「……うん、会った。桔平くんの……元カノに……」

 言葉にするだけで、すごく苦しい。だって桔平くんにとっては、触れられたくないことだと思うし。

 私と出会う前の桔平くんが酷い状態だったのは、いろいろな人から聞いている。もしあの人が原因だとしたら、きっと思い出したくもないはず。

「オレも、コレットに行く途中で会ったんだよ。別に大した会話はしてねぇけど。可愛い彼女が店で待ってるから早く行ってやれって言われたぐらいで」

 桔平くんの表情は、いつもと変わらない。だけど妙に落ち着いた声が、逆に私の不安を掻き立てる。
 
「愛茉は、なんか言われたりしてねぇ?」
「う、うん。別になにも。私が桔平くんと待ち合わせしてるって知ったら、すぐに帰っちゃって……。あ、あの、ごめんなさい。私、前に桔平くんのスケッチブックを見ちゃって。見ようと思って見たわけじゃないんだけど……それで、あの人の顔は知ってたの……」
「それはいいよ。捨ててなかったオレが悪いし。単にスケッチブックは全部とっておく主義だっただけなんだけど、アイツのページだけは捨てるべきだったな。ごめん」

 謝らせてしまった罪悪感で息が苦しくなる。偶然だったとはいえ、やっぱり見るべきじゃなかった。
 
「……愛茉に、ちゃんと話しておきたいと思って」
「わ、私に気を遣わなくていいよ。過去のことなんて、無理して話さなくても。気にしてないから」
「違うよ。気を遣ってるとかじゃない。愛茉にとっては気分が悪くなる話だと思うし、オレもできれば記憶から消したいぐらいだけど。ただ、これも自然な流れなのかもしれねぇなと思ってさ。それに……」

 そこで初めて、桔平くんの表情が変わった。息をするのがやっとという感じで、顔を歪める。そんな桔平くんを見るのは初めてで、胸が押しつぶされそうになった。

「正直、過去に蓋をして逃げ続けるのも疲れた。どう足掻いたってなかったことにはできねぇし、いつまでも縛られたままだ。もういい加減、解放されたい」

 消え入りそうな声。ううん、本当に消えてしまいそうで、私は隣に座って桔平くんを抱きしめた。

 桔平くんの体を、こんなに小さく感じたのは初めて。一体、どれだけのものを心の奥にしまいこんでいたんだろう。とても繊細でとても敏感な心が壊れてしまわないように、ずっと必死に守ってきたんだ。

 不安を感じている場合じゃない。私がこんなんじゃ、桔平くんはずっと苦しんだままになっちゃう。

 強くなるって決めたでしょ。ただ泣くだけの子供には戻りたくない。守られるだけじゃなくて、私だって桔平くんを守りたいんだもん。ここで弱気になるわけにはいかない。

「大丈夫だよ。ちゃんと傍にいるから、話して」

 強く抱きしめながら言うと、桔平くんは小さく頷いて、ゆっくりと口を開いた。