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「シン、ちょっと来い」
「? ……はい、わかりました」

 オズヴィーンに稽古を受けて、約一年が経過した。シンは無事に(とは言い難いこともあったが)オズヴィーンの稽古について行くことができた。

 シンは、十歳になった。

(師匠からの呼び出し……なんだろうか)

 初めは反抗的な態度をとっていたシンだが、オズヴィーンと関わって行くにつれ、その態度は徐々に良い方向へと変化していった。

 今ではオズヴィーンを師匠と呼ぶようになったほどである。

「シン。今の君は私の騎士団に所属するどの魔族たちよりも強くなった。正直、驚いた。人間がここまで強くなるとは思ってもいなかった」
「……ありがとうございます」
(何が言いたいんだ?)

 シンはオズヴィーンにみっちり稽古をつけてもらったことにより、人間ならぬ強さを手に入れた。

 肉体面でも精神面でも強くなった今のシンならば、魔族たちはシンがアストライアの従者になることを認めてくれるだろう。

 だがーー

「私に教えられることはここまでだ。あとは自分で見つけなさい。今の君には、私の六、七割程度の力がある。ーーだが、それは武芸においてだ。アストライア姫殿下の従者になるのならば、魔法も少しは齧っておいた方がいいだろう」
「…………」

 それはシンも感じていたことだった。

 オズヴィーンの得意とするのは主に武芸だ。多少の魔法の技術や応用法を知ってはいても、魔法のみで戦うとなると厳しい。

 その辺は魔術師の専門である。

「そこでだ、シン。君には筆頭魔術師にも稽古をつけてもらうことにした。既に魔王様からは許可を得ている。君に拒否権はない」
「っ筆頭魔術師……!?」

 その存在はシンも知っていた。

 魔法を専門に扱う魔術師の中でも随一の実力を持つ者のみに送られる称号を手にした者。それが筆頭魔術師だ。

(そんなお方が、俺に稽古を……?)
「あぁ、私との稽古は引き続き行うのでそこは忘れぬよう。君が筆頭魔術師に稽古をつけてもらうのは明日からだ」
「…………」
「返事は?」
「あっ、はい!」

 こうして、シンは筆頭魔術師にも稽古をつけてもらうことになったのだった。



「魔王軍騎士団団長、オズヴィーンです。筆頭魔術師のヒューリ様はいらっしゃいますか?」
「おぉ、これはこれはオズヴィーン様! ようこそいらっしゃいました。ヒューリ様がお待ちです。こちらへ」
「感謝する」

 シンはオズヴィーンと共に、名も知らぬ魔術師に案内され、筆頭魔術師のヒューリのもとへと歩んだ。

(あれが筆頭魔術師、ヒューリ)

 ヒューリは静かに紅茶を飲んで待っていた。

 魔王ライゼーテと同じ瞳の色のアイボリーブラックを基調とした魔術師の装いは、金糸がアクセントとして所々に刺繍されている。

 ヒューリはライムイエローの髪だったので、より一層映えて見えた。

「ヒューリ様」
「ヒューリでいいよ」
「いえ、そう言う訳には……」
「ははっ、相変わらず、オズヴィーンは堅苦しいな。まぁ、兄さんもそんなオズヴィーンの性格を含めて騎士団長に任命したのだろう。期待しているよ」
「ありがとうございます」
(兄さん……魔王のことか)

 騎士団長という重大な職務の任命はそれなりに権力のある者しかできない。騎士団長は魔王の側近でもあるので、オズヴィーンを騎士団長に任命したのは魔王だろう。

 そんな魔王を兄さんと呼ぶのは、魔王の親族……つまりは魔王の下兄弟のみだ。

 となるとーー

「あ、紹介が遅れたな、シンくん。私は筆頭魔術師のヒューリ・エイベル。シンくんの主人のアストライアの叔父で、魔王ライゼーテの弟だ。よろしく」
「! よろしくお願いします」
(やっぱり……)

