〇森の中(夜)

菜花「顕現せよ、土柱(つちばしら)

菜花の目の前の地面が盛りあがる。
何本もの土の柱がそびえ立ち、邪霊の攻撃を防ごうとする。
土の柱は次々と折れて、邪霊から伸びた腕が菜花の足に巻きつく。

菜花「きゃああっ! た、助け……」
誠人「おいおい、もうあきらめるのかよ。そいつ中の下くらいの邪霊だぞ。俺なら一発で仕留められるぜ」

安全な結界の中で菜花の様子を眺めながら嘲笑する誠人。
足をひきずられ、邪霊に吞み込まれる菜花。

菜花「いやああああっ!」

泣き叫ぶ菜花。
そのすぐあと菜花の姿は消え、邪霊の巨大な黒い影だけが残る。
邪霊はそのままずるずると森の奥へ引っ込んでいく。

誠人「やべ……」

急いで結界を解く誠人。
菜花のいた場所に駆けつけるも、すでに跡形もなく消えている。

誠人「お、おい……冗談だろ?」

しんと静まる中で顔面蒼白になる誠人。
しばらく青い顔をしていたが、やがて苦々しい笑みを浮かべる。

誠人「……めずらしいことじゃない……今までの精霊師にも邪霊にやられて死んだやつはいる」

震えながら自分にそう言い聞かせる誠人。
邪霊の気配はしない。

誠人「お、お前が悪いんだからな……お前が弱いから……俺は知らねぇ!」

その場から逃げだす誠人。


〇真っ暗闇の中

何も見えない状態で動けない菜花。
ひたすら深い沼に落ちていくような感覚がする。

菜花(……わたし、死んじゃったのかな?)
菜花(お父さん、ごめんね……)

涙があふれる菜花。
そして千颯のことを思い浮かべる。

菜花(千颯くん……もう一度、会いたかったなあ)

どこからか声が聞こえてくる。

母の声『菜花、菜花……』

菜花(お母さん? なつかしいな。わたしのこと迎えに来てくれたのかな)

じわじわと幼い頃の記憶がよみがえり、頭の中に母の姿が浮かびあがる。


〇(回想)菜花の幼少期

転んでひざをすりむき、大泣きしている菜花。
母が菜花を抱きあげて、すり傷の手当をしている。
手当が終わっても泣き止まない菜花に、母が声をかける。

母「痛いの飛んでけー」

痛みが消えて泣き止む菜花。

菜花「あれ? 痛くない!」
母 「ふふっ、そうよ。おまじないをかけたから」
菜花「すごーい。ママはどうしてそんなことができるの?」
母 「これは<言霊(ことだま)>と言って、霊力を持った言葉が現実になるおまじない」
菜花「ことだま? れいりょく?」
母 「菜花、<言霊>はいいことにだけ使うの。悪いことに使ってはだめ」
菜花「……うん?」

当時の菜花にはよくわからなかった。

(回想終了)


〇再び暗闇の中

遠くで母の声がする。

母『さあ、起きて。菜花』

菜花(でも、もう疲れちゃって目が開かないよ……)

母『大丈夫、大丈夫よ』

菜花(無理だよ、つらいよ……お母さんのところに、いきたい……)

静かに涙を流す菜花。
すると、頭の中に突如はっきりとした光景が飛び込んでくる。
それは小さな白龍をつれた千颯の姿だ。

千颯『菜花、俺にも弁当作ってよ』

満面の笑顔の千颯。

千颯『うまいよ、これ』
千颯『泣くなよ、菜花』

優しく微笑む千颯の顔を思いだし、ぱっちり目を開ける菜花。
周囲をきょろきょろ見わたすが、真っ暗で何も見えない。

菜花(え? ここは……邪霊の中? わたし、呑み込まれたの?)

暑苦しく気分が悪くなる。
呼吸がうまくできない。

菜花(苦しい……わたし、死ぬのかな?)

ふたたび千颯の顔を思い浮かべる菜花。

千颯『いいんだよ。俺はそのままの菜花がいい』

ぐっと歯を食いしばり、しっかり意識を保つ菜花。

菜花(やだ……いやだよ。死ぬなんていや……)
菜花(死にたくない!!)

菜花の体から白い光が放たれる。
真っ暗闇に光が照らされ、空間がゆがむように揺れる。
母の『言霊』を思いだす菜花。
息を吸い、思いきり声を張りあげる。

菜花「ここから出してーっ(・・・・・・・・・)!!!」

パアーンッと派手な音がして暗闇の空間が割れ、散り散りになる。
そのまま地面に転がり気を失う菜花。
しばらくすると耳もとで声がした。

千颯「菜花、菜花……!」

うっすら目を開けると千颯の姿。
菜花は安堵したように微笑む。

菜花「ち、はや、く……」
千颯「菜花、大丈夫だ。すぐに助けてやるから」
菜花「さ、むくて……」

体が氷のように冷たく、悪寒が止まらない菜花。
血の気が引いていくのがわかる。
だるくて声も出せず、ぐったりしたまま目を閉じる菜花。
菜花を抱きかかえる千颯。

千颯「霊力がない……菜花、君はいったい何を……」

千颯の言っていることが理解できない菜花。
しかし千颯の腕の中が心地よく、安堵したように微笑む。

菜花(千颯くん、会えた。うれしい)
菜花(お礼、言わなきゃ……いつも、助けてくれて)
菜花(ありがとう、って……)

