「うーん、植物には神経や脳がねぇからなぁ。子孫を残そうとするのは、遺伝子のプログラムに沿っているだけかもな」
「遺伝子のプログラム?」
「遺伝子については知ってるか?」
「しってる。生物を形作っている設計図でこれに沿ってデオキシリボ核酸の塩基配列が決まってその情報に従って細胞のもとになるタンパク質が作られる」
「おぉ、桔平はすげぇな!まぁつまりな、その設計図は“子孫を繫栄させなさい”って使命みたなもんが前提にあると思うんだよ。ただオレにも詳しいことはよく分かんねぇし、後で一緒に図書館行って調べてみるか?」

 父は知ったふりをしない。自分の推測を言ったとしても、それを正解として話を終わらせることはなかった。こうしてオレの好奇心にとことん付き合おうとしてくれるところも、父を好きな理由のひとつだ。
 
「うん、いく。それでホウセンカの種子については?」
「あぁ、そうだったな。ホウセンカはな、花が枯れた後に2cmぐらいの楕円形の実ができるんだ。熟すと緑色から黄色がかった色になって、それが乾燥すると弾けて種を飛ばす」
「はじけるの?勝手に?」
「熟したら勝手に弾けるし、少し触っただけでも弾ける。花は綺麗なのに、気性が激しくてな。だからオレはホウセンカが好きなんだ」
「ぼくも、これ好きだよ」
「そうか。お前は情緒ってもんが分かる子なんだな」

 父が好きと言ったから、自分も好き。本当は、そんな単純な理由だった。ただ今なら分かる。父は、この花が持つ二面性を愛していたことを。
 
「人間も同じようなもんだ。誰もが持ってんだよ。息を吞むほどの美しさと、目を覆いたくなるような醜さを。闇があるから、光に眩しさを感じる。清廉潔白なんてものは幻想だ。そんな生き物は、いやしねぇ。完全な善人はいないし、完全な悪人もいない。自分から見える一部分だけで周りを評価して、それがすべてだと思い込んでいる」
「思い込みは、悪」
「そうだ、そうなんだよ!お前は本当に頭が良いな!よし、昼飯食ったら図書館行こうぜ」

 父に頭を撫で回されるのが好きだった。オレも大人になったら、こんな風に大きく温かい手を持つ人間になりたい。いつもそう思いながら、父の後ろをついて回った。

 新聞社や出版社との打ち合わせで東京へ行く時も、絶対についていくと駄々をこねたから、最初は仕方なく連れて行ってくれたのだと思う。

 父が打ち合わせをしている間は、コレットに預けられてミックスジュースを飲んでいた。そして絵を描いたり本を読んだりして過ごし、迎えに来た父と一緒にカレーを食べて、欲しい本を買ってもらって鎌倉へ帰る。こんな贅沢をしていることは姉2人には内緒だと言われて、オレはささやかな優越感に浸っていた。