その日の放課後、私と我妻はテニスコートで汗を流していた。
 我妻は期待のエースとして。私はテニス部のマネージャーとして、だ。
 実は部員だけでなくマネージャーもそこそこ汗をかいてしまう。

 季節は梅雨を控えた六月初頭。そろそろ湿気が気になりだす時期だ。じめっとした空間の中で作業をしているだけで汗はどばっと溢れる。女子としては正直嫌だけど、マネージャーなのだから仕方ない。
 
 うちのテニス部はそれなりに強豪校とされている。
 我妻と私がこの高校を選んだ理由のひとつだ。

 元々県大会や全国大会に出場している実績がある高校だったけれど、我妻が入学したことで部内は殊更に活気立っていた。小学生の頃、興味本位でテニスを始めた我妻はすぐ秘めた才能を発揮し、その実力を伸ばしていった。
 
「――ッ」

 現在、テニスコートでは我妻が試合形式で練習をしている。
 荒く激しい呼吸音がボールを打ち返すたびにコート内に鋭く響く。
 私は我妻と相手生徒の得点や動きを細かくノートに記す。これも立派なマネージャーの仕事だ。失点時の動きなどを記録するのだ。選手一同が活動しやすい空気づくりを目指す、これが案外難しい。
 
「あずまくーん! こっち向いてーっ!!」

 思わず持っていたシャーペンを落としそうになる。
 予想はついていたけど、今日も凄い。私はちらりと声の方向へ視線を送る。
 テニスコートの外側、金網の向こう側に我妻のファンがびっしり。

 みんな目をきらきらと輝かせ、ハートマーク。彼の人気を示していた。
 まぁ、確かに我妻はそこらのアイドルよりイケメンだ。……抜けてるところもあるけど。
 幼馴染みとしては我妻が認められているようで少しだけ鼻が高い。

「ゲームセット。我妻、ちょっと休憩入れ」

 試合は我妻が圧倒的スコア差を見せつけ勝利。
 やや浅い呼吸を繰り返しながら、こっちに歩いてきた。その間、無意識だろうがユニフォームで汗を拭う姿にファン一同がもはや叫びに似た歓声を上げた。……あ、あははは。私はつい苦笑い。

「結衣、スポドリちょーだい。そこに置いてあるやつ」

 私は我妻が使用しているボトルを取り、手渡した。
 ついでにタオルも。すると、我妻は微笑した。

「さんきゅ。気ぃ利くじゃん?」
「ま、我妻が考えてることはわかるよ」

 私が言うと「そーかよ」と満更でもない様子。
 腐れ縁の我妻が考えていることなんて、だいたい察しがつく。

「あ、結衣ちゃんちょっと。……さっきの試合なんだけど」

 不意に声を掛けられたので身体を向けると、我妻の相手を務めていた生徒。
 同じ一年生だ。言葉から察するに、試合について聞きたいことがあるのだろう。
 私が「どうしたの?」と軽く聞き返そうとすると我妻が割って入ってきた。

「いま俺と結衣が話しってから。後にしてくんね?」

 慌てて我妻を見れば、やや不機嫌そうな顔をしていた。

「……我妻ってマジで結衣ちゃんのことになると怖いよな」
「そうそう。我妻、まずはその怖い顔引っ込めろよ」
「結衣ちゃんも困ってんだろうが……」

 騒ぎを察知した部員が間に入り、我妻を宥め始めた。
 自分が強引な言い回しをした自覚があるのか、我妻は唇を尖らせた。
 数秒の間を置いて我妻は一度だけ私を見て呟いた。

「とにかく、結衣は俺と話してるんで」

 我妻は私の前に入り、まるで隠すような立ち位置だ。
 彼はこういう節がある。とにかく私を守るような振る舞いをするのだ。
 ……もしかしてまだ子供って思われてる……?

 確かに子供の頃は虫が出たら泣いたり、すぐ迷子になったりしたけど、もうそこまでひどくはない……と思う。いつまでも守ってもらっちゃ我妻にも申し訳ないし、部内の雰囲気も悪くなってしまうかもしれない。
 もしも我妻の立場が危うくなってしまえば、それこそ本末転倒だ。

(まだ、あの時のこと……気にしてるのかな)