ぐったりと体から力が抜ける菜花。
それを見て狼狽える千颯。

千颯「菜花、だめだ! 死ぬな!」

千颯の声を聞きながら笑みを浮かべる菜花。

菜花(大丈夫だよ、千颯くん。だってわたし、こんなに幸せだもん)
菜花(このまま千颯くんの腕の中で眠りたい)
菜花(そうしたら、もう未練なんかないよ)

意識を消失する菜花。
菜花を抱きかかえて叫ぶ千颯。

千颯「菜花ーっ!!」

菜花の手を握る千颯。
するとその手の冷たさにぞっとして、慌てて菜花の顔を撫でる。

千颯「冷たい……うそだろ? だめだ。こんなの」

ぐっと歯を食いしばる千颯。
じわりと千颯の体が白銀の光に包まれる。

千颯「ぜったい、助ける」

菜花の頭を抱えて顔を近づける千颯。
そのまま菜花に口づける。
菜花の口をふさいだまま息を吹き込み、霊力を注ぎ込む千颯。
菜花の指先が動く。

意識を取り戻すも、目が開かない菜花。
ただ、ひどく冷たかった体に体温が戻ってくる。

菜花(あれ? あったかい。それに心地いい)

ゆっくりと目を開けるとそこには不安そうな千颯の顔がある。

菜花「千颯くん……」
千颯「まだ足りない」
菜花「えっ……?」

ふたたび菜花に口づける千颯。
驚いてびくっと震える菜花。

菜花(うそ……わたし、千颯くんと、キスしてる……!)

千颯から吹き込まれる霊力でじわじわと体が熱くなる菜花。
力を取り戻すと意識もはっきりしてくる。
唇が離れたときに感じる千颯の息遣いに恥ずかしくなる菜花。

菜花「はぁ……千颯くん、あの……」
千颯「まだ、黙って」
菜花「えっ……んんっ!」

容赦なくふさがれる唇と菜花の頭を強く抱える千颯の手。
どくんどくんどくんと鼓動が高鳴る菜花。
体の奥から熱がわきあがる衝動にかられる。

菜花(どうしよう。こんなときに、変な気持ち)

体力が戻ったのに頭がくらくらし、腰の力が抜けていく。
思わず千颯の袖をぎゅっと掴む菜花。
ふたたび菜花から顔を離す千颯。
千颯はじっと菜花の様子を確認するように見つめている。
その目を見て羞恥のあまり赤面し、目をそらす菜花。
すると千颯は菜花をぎゅっと抱きしめる。

千颯「よかった。間に合った」
菜花「千颯くん……?」
千颯「菜花が死んだらどうしようかと思った」

驚きと同時に、自分が死ぬかもしれなかったことを思いだし、急激に恐ろしくなる菜花。
千颯の腕の中で恐怖と安堵が同時に襲ってくる。

菜花(千颯くんがあたたかい。わたし、生きてるんだ)

ふいに涙がこぼれ落ちる菜花。
それに気づいた千颯が菜花の涙を指先で拭う。

千颯「怖かっただろ? でも、君が自力で邪霊を倒したんだ」
菜花「え、わたしが……?」
千颯「そうだ。君は無能なんかじゃない」

にっこりと微笑む千颯。

千颯「君は立派な精霊師だ」
菜花「ほんとに?」
千颯「ああ。俺は最初からわかってたけどな」

ぼろぼろと涙を流す菜花。
胸が熱くなる。
喜びと戸惑いで混乱する。

菜花「千颯く……あり、がとう……わたしのこと、信じてくれて……助けてくれて」
千颯「大丈夫だ。体力を消耗するから少し眠っていろ」
菜花「でも……」
千颯「心配するな。ちゃんとしてやるから。ほら」

菜花の顔に手のひらをかざす千颯。
その瞬間、急激に眠くなり意識を手放す菜花。

菜花を抱きかかえて跳ぶ千颯。
森の外へ出ると薄暗い外灯の下でうろうろする葵生を見つける。
千颯の姿に気づいた葵生はぐったりする菜花を見て驚愕する。

葵生「ひ、雛菊さん……」
千颯「眠っているだけだ」
葵生「よ、よかった」
千颯「空木(うつぎ)誠人の他にこの件に関わった者の名前を教えろ」
葵生「え、えっと……」

怯える葵生に向かって冷たく言い放つ千颯。

千颯 「安心しろ。殺しはしない。だが、それ相応の罰は受けてもらう」
葵生「は、はい……」

眠る菜花の顔を見て複雑な表情になる千颯。

千颯(君は報復なんか望んでいないだろうけど、俺の気が済まないんだ。ごめんな)