「やあ初めまして椿月」
「誰…?」


あの日あの時の呪い


私の名前は椿月、だ。訳あって神父に拾われた私は、彼の後を継いでシスターとして教会を管理している。私を拾った神父は既に他界したため、毎日この広い教会で一人で生活をしていた。

―あの日、アイツがくるまでは

「椿月〜、そんなに眉間にしわ寄せたら老け顔に見えてしまうよ」
「余計なお世話!」
ぬるりと壁をすり抜けて間延びした声で話しかけてくる青年(?)は、私の頭上2メートルほどの高さに浮いている。時代錯誤な着物を羽織り、紺色の髪の毛を長く伸ばして結んでいるこの青年―早い話が“幽霊”である。
「いい加減天に帰るかどっかいけ」
しっしと軽く手を振りながら睨みあげると、青年はおお怖い、と肩をすくめる素振りをするが表情はあくまでも余裕ぶった笑顔から変わらない。
「嫌だね。と、いうか君本当に僕に驚かないよねぇ…一応幽霊なんだけど?」
「悪魔として悪事を働かない限りは私は気にしない」
「…つれないなぁ」
顔の半分を長い髪の毛で覆った幽霊はそのまま私の頭上を旋回し始める。

コイツが現れたのは丁度一週間前だ。
夕方、近所のスーパーに買い出しに行って、帰ってきて、家のドアを開けたらそこにいた。思わず買い物袋を落とし、そのせいで卵が無残な姿になったが、私はすぐさま携帯を取り出し通報した。この間わずかに五秒。我ながら優れた機動力だと振り返ってみても思う。
「もしもし、今家に不審者が」
「ちょーーーーーーーーーーーーーーっと!!!!!」
三ケタの番号をプッシュし口火を切ると、慌てた不審者は私の周りを浮遊し始めた。
「待って!今警察呼んでも多分君の頭を心配されてしまうよ椿月!」
「なんで私の名前を…」
と、言いかけた口をつぐむ。
ぷつり。私が通話ボタンを押して電話を切ったのに安心したのか、目の前の不審者はほっと胸をなでおろした。
「―ッって!どうして殴りかかるのかなぁ!?」
「不法侵入して偉そうだな…―!?」
浮遊する謎の不審者を暴力に訴えてどうにかしようと試みたが、私の拳は空を切る。空振りをしたわけではない。ただ、不審者の体を私のこぶしが突き抜けたのだ。
「だからね椿月、まず僕の話を聞いて」
「本当に何者だ」
そう聞くと不審者は待ってましたとばかりに自己紹介を始めたのだった。
「僕はしがない浮遊霊。しばらく君のところにお邪魔しようと思ってね、よろしく」
「はぁ?」

と、いうことがあって唐突な自称幽霊からの同居(?)生活を宣告されてから一週間。私自身悪魔、幽霊というオカルト的存在をうっすらと信じていても、それを肉眼で見たことは今まで無かった。教会のシスターだから、幽霊や悪魔と戦えると思うな。私はあくまでも一般人だ。まあ、今こうして目の前に幽霊がいる状況で言うのもなんだが。
ただこの幽霊に関して分かってきたこともある。第一に割と常識的だ。悪魔染みた悪さはしてこないし、私に害を加えることはおろか、先日は庭に植えた花に水をやっていた。もちろん奴はホースに触れることができないので、ポルターガイストを起こして、だ。私の油断を誘っているのかとも疑ったがそうではないらしい。
第二に、何か果たさなくてはならないことがある、らしい。らしい、というのは奴がはっきり明言したからではないからだ。現世に未練があるのかと聞くとそうではないと答えたが、ならば天国に行けばいいというと出来ないのだと言った。
「僕は約束したからね」
一体それが誰との、どんな約束なのか問い詰めてもはぐらかされたのだが、なにか目的があってここにいる、らしい。いい迷惑だ。