 ヒューリは王族だった。

「オズヴィーン、あとは私に任せたまえ」
「いいのですか?」
「いいのいいの〜」
「……では、お言葉に甘えて」

 そう言って、オズヴィーンは部屋を後にした。シンはヒューリを見る。ヒューリもシンを見た。

「じゃあシンくん。この石に触れてくれるかい?」
「? ……はい」

 シンはヒューリから透明な石を渡され、それに触れる。するとーー。

「っ!?」

 慌ててシンは石を離す。「おっとっと」と言って、床に落ちかけた石をヒューリが取る。

(……気持ち悪い)

 シンの魔力が石に吸われたのだ。突如強制的に魔力を奪われるのは気分が良くないし、かなり驚く。

「ダメじゃないか、シンくん。勝手に手を離しちゃ。ほら、もう一回触って」
「……申し訳ございません」
(魔力が吸われると先に教えてくれればいいのに)

 そんな思いをシンはぐっと飲み込み、石に魔力を吸わせ続ける。十数秒もすると、シンの魔力は空となった。

 シンはヒューリに石を渡した。石は最初見た時の透明な色ではなく、オパールのような複数の色と混ざった色となっていた。

 ヒューリはそれを見ると、シンに言った。

「さてシンくん。ここで問題です。この石にシンくんの魔力を吸わせたのは何故でしょうか?」
「……属性を調べるため」
「ピンポンピンポーン! 大正解!」

 人間にも魔族にも、魔力の属性が存在する。主な属性は火、水、風、土の四つ。それに加えて人間は光、魔族は闇の属性を持つ者もいる。

 火の属性は赤、水の属性は青、風の属性は緑、土の属性は黄を示す。

「うーん、これを見る限り、シンくんには複数の属性があることがわかるんだけど……どうしよ、私にも詳しくわからないや」
(そう言われても……)

 普通、属性の色同士が混ざることはない。シンは本当に稀有なのだ。

「光は白だし、闇は紫でしょ? うーん、わからないや。シンくん、君、本当に珍しいよ。私はこれでも一応筆頭魔術師だから、それなりに他者の属性はわかるつもりなんだけどなぁ」

 その後、ヒューリはシンの属性について考えるのをやめ、本題に移った。

「私はシンくんの教師? あ、いや師匠? ま、どっちでもいっか。ってことなので、今からシンくんに課題を出します」

 文と文のつながりが非常におかしなことになっているが、要はヒューリはシンに魔法の課題を出すと言っているのだ。

「今の魔力が空の状態から一分間で、魔法を発動させてください!」
「……え?」
(魔力なしで、魔法を発動?)

 意味がわからない、本当は馬鹿なのではないだろうかという考えが脳裏をよぎるが、そんな者が筆頭魔術師になるとは思えない。

 しかも、ヒューリはあの魔王の弟、アストライアの叔父だ。変人かもしれないが、実力は確かである。

「質問は受け付けないからねー。じゃ、よーい、スタート!」

 そう言うとヒューリは「いーち、にーい、さーん……」と言って数え出した。数え方に「幼児かよ」とツッコみたい衝動を抑える。

 そしてシンは必死になって魔力なしで魔法を発動させる方法を考える。

(どうする、どうする? 魔法は魔力がないと発動できない。なら、魔力を作ればいいけど……)

 そう簡単には魔力を増やすことはできない。魔力圧縮で濃度を上げることができても、力を増やすのは時間がなんとかするしかない。

 一番規模が小さくて魔力消費が少ないのは【氷結】だ。だが【氷結】を使うにしろ、少なくとも十分は待たないと【氷結】で消費する魔力は溜まらない。

(いったい、どうすれば……)

 そして、一分が経過した。

「さ、シンくん。魔法を発動して」
「っ! ……わかり、ました」
(どうすればいいんだ……!)

