「……だけど浅尾は、浅尾瑛士さんの息子っていうプレッシャーと、ずっと戦ってきたんだよな。それがどれだけ大変なことか、俺には想像できないけど……今回のことを引き受けるのに、相当な覚悟がいるっていうのは分かるよ」

 愛茉が長岡を頼りにしているのは、こういう性格だからなのだろう。
 ニュートラルに話を聞くものの、思ったことを言う時は目の前の相手に寄り添う。どこか突き放した物言いをしてしまうオレとは大違いだ。

「まぁ、簡単に返事できるような事じゃねぇのは確かだな。自分の絵が世界的画家と並んで展示されるなんて、考えただけでゾッとするわ」
「でも浅尾が誰よりも努力してきたのは、俺もヨネも、一佐だって分かってるよ。俺たちの前ではいつも飄々としてるけどさ。浅尾が自分の才能を全然過信していないことも、人一倍努力家なことも、ちゃんと知ってる。だからみんな、浅尾に一目置いてるんだよ。浅尾瑛士さんの息子だからじゃない」

 長岡は昔から、言葉に嘘がない。天然記念物並みに純粋なヤツだ。本当はオレより長岡のような人間と付き合う方が、幸せなんだろうな。
 ……思わずそんなことが頭を過ってしまうくらい、オレのメンタルは不調に陥っているらしい。

「そう思ってくれるのは、ありがたいけどな。観られるのは結果だけだ。どんな努力をしてきたかなんて、誰も気にしちゃいねぇよ」
「……無理して戦うこともないんじゃないかなって思うよ。あくまでも、俺個人の考えだけど」

 一旦言葉を切って、長岡は大きく“ひで”と書いてある湯のみに手を伸ばした。もう湯気は上がっていない。

「自分のペースで着実に進むことも大事だからさ。それにその話を断ったとしても、今までの努力が無駄になるわけでも、浅尾の絵の価値が下がるわけでもないだろ。更に積み上げて、近づけたと思った時でも遅くはないし」

 長岡らしい。オレが断りやすい道を作ってくれたというわけだ。本当に、よく出来た男だよ。なんでまだ童貞なんだか。

「ただ……もし今、行き詰まったものを感じているとしたら、思いきって流れに飛び込むのもいいかもしれないけどね。激流に飲み込まれる覚悟で」
「すげぇ激流だよ。飛び込んだ瞬間に溺れる」
「そうかもね。でも浅尾には、引き上げてくれる人がいるじゃないか」

 そう言われて思い浮かんだ顔は、ひとつじゃなかった。自分もそのひとりだと言うように、長岡が笑みを浮かべる。オレはいつの間にか、孤独とは程遠いところに辿り着いていたようだ。

 戦いを避けるか、激流に飛び込むか。どちらも楽な道ではない。ただどれを選んでも、愛茉や長岡は笑って頷いてくれるのだろう。

「食べきれなかったら、イチゴシロップにするといいよ。愛茉ちゃんにレシピ送るって言っておいて」

 大量のイチゴと知覧茶を貰って帰る際、長岡が言った。
 新潟のイチゴは、酸味が少なく甘みが強い。それを頬張る愛茉の顔が早く見たくなって、オレは車のハンドルを握る手に力を込めた。