「…ねぇ、聞いてるの?」
「うるさいな幽霊が」
「相変わらず辛辣だね…で、今日は何を作るのかな?」
台所に立った私の手元を眺めながら幽霊は呟く。食べもしないのに興味津々に聞いてくる幽霊を追い払いながら私は流し台の下からフライパンを取り出し、再び近づいてくる幽霊めがけて振り下ろす。無論、フライパンは空を切り幽霊には当たらない。ちっと舌打ちをして冷蔵庫の中から適当に肉や野菜を取り出しフライパンを火にかける。そうして出来上がった雑多に炒めただけのおかずを皿に盛り、手を合わせ目を閉じ簡素な食事を始める。
「椿月、相変わらず食べ物に疎いよね」
「食べれない奴に言われる筋合いはない」
「そうは言っても、君はまだ生きているんだからもっと生活に色を添えないと」
要らないお節介を焼いてくる幽霊を横目に見つつ、ふと私は箸を止めた。そう言えば私は幽霊の名前を知らない。
「私のことは名前で呼ぶくせに自分は名乗らないの?」
「…え?」
きょとんとした顔の幽霊は、ああ、と視線をそらした。
「…名前…ねぇ。そうだなぁ…桐雨、って呼んでほしいな」
「…きりさめ?名前?」
幽霊―もとい桐雨は困ったように眉尻を下げ、奴の蛇のような目が細く閉じられた。
「名前じゃあないかな…なんせ、ほら、僕ずいぶん前に死んでしまったから自分の名前も忘れてしまってね。僕はずっと昔、こう呼ばれていた気がしてさ」
随分見た目が若いから私と同じくらいのような気分でいたが、そういえばこいつは死んでいるのだ。見た目年齢などなんの判断材料にもならない。道理で浴衣なんかを着ているわけだ。
この日から私はこの居候幽霊を桐雨と呼ぶようになった。

それから二週間ほど経ったある日のことだ。
シスターとしての役目を一日終えた後、ふと気が付くといつもまとわりついてくる桐雨の姿が見えないことに気が付いた。実質奴が現れてから三週間。最近話すことも多かったせいか、人気のなくなった講堂がやけに広く感じる。
ここ数日、桐雨の様子が少しだけおかしい。奴は無表情で遠くを見ることが増えた。一体何が見えているのか私には分からないが、出会いがしらはあれほどペラペラよくしゃべるやつだったのに最近は口を閉じることが増えた。奴のお節介は相変わらずだが。
何かあったのだろうか。それとも何かが起こる予兆なのだろうか。
私は修道服を翻し、桐雨を探した。カツカツと歩みを速め部屋を回ると、案外早く奴を見つけることができた。
「…桐雨?」
桐雨はなぜだかカレンダーの前で立ちすくんでいた。どこか虚ろな目をして、無表情でそれを見つめていた奴に私は一瞬だけ声をかけるのをためらう。
「…、ああ、なに?」
はっと伏せていた目を上げて私を見た桐雨は張り付けたような笑顔を向ける。
「なに?、じゃない。こんなところで何してるの」
「…日付を見てただけだよ」
クスリと口角を上げたはそのままふわりと体を浮き上がらせる。肩に羽織った着物がそれにあわせて宙に広がった。
「僕を探していたんだろう?悪かったね、手間をかけさせて」
「…ちょっと」
くるりと踵を返して逃げるように去ろうとする、奴の態度が気に入らない。思わずひらめく着物に手を伸ばすが案の定手は空を掴むだけだ。しかし桐雨を引き留めるにはそれで十分だった。
「…どうかした?」
振り向いた桐雨を睨みあげながら私は吐き捨てた。
「桐雨、最近様子がおかしいよ」
いざこういう時に優しく聞き出すなんて芸当ができない私はシスター失格だろうか。出会った当初から、桐雨にどうしても素直に優しくすることができない。我ながらずいぶんひねくれたものだ。
当の桐雨は、その隻眼を少しだけ細めてから苦笑した。
「ずいぶん…僕のことを気にしているんだねぇ。そんなに気になるかな?」
「そうじゃなくて…っ!大体いつまでここにいる気だ!いい加減いい迷惑で…」
「うん、ごめんね」
私の言葉を遮って、桐雨が呟いた。
ごめん?奴が謝ったのか?今まで私をからかうことばかり言っていたこいつが?
私が驚きと戸惑いで何も言えないでいると、桐雨はススッと私の目の高さまで降りてきた。
「……長居して悪かったね。けど、……それも明日で終わるから」
そしてアイツは今まで見せたことのないような寂し気な笑顔を作って、呆然と立ち尽くした私を置いて霧のように霞んで消えたのだった。
―明日?
ふとさっきまで桐雨が見ていたカレンダーを見る。
「…明日…」




