二人がパーラーに着くと、両親である父と母が、ゆったりとしたカウチに座って待っていた。

「ただいま戻りましたわ」
「お帰り、セシル」
「お帰りなさい、セシルさん」

 軽く挨拶を済ませたセシルは、両親の向かいのカウチに腰を下ろしていく。
 シリルもセシルの隣に腰をおろした。

「どうでしたの……?」

 セシルが腰を下ろすとすぐに、母のレイナが――心配を隠せない様子で、質問してきた。

「なにも問題はありませんでしたわ。国王陛下の名の下に、慰謝料を請求してくださるそうです」
「そうですか……。それは――朗報に、なりますわね」
「ええ、そうですね」

 口には出さないけれど、隣で座っている夫からも――安堵の息が漏れていたのは言うまでもない。それで、安堵して、気が抜けてしまってもいる。

「お父様もお母様も、そのように心配なさらなくても大丈夫ですのよ。なんだか、全く問題もなく、問題解決しましたものね」
「ええ、そうですけれどね……」

 その点には――リチャードソンもレイナも、素直に同意すべきなのだろうが……。

 問題なく解決したのは――なにしろ、返り討ちもできないほど徹底して、容赦なく、セシルが叩き潰したからなのにぃ……という事実は、それぞれの胸にしまわれていた。

「もう王都での用事は全て終えましたので、明日、コトレアに向けて発ちます」
「ああ、そうか……」

 行動の早いセシルだから、きっと、そうなるだろうな、とはリチャードソンも予想していたことだ。
 だから驚きはしないが――またしばらく可愛い娘に会えなくなると思うと、寂しいものだ。

「ただ、私が王都を()ってしまったら、きっと、お父様にもお母様にも、迷惑がかかってしまうと思いますわ。今回は、まあ、問題なく問題が片付きましたけれど――これから、お父様達には、貴族間の風当たりが冷たくなってしまうかもしれませんし……」

 セシルと伯爵家全員にとって、セシルの婚約解消は()()とも言える大成果だ。
 その結果に、誰一人、文句などない。

 だが、貴族社会では、セシルは公で婚約解消されただけに、伯爵家の名にも傷がついてしまったし、社交界などでも、


「娘さんが婚約解消――」


ヒソヒソ、ヒソヒソ、などと陰口を囁かれたり、


「傷物ですなあ。娘さん自体に問題でもあったのでは?」


コソコソ、コソコソなどと、くだらない貴族の冗談まがいの中傷を受けてしまうだろうことは、セシルも簡単に予想がついた。

 セシルのせいで、両親が肩身の狭い思いをしてしまうかもしれないことは、セシルも望んでいない。

 だが、セシルの心配とは反対に、父のリチャードソンは、全くなんでもないことのように優しく微笑んだ。

「そんなことなど心配しなくていいんだよ、セシル。言いたい者には勝手に言わせておけばいいさ」

「そうですわ。その程度の噂話など、日常茶飯事ですもの。次の新しい話題がでてくれば、すぐに消えてしまいますわよ。心配なさらなくても大丈夫ですわよ、セシルさん」

 なにしろ、お貴族サマというのは噂好きである。
 お金があり、暇を持て余している貴族が多いだけに、自分達を刺激する事件や出来事、面白おかしく他人を(けな)せる話題などには、目にも止まらぬ速さで食いついてくる。

 それで、誰が一番にその情報を持っているか、情報通か、まるで社交界でのトレンドをいち早く取り入れるかのような素早さで、そういった噂には飛びついてくる(下賤(げせん)で低俗な) 貴族も多い。

 その程度の貴族の“お喋り”など日常茶飯事で、そういった噂話が上がってきても、賢い貴族達は、その話題に参加するか、それとも、ただ静観するか、耳を貸している(聞いている振りをする) か、そこで、すぐに判断をつけることが多い。

 下手に噂話に乗って、自らも話題の渦中に身を置いて、もし、それが自分の想定する、または予想していた事態とは真逆に動いてしまった場合、自分の顔に泥を塗るだけではなく、立場や地位の損失に繋がる最悪の可能性だってあるのだ。

 そういった権謀術数(けんぼうじゅつすう)蔓延(はびこ)る貴族社会で生き抜くにも、機転も必要だし、その時々の状況判だって必要なのだ。

 その点、伯爵家の当主であるリチャードソンは、自分から、滅多なことでは“噂話”などに花を咲かせない。
 大抵、「ああ、なるほど」 と、聞いている振りをしているか、「うんうん」 と、親身に頷いてみせるかのどちらかだ。

 昔から、父のリチャードソンは、自分に関係ないことを聞かされても、簡単に耳から素通りする(ある意味便利な) 癖があった。

 特に、口さがない()話など、一生かかっても尽きないほどに、毎回、毎回、話題で上がってくるものだ。

 それで、リチャードソンはその見た目通りの穏やかな様相を崩さず、ただ、口元に淡い微笑みを浮かべて、傍観していることが多い。

 その妻のレイナだって、伊達に伯爵家の妻をしているのではない。

 女同士の戦いなど――殿方が集まる集会よりも、遥かに激戦で、火花を散らし、下手な隙を見せては、即座に足を引っ張られることだって頻繁だ。

 足の引っ張り合いだって、(殿方からしてみれば) あまりに恐ろしくて、口を挟むことだって容易ではないほどの、女同士の“バトルフィールド”である。

 おほほほほほほほ、と(たお)やかな貴婦人らしい微笑みをいつも浮かべ、動揺せず、それでいて、その背後では、隠しナイフやマシンガンもどきの激しい攻防をみせて、裏切りも、人気組み乗り換えも、味方の蹴落としも――本心・本音を隠して、にこやかに繰り広げられる。

 そういった能力は、年を取れば取るほど、更に磨かれていくものだ。