十数本の触手をブルンブルンと振り回す巨大な軟体動物がヒロインの中学生女子に襲い掛かる。
 本作品の女主人公である彼女の名前はヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)で、既に書いたように、女子中学生である。ちなみみ軟体動物の名前はレイミアード・カッサーノだ。
「ぐごごごごごお!」
 ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)は喚き散らした。叫べば誰か助けが来るかもしれないと思ったのだ。しかし、助けは来ない。彼女は今、地獄の底の底にいる。そんなところまで来る奴は滅多にいないのだ。
 どうして地獄の底の底にヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)がいるのかというと、色々あったからだ。
 理由、その一。
「兄弟・姉妹と比べられた」
 両親や周囲の大人たちは、ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)と彼女の兄弟・姉妹を比べ、彼女を劣った存在とみなした。何がそんなに違うのか、客観的にはハッキリ分からない。身近で見ている者にとっては差別するだけの理由があったということなのかもしれないが、それが正しい振る舞いと言えないのは言うまでもないことだ。
 理由、その二。
「クラスメイトと趣味が違うせいで、仲間外れにされた」
 要するに学校でのいじめだ。他人の趣味なんかほっとけ! という話だが、そうもいかないものらしい。ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)の推し活の対象が、他のクラスメイトたちが贔屓にしている存在のライバルだったのかもしれない。いずれにせよ、それがいじめの理由にはなり得ないのは明らかだ。
 理由、その二。
「“女子らしくしなさい”など、偏見を押し付けられた」
 もしかすると、これがヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)が迫害される最大の原因なのかもしれない。彼女は“女子らしさ”と一般的に語られるものとは無縁だった。残酷な差別に対し大人しく服従する、なんてことはまったくなかった。徹底的に反抗した。たとえば兄弟・姉妹と比べ自分をネグレクトする両親その他の大人たちに報復した。ここには書けないくらい残虐無比な方法で、この世から消えてもらったのだ。自分を仲間外れにしたクラスメイトもそうだ。彼女を除いた一クラスが全員が、あの世へ行った。それでかなり気分はスッキリした。だが、それでも敵は消えない。“女子らしくしなさい”などの、偏見を押し付けてくる奴らが、この世界にはウジャウジャいたのだ。そんな連中全員を地獄へ叩き込みたいと、彼女は思った。それは簡単ではない。だが、もしかしたら、自分にならできるかもしれない……と彼女は考えた。
 ちょっと、いや、ちょっとどころか、絶対にありえない話である。それに世の中にいる偏見の塊を始末していたら、人類は絶滅するだろうから、やるにはそれなりの覚悟が要る。
 しかしヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)にとっては、ありえない話ではなかった。彼女は幼い頃、地獄の悪魔と契約した。悪魔に魂を売ることで、多くの人間の命を消し去る魔の超能力を手に入れたからだ。その力を存分に活用し、不愉快な奴らを片付けてきた。だから、やろうと思えば、やれる。つまり、自分の邪魔をする奴らを殺害できるのだ……が、その数が多すぎると、さすがに大変だった。
 そこでヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)は地獄へ降り立った。自分の相棒となる邪悪なヒーローを探すためである。自分のような強力な魔の超能力者が良かった。そういうパートナーを探し歩いていたら十数本の触手をブルンブルンと振り回す巨大な軟体動物レイミアード・カッサーノと遭遇した。こいつ、相棒になるかも……と思ったら、敵になった。
 そうなったら、戦うしかない。
 ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)は魔法の呪文を唱えた。異次元の超時空生命体を封印した魔剣オーケンシールドガスホース・トルムーダイハーディアを亜空間ポケットから取り出す。巨大な軟体動物が繰り出す十数本の触手を片っ端から斬り落とす。触手を斬り落とされた軟体動物レイミアード・カッサーノは悲鳴のような鳴き声を発した。
 勝てる! とヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)は確信した。そのときだった。彼女の背後から、別の軟体動物レイミアード・カッサーノが襲い掛かった。挟み撃ちされた彼女は前後から攻撃してくる数十本の触手を捌ききれなくなった。太い触手が彼女の手足や胴体に絡まり、遂に動けなくなってしまう。
「しまった!」
 二匹の軟体動物レイミアード・カッサーノは捕らえたヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)を八つ裂きにしようと触手に力を込めた。持ち前の頑固なパワーで耐える女子中学生ヒロイン! しかし、それにも限界がある。全身を引き裂こうとする触手の力に抵抗しながら。彼女は呻き声をあげた。
「くっ、もうダメかも……悔しい……」
 理不尽な目にあって絶望したヒロインの前に、中学生男子が姿を現した。二匹の軟体動物の触手が届かない安全地帯に立って、彼は言った。
「お困りのようだけど、どうしたらいいだろうねえ。助けが必要だったら、助けてやるよ」
 なんかちょっと上から目線な言い方だった。普段のヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)だったら、おそらく「失せやがれ!」と拒絶していただろう。
 だが今は、そんな状況ではなかった。
「見りゃ分かるだろう! 助けろ!」
 中学生男子は、その言い方が気に入らなかったようだ。彼は言った。
「なんだあ、その口の利き方は! へん! 善意の無償行為をしてやろうと思ったけど、やめた。対価を要求する」
「はあ?」
「お礼を求めてるんだよ」
「お礼?」
「感謝の気持ちを態度で示せ」
 そう言ってから男子中学生は自分を指差した。
「俺の要求に応えてもらう。こっちの望みをかなえるんだ」
 ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)の頭の中に、様々な思いが渦巻いた。
「やだ! 変なことは絶対にやだ!」
 中学生男子は呆れ顔で言った。
「そんなことを言っている場合かよ。触手に手足を引っこ抜かれるぞ。そのままでいたけりゃ、ずっとそうしていろ。こっちはお前がどうなろうと知ったこっちゃないんだ」
 背を向けて立ち去ろうとしかけた男子中学生をヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)が呼び止める。
「分かった、分かったから! 助けてちょうだい!」
「そう来なくちゃ」
 男子中学生は振り返った。いつの間にか、その手に長くて大きい高枝切り鋏が握られている。彼は高枝切り鋏の刃をカチャンカチャンと鳴らしながら言った。
「これで触手を切る。動くなよ」
「それ、どこから出したの?」
 ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)から尋ねられ、男子中学生が答えた。
「スカッと胸きゅんサイキックパワーで生成したんだ。一種の超能力だよ」
 自分の持つ魔の超能力と似ている。ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)は、そう思った。
「それは、私の力に似ている! その力は、どうやって?」
 尋ねられた男子中学生が答える。
「スカッとする胸きゅんの神から貰った。クリスマスプレゼントだったよ」
「なんじゃそれ?」
「知らん。詳しいことはスカッとする胸きゅんの神に訊いてくれ。こっちは、とにかく使えと言われたから使うだけさ。ただし」
 高枝切り鋏の刃を開いたり閉じたりの動作を繰り返しながら、男子中学生は言った。
「こっちの条件を吞んでもらう」
 ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)は痛みに耐えながら尋ねた。
「その条件とやらを早く言って」
「君のことを、スカッとする胸きゅんの神から聞いている。凄い超能力者だとね。それ以外にも、色々な話を聞いた。たとえば、小説を書いているとかね」
 それは事実だった。ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)はスターツ出版の小説サイトに自作小説を投稿している。だが、人に話したことはない。ペンネームで投稿しているので、誰にも知られていないはずだった。
「だからなに?」
「その小説を読みたいな、と思ってね」
 スカッとする胸きゅんのストーリーが好きだから、そういうのを読みたい――と男子中学生は言った。
「僕が触手をちょん切る作業中に、次作を朗読して。それが条件」
 拍子抜けだった。
「それでいいの?」
「ああ」
 魔の超能力を使ってヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)はスマホを操作した。朗読アプリに自作を読み上げさせる。本当に、こんなのでいいの? と思いながら彼女は自作に耳を傾けた。

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☆ ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)の自作小説、その一

 とある芸能事務所と深い付き合いのある友人がいた。ある日そいつが忙しいってことで、代わりにタレントの送迎を頼まれた。こっちも何度かやっている仕事だった。また一つ頼むと言われたのだ。報酬は悪くなかった。こっちは、それなりの信用があったからだ。余計なことを言わなければ、それだけの金が貰えるってことだ。
 ある場所でタレントを拾い、別の場所へ運ぶ。そういう話だった。某テレビ局の近くから大物芸能人が多く住む地域へ車で送り届け、帰ろうとしたらスマホが鳴った。事が済むまで待て、との指示だった。分かったと返事をする。不満があっても受け入れるのだ。とやかく言わない。どんな仕事でも大切なことなのだろうが、今夜はとりわけそうだった。曇り空に見え隠れする満月を眺めて時間を潰す。
 しばらく経って呼ばれた。敷地内へ入れとのことだ。中へ入るのは初めてだった。オートロックの門扉が開いて、やっと車が入れる。警備員はいない。車を徐行させエントランスの前に横付けする。タレントが出てくるのを待ったが出てこない。スマホに連絡が入る。泥酔して動けないから運んで欲しいとのことだった。やれやれだ。
 玄関の鍵を開けてもらい、住居内に入る。変な匂いがした。足元に大いびきのタレントがいた。立てるかと聞いたが返事がない。肩に担いで無理やり立ち上がらせる。家の主がいたので、どうすればいいかと指示を仰いだ。相手は目をぎらつかせ、こっちを見つめている。苦笑した。こっちには、そういう趣味がない。芸能界にデビューするつもりもない。ついでに言うと、こっちは相手の好みとされるタイプとは程遠い面相をしている。真顔で再び次の指示を伺う。
 タレントのマンションへ運ぶのは駄目だと言われた。マスコミが張り付いているからだ。別の場所へ連れて行くように命じられる。渡された紙に書かれた住所へ行くには少し遠回りしないといけない。そう付け加えられた。幾つかのポイントを通るのだそうだ。詳細を聞くのは止めた。何をどうするのか、それだけ聞けばたくさんだ。
「それじゃ」
「待って」
「何です?」
「これを持って行くと良い」
 お守りを手渡された。返すのも何なので礼を言って受け取る。
「気をつけて」
 写真を撮られるな。その意味だと思ったら、違った。幾つかのポイントとかいうのを越えたら、一気に来た。変な物体、きっと霊魂とか幽霊とかいう連中が、車の外をうようよ歩くのが見えてきたのだ。こっちには、霊感が少しだけある。だから、そういうのが街を普通に歩いていることを知っているのだが、今夜は多すぎた。そういう奴らしかいない街の中に車は入り込んでいたのだ。