「おはよう椿月」
「ふざけんな今何時だと思ってんの」
時刻は夜の十二時前。桐雨に叩き起こされた私は不機嫌な声のままで桐雨睨みつけた。
「叩き起こすって…新聞を丸めて叩くなんて私はゴキブリか」
「しょうがないじゃん。僕は生きている君に触れられないんだもの」
桐雨は平然と言ってのける。畜生、もし私が奴に触れられたなら三発は殴るぞ。そんな物騒なことを考えていると桐雨の声のトーンが少しだけ落ちた。
「…椿月、お誕生日おめでとう」
「…まさかそれを言うために起こしたんじゃないよね?」
「いや…そうじゃないんだけど」
どこか言いにくそうに目を伏せた奴を見て、寝ぼけ半分の私の脳も少しずつ覚醒しだした。
「大体、まだ日付が変わっていない。サプライズかなんだか知らんけどそういうことをするなら日付が変わるのを待て」
あと十五分も満たないうちに日付は変わるのだ、何をそう急いているのか。
「…それじゃダメなんだよね。……ね、少しだけ僕の話を聞いてくれる?」
けれど桐雨の控え目なその物言いに違和感を感じて、私はただ頷くことしかできなかった。
「…明日は椿月の誕生日だよね。その日は…僕らにとっても特別なんだ。僕らは…ずっと昔のその日、死んだ」
死んだ。
そうだこいつは死んでいる。当たり前の事実だが腹の底が沈むような気分になった。しかし次に続いた奴の言葉で私は耳を疑った。
「そして同じく君も殺された。その日なんだよ椿月」
「…は?」
「今からざっと数えて三百年ぐらい前の話かなぁ。僕らは同じ主に仕える貴族でね…。働きは優秀だったと思うよ?けど優秀すぎたんだろうね、特に、椿月。君は」
「待って待っていったい何を言って…」
手のひらに嫌な汗がじっとりとこみ上げてくるのを感じた私は声を上げるが、聞いて、という奴の一言で押し黙るしかない。
「椿月は主に裏切られて処刑されることになった。僕らは異論を唱えたけれど、ついに君を助けることができなかった。僕らの目の前で、君はずっと昔の明日、見世物にされて殺されたんだ。僕はその日自分で腹を切った。君を、生かすために」
「…はぁ?」
思わず漏れた声に桐雨クツクツと喉の奥を鳴らして笑った。
「うんうん、そうだよねぇ。百年前も君はそう言ったよ」
「は?百年…?」
目を見開いた私を愉快そうに見つめて奴は頷いた。
「僕はあの日から霊となって、生まれ変わる君を探してきたんだ。今回が二回目なんだよ?…一回目の時、君は若い警察官だった。顔も声も、名前さえも一緒だから笑ってしまったなぁ。……まあ、それは今回もだけどね」
「…一回…目?今…私を生かすって…」
嫌な予感しかしない。だいたいそんな輪廻転生なんて、私が信じるとでも。襲い来る胸騒ぎを押さえて平然を取り繕いながら声を振り絞った。
桐雨の青白い顔がすっと真顔になる。
「…僕らは約束をした。君を必ず生かすのだと。君は明日、僕たちと共に生き、そして裏切りによって殺された、あの日と同じ年齢になる。…君は、そこで死ぬんだ。君自身が前世で結んだ約束に従って」
ひゅっと聞こえたのは、私自身が息をのむ音だった。
約束?そんなものは知らない。私は明日死ぬ?そんな意味の分からない理由で?何かの悪い冗談か。そんなことを考えながら私はそれでもまだ冷静に判断する余裕があったらしい。
「…“僕たち”?…桐雨一人ではないの?」
「……そうだね。…そして何百年も昔の約束を守って君を殺しにくるのも、彼女だ」
まるで呪いだねぇ、そういった桐雨の目は笑っていない。
「…私は…死ぬ、の?」
「いいや」
はっきりと首を振った桐雨は口元を弛めた。
「僕は君の信じる神様にも、君を救う神様にもなれないけれど、友達として、……今度こそ僕が守るよ」
そう言ったのと枕元のデジタル時計が十二時ちょうどになったのはほぼ同時だった。






