにか問題が?」

「ええ、大問題です。私は、直接、挨拶もされませんし、その後だって、ダンスを踊れたわけでもありません。おまけに、朝食会では、顔も見えませんでした。話もほとんどできていませんでしたしねえ。それなのに、もう明日、領地に戻られる日がやって来てしまったではないですか」

 夜会では、ギルバートがセシルを独占して、レイフが付け入る隙もなし。

 その後、王家や王族を遠ざけたいであろうセシルの行動を理解して、セシルとの面会は、ギルバートに牽制されたままだ。

 はっきり言って、この王宮内で、ギルバートの次にあのセシルに会いたがっていたのは、言うまでもなく、この弟のレイフである。

「ギルバートに、文句を言えばよいではないか」

「ええ、言いましたとも。ちゃんとねえ、はっきりと。でも、そこまで押しつけがましいと、嫌われてしまいますよ、なんて逃げられて、牽制されて、まだ会えないままなのですがねえ。これ、一体、どういうことだと思いますか? 一大事でしょう?」

 レイフの愚痴には、アルデーラも一切口を挟まない。レイフを無視して、書類を片づけることを決める。

「私など、反対もなく、最初から、大賛成しているではないですか?」

 たかが、報告書の書類を見ただけなのに。

 アルデーラのぼやきを簡単に読んでいるレイフは、まだ続けていく。

「書類だけでも十分ですよ。あの事件の時でも、話す機会はほとんどありませんでしたが、観察する機会はたくさんありましたしね。あれだけの手腕なら、もっと話をしてみたら、興味深いことでしょうに」

 ああ、本当に残念だ――と、心から悔しがっているなんて、セシルもこんな弟に目を付けられて、同情すべきなのだろうか。

「アデラが、王妃として、かの令嬢を快く迎えるそうだ」
「ほう?」

 きらりん、とでも言えそうな効果音と共に、レイフの瞳が光っていた。

「私一人だけ、完全に除け者ではありませんか。ギルバートのせいで」
「私は、全く関わっていないが」

 レイフが薄っすらと口元を曲げる。

「冗談もほどほどにして下さい。しっかり、“目”を向けているではありませんか」
「なんのことだ?」

 王宮内に飛ばしている“目”が、しっかりセシルを監視していることなど、レイフにはお見通しなのだ。

 セシルは、今は、ギルバートの最愛の思い人の女性になり、今までの状況とは、少々、変わった立ち位置になる。

 だからと言って、あの謎のセシルの所在を王宮内で放ったらかしにしているほど、アルデーラは甘い男ではない。

 それを重々に承知しているレイフだって、アルデーラが、密かに、セシルの周囲に配置させている“目”も“耳”もいたとしても、全く不思議はなかった。

 アルデーラは、他人の報告に耳を貸す国王である。きちんと話も聞く。

 だが、自分自身で納得していないことを放ったらかしにしておけるほど、寛容な男ではない。

 特に、出会いは衝撃で、その後もずっと、「正体不明」、「謎の令嬢」として警戒してきた存在だけに、弟のギルバートの我儘を許したとはいえ、監視程度は続けているのだ。

「晩餐会をすべきでしょう」
「ギルバートに言えば良いだろう?」

「ええ、もちろん言いましたよ。それなのに、領地に帰る支度などで忙しいだろう、などと、有り得ない言い訳ではありませんか」

「さあ」
「支度など、侍女にさせておけばいいでしょう?」
「さあ」

 貴婦人の準備やら支度には、一切、かかわったことがないアルデーラだ。

 それがどれだけかかって、どんな準備になるのかさえも知らない。

「一体、どういうことですかね」
「ギルバートに文句を言えばいいだろう?」

「言いましたよ。なのに、全然、聞き入れていないではありませんか」
「私の知ったことではない」

 アルデーラは、国王陛下としての仕事で、多忙を極めているのだ。

 セシルを夜会には呼んだ。王家の朝食にセシルを呼んで、(密かに)紹介も済ませた。アデラもお茶会をした。

 もう、一応、それで、当初の要件は済ませたことになっている。

 あとは、あのギルバートの腕次第、と言ったところだろうか。

「いやあ、時間がないではありませんか」
「いや、もういいから、しっかり仕事しなさい」

 全く、毎回、アルデーラがレイフを叱り飛ばして、脱線した状態から仕事場に引き戻さないといけないのだ。

 おいおい。
 敏腕宰相のあだ名は、一体、どこへ消えてしまったのか?

 愚痴が止まないこのレイフの様子を見る限りでは、敏腕どころか――ただの時間の無駄、ではないのか?

 全く、仕事は山積みで、多忙を極めているというのに。