 カーナビが目的地到着を告げる。幸いにも周囲に幽霊はいなかった。後部座席のタレントを車から降ろそうと後部ドアを開ける。横倒しになって眠っていたタレントが体を起こした。全然違う人相に代わっていた。いや、人というより野獣の顔だ。こっちに向かって牙を剥く。慌ててドアを閉める。送り届ける予定の建物の入り口横の呼び鈴を鳴らす。インターホンから返事があった。女の声だった。頼まれて人を運んできたのだが、ちょっと困っている、力を貸して欲しいと頼む。玄関から三人の女が出てきた。若い女、中年女、老婆の三人だった。同じような顔をしている。三世代なのか、赤の他人なのか、こっちは分からない。後部座席のアレをどうにかしてもらえたら、それでいい。
 女たちはタレントを大人しくさせることに成功した。車から降りたタレントは四つん這いになって建物へ入って行った。中をちょっとだけ覗いたら、鏡が見えた。風呂の鏡のように湿気で濡れている。こっちの姿は映っていたが、三人の女の姿は見えない。余計な詮索はせず立ち去ることにした。女たちに頭を下げる。向こうも会釈した。建物に入らず、こっちを見送る様子なので、さっさと車を出す。見ないつもりだったがバックミラーを見てしまう。女たちの姿は、やはり見えなかった。
 出るときは普通に出ていいのか、聞くのを忘れた。ポイントを逆戻りしなくていいのかと思ったが、一方通行を逆戻りするのは避けたい。幽霊もイヤだが、それ以上に警官とかかわり合いたくない身の上なのだ。お守りを頼りに、幽霊が闊歩する街を進む。
 大通りに出た。幽霊も見えないが人もいない。人の声を聴きたくなってラジオを付ける。深夜の人生相談だった。こんな時間に珍しい。故郷を離れた者の話だった。急に煙草を吸いたくなった。生憎と切らしている。煙草は諦めるとして、その代わりに喉の渇きを潤そう。自動販売機を見つけたので車を止める。自販機の横に階段があった。何の気なしに階段の下を見る。階段の天井に照明があった。照明の黄色い光に引き寄せられて階段を降りる。階段の下に街があった。人も車もいない車道と夜空に浮かぶ三日月が見える。夜空に浮かぶ満月をさっき見ていた気がするけれど、それについては深く考えないことにした。階段を駆け上がって車へ戻る。ここで飲み物を買うのは止めた。早く帰って寝よう。
 その後もタレントの送迎をする機会があった。あの晩ひどく泥酔していたタレントの送迎も二度か三度やった。最初の時は緊張したけど、次からはそうでもなかった。相手はこっちを覚えていない様子だった。でも、ある時ふとバックミラーを見たら、こっちを変な顔で見ていたから、もしかしたら何か思い出したのかもしれない。それでも、こっちは何も言わない、尋ねない。それなりの報酬を得て生きていくためには、それが大切なのだ。

☆ ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)の自作小説、その二

 市役所に通じる道路は市警の警察官と州兵が完全封鎖していた。市職員は身分証を見せれば通してもらえるが、一般市民は身分を証明できるものを見せても通過が許されない。無理に通ろうとする者は阻まれた。制止を振り切って中へ入ろうとすると逮捕される。抵抗する者は激しく殴打された。幸いなことに死者は出ていないが、完全武装の警官隊と州兵部隊には発砲許可が出ており、死人が出てもおかしくない状況だった。
 異常な事態である。市民からは不満の声が上がっていた。市役所と市警本部そして州兵を統括する州政府に苦情の電話が殺到していたが、市と州当局は無視を決め込んでいる。過激派対策が最優先なのだ。
 これほどまでに要警戒なテロリストとは何者か?
 ジュンとジュネという同性愛者のカップルだ。二人は憲法が認める同性婚の権利を行使しようと市役所へ婚姻届けを提出しに行って受け取りを拒否された。州政府の法律には同性婚の記載がないため、書類は認められないというのが理由である。市への抗議がなしのつぶてだったので州政府に抗議文を送り付けたが、これも無回答だった。地方レベルでは話にならないと考えた二人は中央政府の出先機関へ相談した。中央政府の回答は明確だった。同性婚を認めない市と州の対応は憲法違反である。ただちに書類を受理せよ、という命令が市と州政府に送られた。地方政府に結婚を認められなかった同性愛者のカップルが中央政府を味方につけたわけだが、これが市と州当局にとっては体制を揺るがす極悪人に映ったのである。
