「……あのさ。少し気が早いけど、今年の夏休みは小樽に行かねぇ?」

 私の髪を手で梳かしながら、桔平くんがぽつりと言った。
 
「え?私の実家ってこと?」
「うん」
「いいけど……お父さんと智美さん、長期休暇取って海外旅行するって言ってたよ。お盆明けぐらいだったかなぁ」
「うん。だから盆前から行って、しばらく小樽にいたい。愛茉が生まれ育った街で、愛茉と2人で過ごしたいんだよ。卒業制作は、小樽の風景が描きたくてさ」
「……ひとり旅、行かなくていいの?」
「愛茉と一緒にいる方がいい」
 
 海外ひとり旅は、桔平くんにとってライフワークみたいなもの。でも私のことを気にして行きたくても行かないのかもしれないと、ずっと気になっていた。

「ひとりで行きたいところは、大体行きつくしたんだよ」

 私が何を考えているのか察したようで、桔平くんはそう付け加える。

「中学の時なんて、1年のほとんどを海外で過ごしたしな。学校、全然行ってなかったから。でも今はやっぱり、愛茉がいないとつまんねぇもん」

 桔平くんの言葉には、いまだに胸がキュッとなる。声とか言い方とか、全部が好きなんだもん。全然飽きないのが不思議。
 
「でも、なんで小樽の風景が良いの?」

 年末年始に帰省した時、小樽はずっと雪景色で。桔平くんはスケッチしたり、持参した一眼レフで撮影したりしていた。でもすごく寒かったから、家の周辺ばかりだったんだよね。

「んー……何描くかなぁってボンヤリ考えてたら、ふと思い浮かんだんだよな。だから、オレが描きたいのかもしれない」
「桔平くんの絵?」
「……に、なればいいなって」
 
 桔平くんは、無意識のうちに周りから求められるものを描いてしまうと言っていた。本当に描きたいものを描くって、口で言うほど簡単じゃないんだろうな。

 外での桔平くんは、常に“浅尾瑛士の息子”として振る舞っているのかもしれない。周りがそういう目で見るからというだけじゃなくて、お父さんを尊敬する気持ちが強すぎるせいもあるのかな。

 何のラベルも貼られていない、無印の桔平くんの絵。いつか必ず見てみたい。夏の小樽帰省が、そのきっかけになればいいんだけど。

 そんなことを考えていたら、頭に触れる桔平くんの手の心地良さのせいで、夢の中へ意識がゆっくりと落ちていった。