だから、セシルが心配するほど、リチャードソンもレイナも、残りの貴族達の反応など、(つゆ)にも問題にいれていない。

「それならいいんですけれど……」
「ええ、そうですわ。ですから、そのようなことは、些末なことですわ」

「わかりました。でも、何かあったら、すぐに知らせてくださいね」
「もちろんですわ。そんなに心配なさらなくても、大丈夫ですわよ」

 そのセリフは、いつも、セシルが皆に言い聞かせてきたセリフだ。
 今は、母のレイナが。セシルに言い聞かせる台詞に変わってしまった。

 それが可笑しくて、ふふと、セシルもちょっと笑ってしまった。
 こんな家族の団欒も。しばらくの間、お別れだ。

「セシルさん、領地に戻られても、仕事のし過ぎはいけませんわよ」
「わかっております」
「本当ですの?」

 じとぉーっ、とも言えなくはない鷹のような鋭い眼差しを向けられて、セシルもにこやかなまま、その表情を――固まらせたままだ。

「母上、そのようなことを言っても、絶対に無理ですよ。姉上が多忙でない時など、今まで一度だってありませんでした」
「そうですわね。ですが、今はまだ若さで頑張っていらっしゃるようですけれど、無理ばかりしていては、体を壊してしまいますわよ」

「無理は、しておりませんので」
「本当ですの?」

 そして、第二弾の、じとぉーっと、圧のある眼差しがセシルに向けられる。

「オルガからいつも聞いていますよ。セシルさんは、食事も抜いてしまうことが頻繁だ、などと」

 おや?

 オルガは、セシル付きの侍女である。昔からセシルの世話をしてくれている侍女だ。
 それがどうしたことか――母のレイナに()()()である。

 コトレアの領地にある邸でも、セシルが仕事で多忙な時は、面倒くさがって、すぐに食事を忘れてしまいがちな傾向にあるのを、傍で仕えている使用人達は、あまり賛成していない。

 若い領主サマの手腕は見事なものだが、それでも、仕事のし過ぎで倒れないだろうか……、体調を崩さないだろうか……と、いつも、ものすごーく心配しているのだ。

 それで、伯爵家の女主であるレイナから、「セシルの近況報告をしてくださいね」 と頼まれた時も、オルガはありのままの事実をきちんと説明したのだ。

 これは誓って言うが、決して、セシルに対しての裏切り行為では断じてない!

 もちろん、()()()、でもない!

 コトレアの領地の邸の使用人は――結局は、全員、セシルに甘々なので、最後の最後では、セシルの言うことを聞いてしまうのだ……。

 そうなると、残された手段は、母親のレイナからの説得(説教) だけである。

「もう、オルガったら」
「セシルさん、仕事のし過ぎで体を壊して、大変なことになってしまいますわ」
「……はい、わかっておりますわ、お母様。十分に気を付けていますので」

 やはり、母親の前ではセシルも――無理押しはできないのだった。




「では、行ってまいります」

 朝早くだと言うのに、タウンハウスの屋敷の前には、家族全員の見送りだけではなく、使用人全員まで、ズラリと立ち並んでいた。

 セシルは領地に戻る準備も終え、今日は旅立ちの日である。

 セシルの出で立ちは、普段、着ていたドレスでもなんでもなく、動きやすいようピッタリとしたズボンに長いブーツ、その上はボタンのついたシャツにベスト。

 この時代では――貴族の子女なら、ほぼ、絶対に有り得ない“男装”ということになるのかしらね?

 でも、セシルは動きやすい洋服が一番だと思っている。
 なにしろ、これから南方の領地コトレアに向けて馬を走らせるのだから。

 そして、洋服の上には、マント――と言っても、クロークと同様で――袖がなく、体をスッポリくるむ長い外套を羽織っている。頭には(日焼け止め用に、ものすごく仕方なく) ツバの大きな帽子を。

 貴族の令嬢ともなると、日焼けすると、外で働く平民と同等の扱いをされ、嘲笑や小馬鹿にされる対象になってしまう。
 その為、昔から外で動き回ることが多いセシルは、暑い日差しの下、蒸し蒸しと頭から湯気が上がっていっても、ものすごーく仕方なく、ツバの大きなロングケープハットを被っている。

 日焼けをするわけにはいかないので……。

 屋敷の入り口前で馬の支度をしたり、荷馬車の準備をしている騎士達も、揃って同じようなマントを被っていた。

 騎士達は、伯爵家の私営騎士達ではなく、コトレア領からセシルを迎えにやってきた騎士達である。
 立襟がある黒地の長いマントがスッポリと全身を隠し、そして、全員が全員、頭に同じ黒地のケープハットを被っていた。

 現代のキャップに、後頭部と首をしっかりと隠すような垂れ布がついているハットだ。

 全員が揃うと――そこら一体が真っ黒に染まったかのようで、(ノーウッド王国にはいない) (からす)の集団がその場に集まったかのようでもある。

 一見したら――かなり異様な光景、とも見えなくはない。

 だが、この黒地のマントは、セシルが練りに練って領地で開発した、“異世界初”リバーシブルマントなのだ!

 そして、立襟のボタンを外すと、そこで頭をすっぽり隠せるフードを取り付けることができる。

 今の所、四色の違ったマントのカラーが用意できて、それぞれの色を裏返しにしたり、ボタンを付け替えて組み替えたりして、超お役立ちグッズである。

 これを領地で開発し、セシルが雇っているお針子達に作ってもらった試作品を見て、


「おおぉ……っ――!!」


と領地の騎士達も感動しているようだった。

 そもそも、この世界では、同じ洋服を全く違う用途で使用したり、同じものを違う洋服に変えたりという概念がない。

 セシルのグッドジョブだ!

 それで、今ではコトレア領の騎士達は、全員、このマントを身に着けている。

 じゃあ、「袖がないなら、クロークじゃない?」 って、言われてしまうかも。