 この地方が元来、保守的な土地柄だったこと。そして革新政党が与党の中央政府と保守派の牛耳る地方政府の対立があったために、ジュンとジュネの同性婚が大問題に発展してしまったのだった。二人を応援するグループが現地入りし調整を図ったものの解決には至らず逆に、その中の強硬派がデモ行進を実施したことが相手を刺激してしまい、遂に警官隊と州兵部隊の動員による市役所封鎖という事態に至った。
 中央政府は地方の過剰反応を事実上の反乱とみなすか討議を重ねた。反乱とは認定されなかったが、政権内では強硬案が選択される。首都の治安維持を任務とする陸軍空てい部隊と歩兵部隊の現地派兵が決まったのだ。
 中央政府の派遣命令を受け州政府は州空軍に最高レベルの警戒を命じた。州空軍の戦闘機部隊は空てい部隊の輸送機を撃墜し、爆撃機部隊は歩兵部隊を載せたトラックを木っ端微塵に吹き飛ばす準備を始めた。
 情勢の悪化を目の当たりにして、無関係の市民の間に動きが見られた。内戦の勃発を恐れ市街地から逃げ出そうとする者が現れたのである。
 別の動きもあった。一部の市民が同性愛者への迫害を始めたのだ。市警が見て見ぬふりを決め込んだので暴力がエスカレートした。被害者側や報道各社が事実を広く世界に公表したため、世界各国から非難の声が上がった。中央政府は一刻の猶予もないと判断し派遣予定の部隊の出発を急がせると共に、現地駐留の陸軍部隊にも出撃を命じた。
 だが、これは危険な一面があった。現地の陸軍部隊は、その土地の出身者から成る。彼らが中央政府の命令を拒否する恐れがあるのだ。最悪の場合、市と州当局に合流するかもしれない。それは反乱の序章と考えて差し支えなかった。
 中央政府の与党は特使二名を派遣した。一人は地方政府側へ、もう一人はジュンとジュネの元へ。地方政府への特使は市役所の封鎖解除を要求すると同時に、それを拒否した場合の中央政府の対応を伝えた。国境線から移動させた陸軍戦車部隊と最新鋭戦闘爆撃機部隊が数時間以内に進撃を開始するという通告に州軍首脳は震撼した。州空軍の航空機は旧式機が多く、それでは最新鋭機に太刀打ちできない。それに州兵の装備では厚い戦車の装甲を貫けなかった。総攻撃されたら彼らに勝ち目はなかったのである。
 ジュンとジュネに派遣された特使は、市役所への婚姻届け提出を諦めるよう促した。その代わり中央政府が特別措置として二人の結婚を認めると伝えた。
 特使との会談終了後、市と州当局の首長は市役所の封鎖解除を宣言した。ジュンとジュネはマスコミに対し、事態の早期収拾のため特使の提案を受け入れると発表した。そして二人は特使に保証人となってもらい中央政府へ婚姻届けを届け出た。この騒動はそれでようやく収まったのである。
 ところで、この事件がどうして「ジュンとジュネのジューンブライド事件」と呼ばれるかというと、ちょっとした事情がある。二人の婚姻届けが首都の関係省庁に届けられたのは五月末だったが、担当の役人が書類を決裁したのは六月に入ってからだったので、二人が結婚したのは六月ということになったのだ。
 ジュンとジュネが末永く幸せに暮らしたのも、他の同性愛者が普通に結婚できるようになったのも、ジューンブライドのおかげだという都市伝説があるけれど、お題が「都市伝説」だったのは四月のことだ。五月末の今は「ジューンブライド」だけですべての説明が付く。

☆ ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)の自作小説、その三

 ヴァンパイア狩りで学費を稼いでいる。そう言うと大抵の人は驚く。何しろ危険な仕事だ。マッチョなタフガイをイメージするのだろう。確かに、そんな体格の男性同業者は多い。でも、皆が皆そうじゃない。虫も殺さぬ顔をした老婦人が恐るべき殺し屋の場合もあるし、月齢三か月程度の乳児が超能力で吸血鬼に幻覚を見せ月光浴のつもりで日光浴させて消し炭に変えるなんてのもある。私みたいに小柄な女子中学生なら、普通ではないにせよ騒ぎ立てるほどのものでもない。
 それでもやっぱりビックリされるし、色々と聞かれる。たとえば、こういうのだ。
「ヒーローと契約で特別な関係になったり、たくさんの吸血鬼に取り合いされちゃうなんてことも……あるの!?」
