ピコン、と携帯から音がした。
 俺の恋人からだった。
『電話かけていい?』
 だるいな、と思ったが前みたいに癇癪を起されても困る。
 いいよと返信した。
 また病んでいるのだろうか。
 俺の恋人はとてもメンタルが弱い。
 そのくせ何人も人を殺している。
 頭おかしいんじゃないか。
 すぐさま携帯が鳴る。
 恋人には俺がいい人に映っているのだろうなと思った。
「もしもし」
 不安定な声が聞こえる。
 この声はいつだって、俺をイライラさせてきた。
「ねぇ大丈夫?」
 相手を心配するフリをすれば、みんな勝手に優しい人間だと錯覚してくれる。
 なんて単純なのだろう。
 面倒だと思う時ももちろんある。
 しかし俺は、誰かに必要とされないと生きていけない人間なのだった。
 絶対本当の俺は嫌われてしまうから。
 必死にいい子の皮を被るしか生きる術がないのだ。
「うん大丈夫。良ければ今から会えないかな?」
 面倒。
 せっかくもう眠る準備万端だというのに。
 けれど俺のキャラってのは厄介で。
「全然大丈夫じゃないじゃん。声が上ずってる。いいよ君の家でいい?」
 いつか、本心を晒け出し恋人を殺し自分も殺すのだろうなと頭で思った。
「うん」
 気まずい沈黙が流れる。
「じゃあ電話切るね。多分30分あれば行けると思う」
 嘘だ。
 今家にいるから、どれだけ時間がかかったとしても10分で行ける。
 君が俺の家の近くに引っ越してきたのだから。
 20分は現実逃避のための時間だ。
 理由を聞かれたら帰宅途中ってことにしよう。
「ごめんね。ありがとう」
 謝るぐらいなら最初から呼ぶなよ。
 けどそんなこと言えないからさ。
「全然大丈夫だって。謝らないでよ」
「うん。ごめんね」
 君は謝られ続ける面倒くささを知らないのだろう。
 癪に障る奴らみんな殺してきたお前には。 
「もう、だからいいって」
 そう言い電話を切った。
 切らないでと泣かれたこともあるから、まだマシだと思わないと。
 何度見ようと泣き顔は戸惑う。
「あーめんどくさ」
 ベットにどさっと倒れこむ。
 お気に入りのぬいぐるみにそっとぎゅうっと抱きしめた。
 中学生のころから元気がないときにしている癖のようなものだ。
 少し不安感が柔らぐ。
「よし。行ってきます」
 ぬいぐるみに告げ、携帯と鍵と財布を持ち、家を出る。
 鍵は2個。
 俺の家のと恋人の家の合鍵。
 それらを無理やりポケットに突っ込んだ。
 ほどなくして恋人の家に着き、チャイムを鳴らす。
 どうせ自傷をしているので出てこないのだろう。
 下手したら気づきもしないかもしれない。
 合いかぎを使い家に入る。
 家の中は外と同様、とても冷たい。
「お邪魔しまーす」
 部屋は暗い。
 相変わらず電気はつけていないみたいだった。
 恋人のことが書かれた記事が床に散乱している。
 変わらぬ荒れっぷりにもはや安心すら感じる。
「合鍵持っといてよかったよ。ねーどこいるのー」
 俺の声で、俺の本心とは違うセリフを吐く。
 なんとなく携帯の明かりを頼りに、手前の部屋から確認していく。
 死体解体に使うこの家で唯一綺麗な部屋。
 一発目でビンゴだった。
 床には赤い液体が大量に散らばっている。
 明らかにいつもと様子が違う様子で、俺の恋人は転がっていた。
「うわ、え、赤い。倒れてんじゃん。電気つけるよ」
 ドアの側にあるスイッチをパチッと押し、電気をつける。
 一瞬目がくらむ。
 次に飛び込んできたものは、腕と足から血が流れ、服が真っ赤に染まった恋人だった。
「え、ちょ、救急車。あと足と腕止血しないと……まって血、止まんないんだけど」
 慣れた手つきで止血をしていく。
 これをするのは何度目だろうか。
 血が止まる気配は全くない。
 周りに転がった包丁を見て、事の重大さに遅れて気づいた。
 包丁はいつも誰かの命を絶つときに使うもの。
 震える手で携帯を操作し、救急車を呼ぶ。
「もしもし!恋人が自殺未遂を起こして……」
 何とかここの住所を告げ、電話を切る。
 なんとかしないと。
 未遂のまま終わらせないと。
「ごめん、ごめんなさい……本当に、こんなはずじゃなかった。私を君を」
 殺そうとしたの、と聞こえた気がする。
 恋人は喋れる状態ではないから気のせいだろうきっと。
 それに謝るのは俺の方だ。
 俺が嘘を吐かず、もっと早く来ていれば。
 恋人が死なずに済んだかもしれないのに。
 恋人が死んで、俺が悲しまないことを、はっきり自覚せず済んだかもしれないのに。
 恋人が死ぬことよりも、恋人を殺し損なった虚無感が俺を悲しくさせている。
 自分の優しくとも何ともない本心に嫌気が差す。
 ……とどめなら、まだ間に合うか?