そうして、ほぼ日常となりつつある騎士団長にしてラディッシュの兄であるディッシュと雑貨屋の店主ソルティの「痴話喧嘩」をいさめて。
 エレは、シュトロイゼル先生の元へと向かいます。
 と、
(……そうです。今日はお昼ご飯も買っていこうと思っていたのでした)
 エレは思い出しました。
 シュトロイゼル先生の家で、唯一片付いていたのがキッチンでした。
 さすがに魔法の教授であるので、食事の魔法には気を使っていました。故に、キッチンの片付けはすぐに終わったのです、が。
 そのときに、シュトロイゼル先生がなんだか寂しそうに言っていたのを思い出したのでした。
『外食をしなくなって何年経ったかな……』
『……? シュトロイゼル先生ほどの魔導師様なら、外食なんてしなくてもいいのでは?』
『いや、誰かと一緒に食べる食事というのも、なかなかいいものだよ』
『……珍獣は、誰かには含まれんのか』
『ああ、そういう訳ではないんだよ。クルール』
 すぐに調子を戻してクルールさんの機嫌を取りにかかったシュトロイゼル先生に、そのときは、特になにも思わなかったのです。……そのときは。
「……」
 エレは行きつけのパン屋さんへ足を踏み入れます。
 焼きたてのパンの香りがふわりと漂い、なんともお腹がすいてしまいます。……これもすべて魔法で作られていると思うと、なんとも言いがたい気持ちになるのですが。
 いけない、いけない。気分を切り替えて、パンを選ぼうとした、そのときでした。
 ふと、視線の先にいた男性をしっかりと捉えたエレは。
「少々こちらへ」
「ん? ……む、むぐっ!?」
 素早く男性の首根っこを引っ付かんで。店の外へと引っ張り出して。
 げほげほ、と大袈裟に咳をする男性。見目は美しいのです。さらりとした金髪に、青空をそのまま映したような瞳。
 一見すれば女性のようにすら見える美貌の彼は。しかし確かに男性の声で笑うのです。
「いやあ、エレも力が強くなったな。さすがはソルティの教え子」
 そう、にこにこ笑みを浮かべる金髪の男性に向けて。
「……王位継承者様がこんなところで油売ってていいのですか」
「いいんだ。何故ならこの世界はとても平和だから」
「良いのですか」
「いいのです」
 相変わらず彼――この国、シャンティーイ王国第一王子「タルトレット」は、きらきらと光る笑顔です。
 はあ。
 エレがため息をつけば。しあわせが逃げるぞ? と苦笑いが返ってきます。
 あなた様のことでため息をついているのですよ。だなんて、言いたくもなりますが、ぐっと飲み込んで。
「今日は、いえ、今日も……やはりあれですか」
「ああ、あれだ。エレは察しが良くて助かる」
(いや、みなさんわかっていますわよ)
 こう、エレの周りにはわかりやすい男が多いのです。好意の表し方を間違っているディッシュ様。そして、
「しゅーちゃん先生なら、ソルティさんのお店ですよ」
「助かる」
「行って、話しかけられるんですか?」
「がんばるんだよ」
「がんばるのですか」
「ああ、がんばるんです」
 ……なかなかにピュアボーイなタルトレット様が、今日もしゅーちゃん先生に話しかけられずに終わる方に賭けますわ。
 エレの脳裏にはしっかりと浮かんでいました。雑貨屋の入り口で固まっているタルトレット様と、それに気付かないしゅーちゃん先生の姿が。
 そして、自分のことも棚にあげて、「早く行けばいいのになあ」と思っているソルティさんと。そんなソルティさんに首根っこ掴まれながらも、なんだかしあわせそうなディッシュ様の姿が。しっかりと浮かんでいたのでした。