どうっと一陣の風が吹くが、無論部屋の窓は開いていない。桐雨はすばやく周りを見回した後、未だに現状が呑み込めていないであろう椿月に向って鋭くその手をかざした。
「…!?」
びくりと肩を跳ねあがらせた椿月に、桐雨は苦笑する。
「大丈夫、結界を張っただけだよ」
「…そんなことできたの」
「…実は幽霊になってから、とある神社の神様と仲良くなってね」
万全ではないけれどあったほうがましだ、と呟いて、きっと目線を部屋の奥へ向ける。
「……来たね」
彼の目線の先を追った椿月も、それを確認する。壁と床の隙間からあふれるように、真っ黒の“なにか”が蠢いている。
「椿月、いい?一時間逃げ切れば僕らの勝ちだ」
「…一時間?」
「そう。彼女その間だけしか現れられない。だから…走れるか?」
「は!?」
「狭いここじゃ不利なんだよ…講堂まで走ってくれ」
「…講堂…!?」
「走れ!」
桐雨の号令に身を震わせた椿月は訳も分からぬままに部屋を飛び出す。靴も履かぬまま外に出れば、鍵を持って隣接する教会へ走った。
「―ッ、一体なんなんだ…!」
そう椿月が悪態をつくと、いつのまにか自分の後ろにぴたりとついて浮いている桐雨が背後を気にしながら答えた。
「広いところで一度僕が彼女を迎え撃つ。…駄目だったらまた別の場所に逃げて」
「簡単に言ってくれるけど、私を狙ってるあの黒いのは…あれはお前と同じなの!?」
慣れた手つきで講堂の鍵を開けた椿月はその身を中に滑り込ませ、何の意味もないであろうが内側から鍵をかけた。
「いいや、あの子もっとひどいよ…自分の闇にとらわれて、堕ちてしまったのさ。自分自身を責めるあまり、背負った業が重すぎた」
講堂の奥へ走り、いつも聖書を開いている教壇の後ろに身を隠す。そうして椿月は自身の体の周りがうすら青く光っているのを見て、まだ彼の結界が破れていないことを確認した。
「…業…?」
桐雨の言葉を繰り返すと、彼は悲しそうに笑った。
「けれどあの子を悪者だと思わないであげて欲しい。僕が彼女で、彼女は僕だったかもしれないのだから」
「ちょっと、それは…」
意味の分からない彼の言葉に眉間にしわを寄せ追求しようとした椿月だったが、突然重苦しく変わった空気に声を詰まらせた。教壇の後ろで身を縮こまらせていると、桐雨の声が聞こえる。
「…君も律儀だね」
「…うん、私も約束を守りに来たよ」
「……終わりにしよう、もう」
普段と変わらない口調の中に垣間見える彼の切なさを感じ取り、椿月はそっと教壇から向こうを覗いた。
「―ッ」
見えたのはぼんやりと青白く光る桐雨と、そのさらに奥、入口の近くに立ってる影だった。遠目から見ても背の高いその人は和服に身を包んでいるが、全てが喪服のように黒い。加えてその髪も黒く、足元に禍々しい黒い炎が揺らめいていた。部屋で見えたのはあれかと納得していると、桐雨がどこからともなく一振りの刀を取り出した。それを見据えた影は、こちらもいつの間にか一振りの刀を握っていた。
―次の瞬間、ギンッと鉄と鉄がぶつかり合う音で空気が震える
「…!?」
普段重力を感じない桐雨が、地面を蹴って影に斬りかかっている。勢いで揺れた髪の隙間から、隠れていた彼の瞳が覗く。赤い瞳。
影はそれを受け止めると大きく刀を振って桐雨の体を吹き飛ばす。その隙をついて影は一瞬で椿月との間合いを詰めた。
「…ッ!!!??」
ごくりと息をのんだ瞬間、間に割って入った桐雨によって影の進行は妨げられた。
影が眼前に迫った時、椿月は影の顔を窺うことができた。
(確かに人の顔をしていた…けど)
その瞳は真っ黒であった。なんの感情も映していない。ただただ本能のままに椿月を狙っている。

「…はは、僕を振り払おうったってそうはいかないよ」
桐雨はふわりと影の太刀を避けながら笑った。感情の無い影の瞳は、桐雨の姿さえも映してはいない。
「……ごめんね。僕が君で、君は僕だったかもしれないのに…」
君だけ苦しい思いをさせてしまったね。
桐雨は生前のころを思い出していた。





