君と青空を泳ぐ

高三になって、訪れた六月六日。目の前に、十八の文字のロウソクが乗ったホールケーキが登場した。

「ハッピバースデー雪葉!」

お父さんとお母さん、そして翔くんが、私の誕生日をお祝いしてくれた。何でも、あの大会の日の一件から、お父さんとお母さんがすっかり翔くんを信頼してしまったらしく、時々家に招き入れるようになった。

「雪葉の今年の抱負は」

お母さんが、手をマイクの形にして、私の方へ向けてきた。それに少し、素っ気なく受け答えする。

「えー。別にいつもと変わんないよ。お母さんそれ毎年やるからそろそろネタが」

「なんかちょっとくらいあるでしょ」

「そうだなー。後悔しないようにやりたいことやる」

念押しされて、曖昧な目標を口にする。

「まあそれくらいが一番いいよな」

お母さんの隣で軽々しく笑い飛ばすお父さん。

「雪葉は考え方が極端な節があるので、自分を壊さないように気を付けないとですね」

「よく分かってるじゃないか」

別に今はお酒は飲んでいなかったと思うけれど、なんだか楽しそうだ。私と同じくらい翔くんと気が合っていそうで、なんだか悔しい。

ロウソクの火を消せば、すぐにお父さんが包丁を持ってきて、ケーキに刃を入れた。

「ねえーお父さんへたっぴ」

がたがたに四等分されたケーキに軽く笑いながら文句を言って、みんなのお皿にそれを盛った。四人で揃って手を合わせて、いただきますを言う。

「美味しい」

フォークに乗せたショートケーキを口に入れて頬張っていると、じっとお母さんがこちらを見つめていることに気がついた。

「な、なに」

「あーんしないの?」

「しないわ!」

小芝居のかかった様子で、落ち込みを表現するお母さんに、軽くため息をつく。すると、横からとんとんと肩を叩かれた。

「ねえ、雪葉口開けて」

横にはケーキを乗せたフォークをこちらに向ける翔くんの姿があった。

「翔くん?な、なにしようとしてるの?」

流石に自分の親の前でそんなことをするなんて、恥ずかしくて今夜寝れなくなってしまいそう。この危機を脱するために、わざと鈍感なふりをする。

「いいからはやく。開けないなら俺が無理やり開けるよ」

それでも、かなりぐいぐい来る翔くんに、少し嬉しくなってしまって、それに同意した。

「わ、わかったから!」

言われるままに、目を瞑って、口を開ける。ゆっくりと、ステンレスフォークの冷ややかな面が舌に当たった。

「どうしよう!私たちの目の前で、雪葉があーんされてる」

「い、いたい」

お母さんが興奮してお父さんの頭をぺしぺしと叩く。嬉しさと恥ずかしさであまりケーキの味がしないまま、嚥下した。けれど、無理をしているのは私だけではないようで、目に入った翔くんの顔もケーキのいちごと同じくらい真っ赤に染まっていた。

「あ、そういえばこの後ちょっと気温上がるみたいだから気をつけてね」

変な空気になってしまって、突然止まった私たちの会話を、元凶であるお母さんが何とか取り持った。この後は翔くんが誕生日デートに連れて行ってくれる予定になっている。

「はい、ありがとうございます」

ケーキを平らげた翔くんがお母さんの気遣いに対してお礼を述べた。私も最後に残しておいたいちごを頬張る。

「時間無くなっちゃうから、早く行ってきな。誕生日に家にいてくれないの、なんかちょっと寂しいけど、嬉しくもあるね」

お母さんがそんなことを言いながら、私たちの出発を急かした。お皿を台所に片付けてから、すぐそれに従って、玄関へ向かう。少し迷って、学校には普段履いていかない多少身長が盛れる厚底の靴を選んだ。

