「だから辛かったんだな。大好きなお母さんが、自分のことを嫌いだと思ってたから」

 私を見ようとしなくなったお母さん。どれだけ望んでも、その愛情を手に入れられなくて。私はいつしか、お母さんの存在そのものを心から追い出そうとしていた。

 私にはお父さんがいる。それだけで十分。お母さんは、最初からいない。ずっと、そう言い聞かせてきたの。

「愛茉のこと嫌ってるわけねぇよ。愛茉の中にある、小さい頃の記憶が真実だろ。しっかり思い出してみろ」

 桔平くんの声が、私の記憶を揺り動かす。

 綺麗で優しいお母さん。私が話しかけると笑顔で答えてくれたお母さん。大好きな大好きなお母さん。いつも後ろを追いかけていた小さい頃の映像が、鮮やかに蘇ってきた。

「わ、私……」

 思い出と一緒に、感情が溢れ出す。しゃくり上げて泣きはじめる私を優しい目で見つめながら、桔平くんがゆっくり頬を撫でてくれた。

「い、言われたかったの。お、おか、お母さんに、可愛いねって、大好きだよって。ただ、それだけなの。お、お母さんが、大好きだから」

 うん、うんと頷きながら、桔平くんはグシャグシャに泣きじゃくる私を抱きしめて包み込んでくれる。

 心の奥に押し込んで蓋をしていたのは、辛い記憶だけじゃない。

 お母さんが大好きでお母さんみたいになりたくて、いつもくっついていた、幼い頃の私。小樽運河を手をつないで歩いた、大切な思い出だった。

「会いたい……お母さんに会いたいよぉ。お母さぁん……」

 大好きで大好きで、会いたいから怖かった。手に入れられない寂しさを、もう味わいたくなかった。だから必死に、本当の心を押し殺していただけ。

 そうしているうちに、もう二度と会えなくなってしまった。私は、なんてバカなんだろう。
 
「……お母さんは、自分の気持ちの伝え方が少し下手だっただけだよ。愛茉と似てるじゃんか」

 桔平くんが優しく言った。

「きっと、みんなから可愛がってもらえるようにって思ったんじゃねぇかな。愛茉のこと、愛しているから」

 その言葉のひとつひとつが染み込んで、カラカラだった私の心に、綺麗な花をたくさん咲かせてくれる。

 お母さん。お母さん。もう会えない、抱きしめてもらえない、大好きなお母さん。思い出したよ。小さい頃、お母さんから言われたことを。

 あなたは可愛いって言われるために産まれたんだよ。みんなから愛されるために生きているんだよ。
 お母さんは、そう言ってくれたよね。

 お母さん。私、そのままの自分を可愛いって言ってくれる人と出会えたよ。愛してほしい人に、愛されているよ。

「会いに行こうな、一緒に」
「……うん」

 涙でどれだけ景色が滲んでも、桔平くんの顔だけは、はっきりと映るの。

 今度、連れて行くから。だから待っててね。お母さんと私の思い出が詰まった、あの場所で。

 世界で一番私を愛してくれる、世界で一番大切な人を、連れて行くからね。