『二人とも世話になったね』
『待って!椿月は何も裏切ってない!』
『ほら、上の命令だよ従わなちゃ!』
僕の声は誰にも届かなかった。
きっと、椿月にさえも。
役人に押し戻された僕は、ただ刑を待つために柵の遠くへ歩いていく彼の背を見ることしかできない。
『ふざけるな!…やめろッ!』
抑えつけられ身動きが取れなくとも、僕は抗い続けた。けれど
『椿月!!!!!!!』
―ザシュッ
鋭いような鈍いような音が聞こえ、真っ赤なしぶきが上がるのが見えた。
どうして彼女が。
どうして。
椿月はずっと忠誠を誓っていたじゃないか、どうして彼女が死ななきゃならない。
なんなら僕を殺せばいいだろう。どうして彼女を殺した。
どうして
歪んだ視界で何度も赤い血しぶきが上がるのを見た。これは夢だろうか。
見えているものは、椿月の…血?
『…黒子』
『……』
『私は彼女との約束を守れなかった』
『…あ…』
『お願いだよ。次は、椿月を守ってあげて』

いつの間にか、僕を取り押さえていた役人も、倒れた椿月の体に手を伸ばしていた者たちも、皆が赤い海に沈んでいた。
見物人たちのけたましい叫び声を薄らと聞きながら僕は、その海の真ん中で涙を流しながら笑って僕にそういった、血だらけの仲間の姿を見た。
彼が黒い炎に包まれて歪んでいく様を見ながら、

僕は自分の腹を裂いた



椿月は戦う二人を見ながら考えていた。
このまま自分が生き延びれば、桐雨はどうなるのだろう。
影が自分を殺したいのならば、桐雨のいう≪警察官であった自分≫を殺した時点で目的は達成されたのではないのか。しかしもう一度生まれ変わった自分を再び影は殺そうとしている。
ここで生き延びたとしても、次に自分が生まれ変われば影は何度でも私を殺しに来るのではないか。
「桐雨!!!!」
「…ッ、な、にかな!?」
椿月が声を上げると、刀をさばきながら桐雨が返事をした。
「その影をどうにかしないと、例え今回一時間逃げ切れたからって、来世はどうなんの!」
「……その時は!またこうして僕が助けに入る!」
「駄目だ!」
「僕が力不足だと…?」
「違う!」
椿月は叫んだ。
「お前はずっと幽霊のままだろう!」
「……」
桐雨が驚いたような顔をして一瞬だけこちらを大きく振り返ったかと思うと、盛大に噴き出した。
「あはは…ッ椿月そんなこと考えてたの…!?」
「なんで笑うの!私は…!」
憤慨した椿月は声を荒げたが、それより先を桐雨が制した。
「椿月。僕は…約束があるんだ。彼女とのね」
そういって囁くような小声で付け足した。
「…彼女もかわいそうだよ、理性を失っても約束を果たそうとしているのに、その約束した相手に記憶がないのだから」

再び戦いに戻った桐雨の背を見ながら、椿月は自問自答していた。どうしてそこまでして桐雨は私を生かそうとする。
長い間、私が生まれ変わる間、ずっと彼は待っているのだろう?桐雨は本気で、それを未来永劫続ける気なのだろうか。
長い紺色の髪が揺れている。幽霊になって、嘘をついて、戦ってまで私を守ろうとしている。
お前の幸せはどこにあるんだ。
私を生かすために、お前が死んでどうするんだ。
私はそんなことを望んでいたわけじゃない。
私はそんなことを望んで、あの場所に立ったわけではない。
私は二人が生きていてくれればそれでよかったんだ。
死に際まで叫んで、暴れて、お前らしくもないじゃないか

―なあ



『戦で死ぬなんて、嫌だなぁ』
『そうだねー』
『けれど討ち死ならまだしも、敵に捕まって晒し首、なんて一番の生き恥だろ?』
『はは、違いないね。格好良くない』
『当たり前じゃん、そんな風に死ぬぐらいなら私は二人に殺された方がましかな』
『何だ、椿月、僕に命預けてくれるっていうのかな?』
『…まあ、そうだね。頼むよ、晒し者にされたんじゃ、示しがつかないから』
『ふふ、じゃあ約束だ』
『うん、私が必ず』