 こんな質問をするのはだいたい、同い年くらいの女の子だ。ヴァンパイアというものに、何かしらの憧れがあるのだろう。
 質問の答えは彼女たちを失望させる。ない、そんなことは全くないのだ。
 まあ、もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない。けれど、私に関してはない。私にとってのヴァンパイアはヒーローじゃない、狩りの獲物だ。たくさんの吸血鬼に取り合いされちゃうなんてことの代わりに、一匹のヴァンパイアを仕留めるためにたくさんの吸血鬼ハンターが協力するのではなく互いの足を引っ張り合い、時に人間のハンター同士で殺し合うことがある。人間は吸血鬼以下の存在だと痛感させられる瞬間だ。世紀末はしばらく来ないというのに、もう世も末だとウンザリする。
 それはいい。私の狩りのやり方を教える。ヴァンパイアは血を求めて闇の中をさまよっているので、血の匂いでおびき寄せる。鉄とタンパク質の複合体から精製する人工血液気化ガスの入ったボンベの栓を開けて待つのだ。のこのこ現れたら捕まえる。警官みたいに手錠をかけるわけじゃない。私に見つめられた吸血鬼は、私の言いなりになる。大人しくしろと命じたら動かなくなるし、死ねと言われたら自らの心臓に杭を打ち込む。どういった理屈でそうなるのかは知らない。父が異世界から来た異形の神だったとか、母が滅亡した大宇宙の魔女の生き残りだとか、いろんな仮説を聞かされたけど二親ともこの世にいないので聞くことはできない。
 とっ捕まえた吸血鬼をどうするかというと、売る。美少年が大好物の芸能事務所社長やハンサム大好きなヌン活マダムがお得意様だ。中産階級の家庭にも売れる。ちょっと良いところで、箱入り娘がいるような家だ。親が買って、お嬢様にあてがうのである。意外に思えるかもしれないが、売上高はこちらの方が多い。車を買い与えるような感覚だろうか。
 どうして吸血鬼を娘に与えるのかというと、変な虫が付かないようにするためだ。凄いイケメンで人間離れした戦闘能力を持つ吸血鬼にかなう男なんか、まずいない。要するにデカい蚊がボディーガードになって、他の男が寄り付かないようにしてくれるのである。蚊に刺されたらどうするのって心配はご無用だ。吸血鬼に生殖能力はない。絶対に避妊してくれるボーイフレンドなら親は安心だ。娘と家族に危害を与えぬよう私が命じたら絶対服従するので、飼い主には噛みつかないことは保証済みだ。
 そんな従順な美男子が選り取り見取りなんて、羨ましい! とやっかむ子がいるけど、私は全然うれしくない。私にとって吸血鬼は売り物にすぎないのだ。好きも嫌いもない。とっ捕まえて売るだけだ。
 そんな現実主義者の私も年頃の女の子だ。いつか素敵な彼と巡り会いたい。繰り返すけど、それは吸血鬼じゃないよ。売り物に手を付けるのはプロじゃないから。

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 ヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)はオーディオブックのアプリを停止させた。自分を拘束していた触手のすべてを、男子中学生が高枝切り鋏で切断したからだ。
 男子中学生は手際よく作業した。触手の本体である軟体動物レイミアード・カッサーノは男子中学生を敵とみなし攻撃を仕掛けたが、それを排除して切断を続けたのだから大したものである。大半の触手を失い、軟体動物レイミアード・カッサーノ二匹は逃げ出した。中学生男子に助けられたヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)は、素直な心でお礼を言った。
「助けてくれて、本当にありがとう」
 高枝切り鋏を消毒用アルコールで湿らせた布で拭きながら男子中学生が言った。
「それほどのことじゃないよ。話を聞かせてもらったから。だけど」
 手品のように高枝切り鋏を瞬時に消して彼は付け加えた。
「さっきの話だけど、スカッとする胸きゅんストーリーだったのかな。違うような気がしたけど」
 スカッとする胸きゅんストーリーは、これから二人で創り上げればいい……とヤーヤーヤーズ・ゴオマ・グアールブリュット(仮名)は思った。