じわりと滲む汗が纏わりつく、七月某日。
気温三十度を超える中、十八時過ぎに退勤した夕映は、従業員出入口ではなく救急外来がある搬送口から外へと出た。

十日ほど前に神坂医師に相談して以来、ぱたりとストーカー被害が止んだのだ。
彼からは直接どうこう言われたわけではないが、明らかに彼が何らかの手立てを打ってくれたのだと分かる。

彼はそういう人だ。
しれっとスマートに何でもこなす。
王子様というより、魔法使いというべきか。

年齢的にはそう変わらないのに、医師としてだけでなく、人間性でも余裕があるというか。
どう足掻いても足下にも及ばないような、住む世界が違い過ぎるのが手に取るように分かる。

彼への借りがどんどん積み重なってゆく。
いい加減リセットしたい所だが、夕映に返せるものなんて何一つない。

「たまには、ご飯でも作ったらいいのかな…」

職場から駅へと向かう道中、脳内で作れそうなレシピを考えてみるものの、舌の肥えた彼をもてなす料理は思い浮かばず。
そもそも、料理は得意じゃない。
実家にいた時に母親の手伝いはしたものの、野菜を切るとか洗い物をするとか、皿に盛るのが夕映の役割だった。
勉強以外に取り柄が無かったから、両親もあまり口煩く言わなかった。

「もう少し、真面目に料理覚えておくんだったな」

とぼとぼと歩きながら、無意識に溜息が漏れ出す。

駅のホームでスマホを立ち上げ、よさそうなお店を検索してみる。
けれど、好みすら知らない夕映は、堂々巡りのような出口のない迷路に迷い込んだ状態に陥った。
その時、ブブブブッと震えたスマホに『着信中 神坂医師』という表示が。

「はい、もしもし?」
「おっ、早いな」
「っ…、たまたまスマホを開いてたので」

数日ぶりに聴く、スピーカーからの美声にトクンと胸が震えた。