靴を履き終わって、玄関を開けると、後ろでは翔くんがお母さんに向かって深々と頭を下げていた。

「すみません。ケーキいただいただけになってしまって。雪葉のことは俺に任せてください」

「うん。よろしくね。二人とも行ってらっしゃい」
「行ってきます!!」

元気な声を上げて、二人で揃って外に飛び出した。しばらくして、ガシャンと玄関の扉が閉まる。

「あぶない……私、二人の前で泣いちゃうところだった……」

「大切に育ててきたからそこ、子供の成長って、嬉しいだけじゃないんだよ、きっと。こっから二人で見守っていこう」

そんな会話が、背後から聞こえてきた気がした。

最寄り駅から何度か電車を乗り換えて、計画していた場所に向かう。車両が揺れる度に、かばんに着いたぴちぴちくんのストラップがかちゃかちゃと音を鳴らす。

「雪葉の目元きらきらしてて、みたことない髪型してる。かわいい。あとで写真撮りたい」

「そうだよ。翔くんのために今日の朝お化粧して、髪は編み込みハーフアップにしたんだから。もちろん、いっぱい写真撮ろ!」

翔くんとたわいもない会話をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまって、目的の駅のホームに降りた。

「うわあすごおお」

地上に出ると、目の前に大きな海が広がった。悪魔になった時、翔くんが一緒に海に行きたいと言っていたのを思い出して、ここを提案した。さすがに、六月前半の海だと寒くてまだ泳げないけれど。

「まずは展望台登って、近くに雪葉の好きな水族館もあるから、あとでそっちも行こう」

「うん!いく!」

翔くんに連れられて、予定していた展望デッキへ向かう。人の多さに大体のことは目立ちそうもなくて、手をつなぎながら歩く。

チケットを購入して、展望デッキへ登ると、一気に視界が広がった。まるで地球を真っ二つに割ってしまったみたいに、水平線が天地を隔てている。

「うあわ……すごい」

思わず口をついて出た感嘆に、翔くんが頷いてくれた。

「私たちってこんなに小さかったんだ」

下を覗くと、見上げないといけなかった灯台も指の半分くらいしかなくて、歩く人々なんてありんこよりも小さくなっている。

「ねえ雪葉、今つらい?」

「え」

展望台から地上を真剣に見る私に対して唐突な質問を投げかけてくる翔くん。不思議に思いつつも、思いついた自分なりの答えを返す。

「つらいことが無いわけじゃない。将来だってすごく不安。でも、私はもう大丈夫。自分の生き方を見つけたから」

「なら、良かった。俺も、もう自分に嘘つかなくても生きていけそう。誰かの正解も、誰かにとっては間違いなんだって気づいたから。ありがとね、雪葉」

突如、激しい突風が私たちを襲って、思わず目を閉じる。瞼を閉じ切る前の一瞬、翼を広げ、悪魔の姿になった翔くんが映った。

「翔くん?」

慌てて目を開けると、遥か上空で、真っ黒な羽が二枚、飛びさっていくのが見えた。

「大好きだよ、雪葉」

ぎゅっと身体が引き寄せられて、人の温度に包まれる。困ったような、嬉しいような顔をしながら、私を抱きしめてくれた。

「私も翔くんのことが、大好き」

すかさず、子供みたいに、全ての力を出して、翔くんの全身に抱きつく。この世で一番の優しさを、独り占めしたくて、必死にその身体を抱きとめる。

「俺、人間に戻れたんだよ」

だんだんと涙声になっていく翔くんの声につられて、私も喉の奥から、感情がこみ上げてくる。

「うん。良かった。ほんとに、良かった……」

悪魔になるほどつらかった翔くんが、生きててくれたことが嬉しくて、私と一緒に居てくれることが幸せで、心の底から、ゆっくりと言葉を送っていく。

「悪魔になりきった人が元に戻るなんて、奇跡でも起こらないとありえないのに」

噛み締めるような声で、こぼされた言葉に、そっと反論した。

「人生に、奇跡くらい起こるでしょ」

「それも、そっか」

二人で揃って、目に涙を浮かべながら、笑いあった。傍から見たら、おかしなカップルだと思われているに違いない。けれど、今はそんなことはどうでもいい。

そっと拭ったそれぞれの涙には、くっきりとお互いの顔が映っていた。