焦った彼女の顔が見える。

 丸い目が、いつもに増して、丸く見開かれている。

 手摺をつかもうと、手を伸ばしたが間に合わず、手が行き場を失って宙を掻いた。

 身体が、ゆっくり、スローモーションみたいに傾いて、空が見えた。

 ああ、本当だ。

 美代が言ってた通り、空が広い。

 彼女が俺の名前を連呼する。

 他の人も異常に気づいたのか、わらわらと集まって橋から俺を見下ろしていた。

 その間にも、ゆっくり俺の身体は落下していく。

 走馬灯、という言葉を思い出した。

 脳裏に次々と過去の映像が浮かぶ。

 小さな頃のちゃちな悪戯、姉さんとの喧嘩、受験日直前までの猛勉強、美代と過ごした僅かな日々。

 背中に冷たい水が触れた。

 咄嗟に目を瞑る。

 すぐに河の底についてしまうかと思ったのに、意外と深いのか、あるいは流れる河に押されているからか、身体が濁った河の中にどんどん沈むのを感じる。

 両腕をがむしゃらに動かしてみる。

 息が苦しかった。

 濁流に呑まれて、鼻からも水が入って来る。

 口を開かないようにするので精一杯だった。

 濡れた服が、重い。

 俺は、こんなところで死んでしまうのだろうか?

 まだ、やりたいことがたくさんあるのに。

 まだ、何もしていないのに。

 —————嫌だ。

 ふと、瞼に光を感じて片目を薄く開けた。

 ……さっきみたいに水が濁っていない? 

 だいぶ橋から離れてしまったのだろうか。

 流れも緩くなっていた。

 頭上に光が見えたので、残った力を振り絞って、腕を動かす。

 そんなに水面は遠くなかった。

 でも、今の俺にはとてつもない距離に思えて、必死で手足をばたつかせた。

 苦しくて、力が抜けそうになるのをどうにか持ち堪える。

 掌が空気に触れた。

 続いて顔を出す。

 過呼吸になりそうな勢いで息を吸い込み、吐いた。

 何度も、繰り返し息を吸う。

 だんだん呼吸が整い、顔の水を拭き取って目を開いた。

 ぐるりと首を回し、辺りを見回す。

 …………ここは、どこだ。