 ヒューリは王族だ。筆頭魔術師でもあるので、魔王に次ぐ権力を持っていると言っても過言ではない。

 この課題を成功させられなければ、ヒューリはシンの力ではアストライアを守ることができないと言って、シンを処分対象にすることも可能だ。

(俺が、できるのは……あっ)
『今の魔力が空の状態から一分間で、魔法を発動させてください!』

 ヒューリはそう言った。確かにそう言った。

(…………なら、これは問題ないよな)

 シンは、賭けに出た。

「【氷結】」
「! シンくん、それは……」

 ヒューリは魔法を発動させろと言った。だが、その魔法に対して規模に関することは何も言っていなかった。

 そこでシンはーー今ある魔力を限界まで急速に魔力圧縮をし、その魔力で通常の【氷結】の十分の一ほどの大きさの氷の結晶を作った。

 氷の結晶は圧縮された魔力によって、ほんの少しだが溶けにくくなっている。シンが魔法を発動させた際にすぐに溶けて証拠が目視できる前に消失するのを防ぐためだ。

「……小さいですが、氷の結晶です。一分以内に魔力が空の状態から【氷結】を発動させて作ったので、駄目ではないはずです。ヒューリ様はそれ以外に条件を提示していませんでしたし」
「なるほどね……」

 だがシンが説明している間に氷の結晶は溶け、小さな水滴となってシンの手のひらに残った。

「……うん、面白い」

 そう、ヒューリは言った。

「いやぁ、できないと思っていたんだけど、まさかやってのけるのは思ってもいなかったよ、シンくん。君はすごい。想像以上の頭脳を持っているね」
「いえ、そんな。ズルをしたと同じですよ」
「いいや、それは違う。そこは間違えては駄目だ」

 ヒューリはシンの目の高さまで屈み、シンに言った。

「これは、シンくんの力だ」

 そしてそれに続けてヒューリは言った。

「最初は私も兄さんと同じように、シンくんがアストライアの従者になることに反対だったんだ。だけど、君は今ある力でなんとかしようと足掻き、そして成功させた。素晴らしいことだ」

 すると、ヒューリは思いもしないことを口にした。

「力がなければ処分するよう兄さんに提言しようとも思ってた」
「!」
「……けど、君には力があった。まぁ、一番はアストライアの言葉が影響してるけどね」
「ティアの?」

 アストライアは、ヒューリの研究を手伝いに来た時に、こう言っていたのだ。

『ヒューリおじさま。いくらヒューリおじさまでも、シンを殺したら、許さないからね。シンは私のお気に入りなの。わかった?』

 シンは胸が熱く、締め付けられたような気がした。目頭も熱い。涙が溢れそうになるのを、歯を食いしばって抑える。

(どうして……)
「いやぁ、アストライアにそう言われちゃあ殺せないよね。兄さんもアストライアの味方だし、分が悪い。よかったな、シンくん」

 シンは、何故こんなにもアストライアがシンを守ってくれるのか理解できなかった。

(俺は人間で、弱くて、アストライアに守られてばかりで、何も持ってないのに、返せないのに)

 アストライアはいつも、シンを闇から光で照らし、引っ張り、シンを導いてくれる。アストライアに利などないはずなのに。

「シンくん」
「っ……っぐす…………っ」

 シンはしゃくりあげる。涙を溢さまいと、必死になって耐える。

(ティア……ティア…………)

 人間の感情ですら、シンには理解できないことがあった。そりゃそうだ。誰にも他者の心を覗くことはできないのだから。

「君は」

 だけど、シンはアストライアの行動で、アストライアが何を思っているのかわかった。嫌というほどわかった。

「アストライアに、愛されているよ」

 シンが欲しても、決してもう手にすることはできないと思っていた感情であり、言動であり、原動力。それが、愛という名の形。

(どうして、ここまで……)

 シンは、アストライアがシンの味方でいてくれることを、できる限り保護してくれていることを知った。そしてそんな言動を、愛と言う名だと知った。

 苦しくて、でも、嬉しくて、どう思っているのかさえだんだんとわからなくなるほどに、感情は混乱した。

 だが、そんな中でもわかるのは、すごく嬉しかったこと。

 そして、あの日誓った、アストライアのために強くなろうという決意がより一層、強くなったことだった。