私、夢の中でエベレスト先生に会ったんです

私はそれを横目で見つつ、目的地に向かって歩いていた。
今日の天気は晴れ。
雲ひとつなく、太陽が容赦なく照りつけていた。
額にじんわりと汗が滲み出てくる。
私はハンカチを取り出すと、額の汗を拭いた。
こんなに暑いと、嫌でも思い出してしまう。
あの夏の日のことを……。
あれはまだ私が小学二年生の時だった。
家族で海に行った帰り、高速道路で事故が起きた。
渋滞に巻き込まれた車の中で、両親は必死に私達を守ろうとしていた。
その時の両親の顔を今でも覚えている。
恐怖で引きつった顔をしながら、それでも笑おうとしていて……。
でも、そんな努力は虚しく、結局は最悪の結末を迎えた。
「どうしてこうなったのだろう?」
そんなことばかり考えてしまう。
私は後部座席に座ると、目を閉じた。
瞼の裏には、ついさっき見たばかりの光景が映っている。
車がガードレールを突き破って転落していく瞬間が、脳裏に焼き付いて離れない。
「これからどうすればいいの?」
答えてくれる人などいないとわかっていても、問わずにはいられなかった。
誰も頼りにならないのなら自力で人生を終えようと思った。
車のドアを開けて道路に落ちた。
まだ昼前だというのにアスファルトは焼けるように暑かった。
目の前に広がる真っ青な海に、私は吸い込まれていった。
海の中は心地よかった。
何もかも忘れることができた。
このままずっとここにいられればいいのに……。
そう思った矢先、海面は近づいてくる。
「地震です。
地震です。
高台へ逃げてください。
地震です…」
避難勧告か風に乗って聞こえてくる。
もう、どうでもよかった。
立ち上がる気力も元気もなかった。
………………だから、揺れが収まるまで、そこでじっとしていることにした。
しばらくして、波の音が遠くから聞こえてきた。
……もう大丈夫かな?
「……ねぇ?あなたは津波って信じる?」
背後から声がした。
振り返ると、黒い服を着た女性が立っていた。
「えっと、誰ですか?」
女性は悲しげに微笑むと、私の隣に腰掛けた。
「私はね、信じてるの。
もし、この世界が終わるというのならば、最後にもう一度だけ会いたい人が居るの」
「……はぁ」としか言えなかった。
「ねぇ、あなたは一体何を信じているの?」
そう聞かれても、咄嵯には答えることが出来なかった。
「そうですね。
私は……、この世界の美しさですかね」
「そう」と一言呟くと、彼女は立ち上がった。
「あなたは美しいわ。
とても綺麗よ」そう言い残すと、彼女は去っていった。
……一体なんだったんだろう。
まるで夢のような出来事だった。
「……あー、ちょっといいか?」と担任の花山先生に声をかけられたのは、それから一週間後のことだった。
「……えっとだな、お前の両親について聞きたいことがあるんだ」
「……はい?」と思わず間抜けな声が出た。
「……えっと、どういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味だ。
……えっと、まずはだな、先週提出した進路調査票だが、あれは白紙で出したのか?」
「いえ?ちゃんと書きましたけど」
「ん?でも提出されてなかったぞ?」
「え?おかしいなぁ」と首を傾げる。
確かに鞄の中に入れたはずなのに……。
「それで、お前は何て書いたんだ?」と尋ねられる。
「私は、『小説家』と書いて出しました」
「ほぉ、それはまたどうして?」
「まぁ、いろいろありまして……」と言葉を濁す。
……まさか、自分が小説を書いているなんて言えるわけがないじゃないですか!
「まぁ、深くは聞かないが、あまり目立つことはするなよ?」
「はい」と素直に返事をする。
「それじゃあ、もう帰ってもいいぞ」
「はい、失礼しました」
職員室を出て階段を降りていく。
すると、一階の廊下に佇んでいる人物がいた。
彼女はこちらに気づくと、小さく手を振りながら駆け寄ってきた。
「やっほう!」
「こんにちは」と挨拶を交わす。
「今日は部活はお休みですか?」
「うん、そうだよ」と沙世子は言った。
「えっと、何か用事でもあった?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」と口ごもる。
「何?もしかしてデートのお誘いとか?」
「ちっ、違いますよ」と慌てて否定する。
「あんたの進路調査票。
白紙とすり替えたって子がいてさ」
「はぁ?」
「かなり、おイタが酷いんでちょいと〆ておいてやったよ!」
「……そ、それはありがとうございます」
「うむ、礼には及ばん」と偉そうに胸を張る。
「ところで、どうしてそんなことを?」
「決まってるじゃないか。
うちの部員に手を出した罰だよ」
「別に私は……」と言いかけた時、「あなた、小説家志望なんですって?!」女子がキラキラした目で大勢寄ってきた。
「へぇ~、そうなんだぁ」
「私も実は目指してるの!」
「私も私も!」と次々話しかけてくる。
「え?えっと、あの、私は別にそこまで考えてなくて……」と慌てふためく私を見て、沙世子が呆れたように溜息をついた。
「あのさぁ、みんなも言ってるでしょ?こいつはただの文豪マニアだって」
「誰がオタクよ!!」と一斉に抗議の声が上がる。
「……でも、凄いね。
憧れてるだけじゃなく、本当になろうとしているなんて」と女子の一人が言う。
「いやぁ、それほどでも……」
「でも、やっぱり大変なの?」と質問される。
「そりゃあもう大変ですよ。
毎日のように締め切りがあるし、締切に間に合わないと編集者さんから鬼電がかかってくるし……」と愚痴を言う。
「でも、楽しいんですよね?」
「え?……まぁ、そうですね。
やりがいはあります」
「ふぅん、そっか」と少し寂しげに笑う。
「でも、あなたは凄いわよね。
自分のやりたいことがはっきりわかっているんだから」
「そんなことないです。
それに、私はあなたの方がすごいと思いますよ」と言うと、彼女は照れくさそうに笑った。
「えへへ、そんなことないって」
「そんなことないですって。
私はあなたのようになりたいと思っています」
「……私みたいに?」
「はい」
「……無理だよ。
私は私であって、他の誰でもないんだもの」と言って彼女は立ち去った。
放課後、私は図書室でチョモランマ星人と出会った。
外国人教師で日本にチョモランマ拳法を教えに来ている。
「おっす。
どしたい?」
「あっ、エベレスト先生」
「どうしたの?なんかあったの?」
「実はですね、昨日の夜、見た夢なんですけど」
「ほうほう」
「私、夢の中でエベレスト先生に会ったんです」
「へー」
「それで、夢の中の私は先生のこと知ってて、でも私は自分自身を見失ってて。
先生に言われた一言一言が胸に突き刺さってきて……」
「……それで?」
「……はい、そこで目が覚めました」
「なるほどねぇ」とエベレスト先生は腕を組んだ。
「つまり、君はまだ自分というものを見つけられていないんだろうねぇ」
「……そうかもしれません。
先生はどうして拳法を始めたんですか?」
「んー、まぁ色々あってねぇ」と頬を掻く。
「君はさ、誰かに憧れたことはあるかい?」
「え?……そうですね。
よく言われるのは沙世子ですかね」
「ふむ、いいねぇ。
他には?」
「他ですか?玲奈さんと、あと、小説のキャラクターかなあ」
「ほぉ、それはまたどうして?」