「黒子ぉ!!!!!!!!!!!!!」
椿月の怒号が講堂に響き渡った。
「つ、…ばき…?」
「私はそんなこと望んで死んだわけじゃない!聞いているの黒子!」
ガタンと立ち上がった椿月はその深青の双眸を鋭くして立ち尽くした桐雨―黒子に向けた。
「…!黒子危ない!」
その一瞬をついて、影が黒子の体を横から蹴り飛ばした。同じ霊体であるからか、黒子の体は壁まで吹っ飛ぶ。
「ちょ!」
心配したのもつかの間、影が黒い炎の尾を引きながら再び椿月の元へ歩き出す。
けれど、今度はおびえることはなかった。椿月はそっと口を開く。
「ごめんね…叉優」
影の動きが止まった。あれほど感情の無かった黒い瞳が大きく見開かれている。
「私のせいで…苦しめたんでしょ」
「……」
「こんな姿になってまで私を殺しに来たんだ」
「……あ…」
「…もういい。自分を責めないで。叉優…」
「つ、ばき…」
「ごめん」
「う、うぅ…」
影―叉優の瞳から涙があふれたかと思うと彼女の黒々とした瞳孔はなりを潜め、見慣れた青緑に輝く瞳が蘇る。それと同時に彼女の纏っていた黒い炎は消え、そこにはあの時と同じ和服に身を包んだ大昔の仲間の姿があった。
「…叉優、!」
駆け寄ってきた黒子が叉優の様子をみて目を丸くした。
「そうか…そうかぁ……」
ずるずると脱力したようにしゃがみこんだ黒子は、涙目で二人を見上げた。
「……お帰り、二人とも」
「黒子、…椿月…私は…」
「いい、もう何も言わないで」

あの日
椿月は自身が逃げれば残り二人のどちらかが代わりに殺されるのだと知って、二人の言葉に耳を貸さなかった。そうして処刑された。
叉優は彼女との約束を守れなかったこと、そして無実の椿月が殺されたことに絶望し、周りの者を皆殺しにして堕ちた。黒子に全てを託したまま。
黒子は全てを見ていた。最初から最後まで。しかし何もすることができなかった。それを悔いた彼は叉優から託された約束を実行するため自ら命を絶った。
そうして三人は何百もの年月を、呪いにかけられたように過ごしてきたのだ。
けれど、今日、ここでそれは終わった。

「…もう泣かないで叉優」
「ッ…!だって、私の、せいで、!椿月を見殺しに…黒子にもいっぱい迷惑を…!」
「…叉優、君が動いてなけりゃ、きっと僕が代わりにしていたよ。だからもう…」
「もう!女々しいよ二人して!」
一喝した椿月は、涙にぬれた二人の目を見て深く息を吐く。
自分が、あの時素直に助けを受け入れたならば変わったのだろうか。分からない。けれどあの時はそれが一番だと信じていたのだ。
「…一時だ」
黒子がうわごとのように呟いた。
「…あ」
壁にかかった時計を見上げると、確かに一時を刻んでいる。
「…終わった…んだね」
そう椿月が言うと、黒子が頷いた。
「…私…透けている、のかな?」
叉優が自分の手のひらを透かした。確かに、輪郭こそあれど、手のひらから背景が透けて見える。同じように黒子も自分の手のひらを見つめた。
「…役目が…きっと未練ってのが無くなったんだろうね」
「成仏するの?」
「…椿月、今の君がそれを言うのか?」
悪戯っぽく笑った黒子に、椿月は一つきまり悪そうに咳払いをした。
「ここまで来てしまっては、今の信仰も何もないでしょ」
「ふふ、そうだねぇ…成仏なんてできるかな」
「私こそ、だよ…」
整った眉をひそめて叉優が苦笑いをする。その柔らかい表情は椿月がともに過ごしたあの時と同じだ。
椿月は薄れていく二人の姿を見つめた。
「どれだけ待たせてもいい。だから今度は二人が必ず生まれ変わって来て…私はいつまでも、待つ。今度は私の番だよ」
「…頼もしいね」
黒子が嬉しそうに笑うと、叉優がぎゅっとその目に力を込めた。
「椿月」
「なに」
「ありがとう」
「……こっちのセリフ」
そう返すと叉優はふふっと小さく笑って涙を拭いた。



突然、椿月は独りになった。
周りを見回しても、もう誰もいない。
一つ年をとったのだと感じつつ、講堂の中でひときわ輝く十字架の前で跪き、指を組んだ。
そして、一つ溜息をつくと




 ―大声で、泣いた。



今世は祈る人生だ。
泣きながら椿月は心に誓った。