5月。先輩の家にお邪魔した。
“あの時の約束”を叶えるためだった。
先輩が用意してくれた紅茶とお菓子を片手に、映画を観た。
タイタニック。
ベタだな、って思ったけど、口にはしなかった。
先輩と一緒なら、なんでもよかったのだ。
「智紘くん」
先輩に呼ばれた。
いつもは“ちーくん”呼びのくせに、と悪態をついてみる。
「……ごめんね。」
「なんで先輩が謝るんですか。」
理由がわからなかった。
「実はね、私、智紘くんの名前も、顔も、あの時会う前に知ってた。」
「智紘くんがいじめられてるのも知ってたよ。1年前から。」
「え?」
「図書室からテニスコートが見えるの、知ってる?」
……知らなかった。気にもしていなかった。
あれほど、通っていたのに。
「私、放課後にいつも荷物運びしてる智紘くんを見てた。」
「先生に聞いたら、荷物運びは交代制だって。」
「あの子たちに、パシられてたんでしょう?」
「私が智紘くんを呼びに行った時、落書きされた机も、破られた教科書も、汚れた筆箱も、全部見た。」
「……助けたい、守りたい、って思った。」
「それで、」
「智紘くんに“嘘カレ”を頼んだのは私の男除けもあったけど、それ以上に、君を守りたかったから。」
「それで、」
「この前、智紘くんメールくれたでしょ?」
「“智紘くん、やっと平和になれたんだ。”って思った。」
「だからさ、私たち別れよ。」
「私は、君にはもう必要じゃないんだよ。」
「は……?」
意味がわからなかった。
確かに、先輩に僕がいじめられていたことを知られたのは痛い。
でも、先輩を好きなのは変わらない。
……なのに、
“別れよう”?
“先輩は僕に必要ない”?
あまりに勝手すぎる。
「それに、私、来年はもういないから。」
「今の“翠月 璃玖”は、来年で消えるの。」
「どうして……。」
「私ね、12歳の時に事故に遭ってさ。接触事故。」
「そのせいで頭打っちゃって、脳に傷がついたらしいの。記憶障害ってやつ?」
「それで、3年間しか記憶が保もたないの。
今の私は、15歳までの記憶しかない。」
「誕生日になったら、リセットされるの。たぶん、智紘くんのことを忘れちゃう。」
「……だから、もういいかなって。智紘くんは平和になった。私がいなくても大丈夫。」
「もっと青春しなよ、少年。」
……あんまりだ、と思う。
「先輩は、」
「……何?」
「璃玖は、本当にそれでいいの?」
勢い余って先輩を呼び捨てしてしまった。
「嫌だ……」
「先輩が僕のことを知ってしまったのは、別にいいんです。」
「……え、」
「だって先輩は、“僕のことを助けたかった”んでしょ?」
「うん、」
「ならいいじゃないですか。」
「それから、先輩のことについてですけど。」
「うん、」
「僕は諦めません。」
「先輩が僕のことを忘れても、僕は忘れません。」
「何度でも思い出を作ればいい。」
「先輩は忘れてなんかないんです。思い出せないだけ。」
「それで全てが消えるわけじゃないんですよ。」
「……っ、」
「だから、これからも一緒にいてください。」
「好きです、先輩。」
「……璃玖」
「え?」
「私の名前は璃玖だよ、“ちーくん”」
「っ、璃玖……先輩」
「呼び捨てでもいいのに。」
「いきなりは、やっぱり……」
「あはは、ちーくんってば、かわいい。」
「うるさいです。」
僕たちの春は、まだ、始まったばかりだった。