皇帝と皇后の訪問に驚きはしたものの、予想はしていた。けれど、それはもっと後のこと。私のお腹が目立ち始めてきた頃合いだと思っていた。
 バードランド皇子も公務をしている立場だが、まだ皇太子ではない。そのため、ある程度の自由はあるが、両陛下は違う。安易にホイホイやって来られるレベルの御人ではないのだ。

 サミーがテーブルにカップを置いた。私と皇帝、皇后の三つを。アリスター様は、というと、何故か私の背後に立っていた。まるで護衛騎士のように。

 貴族であるのだから、同席は可能だ。私の婚約破棄や、アリスター様がバードランド皇子を唆したことなども含めて、すでに和解している。

「エヴァレット辺境伯も座ったらどうだ?」
「ありがとうございます。しかし座ってしまうと、妻に何かあった時、すぐに対応できないので」
「何かって……」

 ここはブレイズ公爵邸で、相手はこの国の皇帝と皇后よ。

「あら、妊娠初期は流産し易いのよ。それを心配しているのではなくて?」
「そう、なのですか? 知りませんでした」
「貴女の場合、公爵夫人が管理してくれるから、お医者様も言わなかったのね。私はバードランドの時、うるさいくらい注意を受けたわ。無理な姿勢や、食事。お酒もね。勿論、重い物を持つのも避けた方がいいわ」

 いらっしゃる時、アリスター様とサミーが贈り物を運んでいたのを見たからだろう。手伝うことは絶対にしてはダメだと、遠回しに注意を受けた。

 多分だけど、やろうとした途端、アリスター様に止められると思うから、無理な話だけど。

「ご忠告、ありがとうございます。これで妻も、無茶な行動は控えてくれると思います」
「まぁっ!」
「はしゃぐな。辺境伯夫人は聖女に襲われたのを忘れたのか? 名は確か、シオドーラと言ったか。そんな出来事の後だ。心配するのは無理もないだろう」
「えぇ、その通りですわ。わざわざバードランドを唆してまで手に入れた夫人ですもの。そう思ったら、つい声が……。それに今日はそのことで話をしに来たのです。思い出させていただき、ありがとうございます」

 扇子を広げて皇帝に微笑む皇后。
 恋バナが好きなところなど、とても女性らしい御人なのだ。しばし暴走してしまうため、今のように皇帝が止めに入ることが多い。

 けれどそんな皇后だからか、棘のあるような口調になってもおかしくないのに、どこか楽しんでいるご様子だった。
 お陰で、私は恥ずかしくなってしまった。アリスター様をからかっているのに。

 わだかまりを残さない、という気遣いなのは分かるけど。

「うむ。それでだ。詳しい話はすでに聞き及んでいる。無論、皇后も私も賛成だ。教会に働きかける準備もできている。しかし……」
「何か問題でも?」
「聖女が力を取り戻した後のことまでは、考えていたか?」
「え?」

 取り戻した、後?

「やはりな。聖女が教会にいるのならばいい。その行動を管理してくれるからな。もしものことがあっても、全て教会のせいにできる」
「けれど、また野放しにされたら? 改心しても貴女を襲うかもしれないのよ」
「っ! そ、そこまでは……私はそれほどまでに、恨まれているのでしょうか」
「メイベル……」

 後ろからアリスター様が、そっと肩に手を乗せてくれた。

「いいえ。教会はそういう存在だと言っているのよ。だから、バードランドの婚約者にはしたくなかったの。けれど聖女は、その事を知らないわ」
「またそのことで、辺境伯夫人のせいにするかもしれない。だからその覚悟を聞きに来たんだ。念のため、教会には二度と同じことがないよう、管理を言い渡すつもりだが……」
「そうですね。どこまで、いえ何年それを守ってくれるのかは分かりません。シオドーラを管理する司祭や司教、大司教様は代替わりするでしょうから」

 しかも教会は、不可侵領域だ。いくら帝国内にあるといっても、皇帝の命令には限度がある。
 聞いている振りをしても無視できる。監査など、そもそも受け入れないのだから。神聖な場所という名目で。

 けれど私はそれほど怖くなかった。何故なら……一人ではないからだ。

 私は肩に置かれたアリスター様の手に触れる。

「子どももできたことだ。考えを改めても、私たちはそなたを非難しない」
「心遣い、感謝致します。しかし、私は大丈夫です」
「……メイベル」

 アリスター様の心配な声が、皇帝の配慮を受け入れるべきだと言っている。
 もしかしたらアリスター様とクリフが、皇帝と皇后に提案したのかもしれない。あれほど処理はダメだと言っても、聞くとは思えなかったからだ。

 私は体を横に向け、アリスター様の顔を見た。

「お忘れですか? 私は辺境伯夫人なんですよ。国境を守るエヴァレット辺境伯領の。たとえ聖女でも、防げなくてどうするんですか」
「しかしだな。シオドーラは内情だけでなく、城内も把握している」
「だったら尚更です。私のことでこうなってしまったのは心苦しいのですが、これを機に防衛を見直す、いえ改善するのはいかがでしょうか。まだまだ兵法については未熟ですが、費用のことでしたら、私もお役に立てると思うんです」

 妃教育で、物流や貿易を学んだ。エヴァレット辺境伯領は、物資が届き辛い場所にあるけれど、国境に近いせいか宿屋が多い。

 武器などは隣国を刺激することになるから、ベルリカーク帝国の特産品を置くのはどうだろうか。お土産として。
 敵対するのではなく、友好的な貿易国にすれば、騎士団も遠征に出る頻度が減るかもしれない。

 それには物資を届ける経路を整備して治安を……。あぁ、それだと余計に費用がかかってしまうわ。やっぱり少しずつでも、同時並行した方がいいのかもしれない。

「それはつまり、ブレイズ公爵家から借りるというわけか?」
「最初の内はそうなるかもしれませんが、今は敵対する隣国と、友好的な物流を築き上げれば、と思うのですが……む、無理な話でしょうか」

 私の構想はあくまで机上(きじょう)空論(くうろん)だ。前線で戦って来た者の気持ちや、交渉してきたアリスター様と皇帝はそこには入っていない。あまりにもお粗末で未熟なものだ。

「うむ。隣国との貿易か。小さい範囲でなら、今も続いている。大きな窓口は、エヴァレット辺境伯領ではないが……。それほど難しくはないだろう。折角、隣接しているのだ。それを有効活用してみるのもいいだろう」
「しかし陛下。そうなると治安の方はいかがなさるんですか? 物の出入りと同時に、人の出入りも激しくなり、その中には良くないものも入ってくるでしょう」

 皇帝と皇后の意見も最もだった。

「しかし、それを恐れていては変われません。内情を把握しているシオドーラを、混乱させることもできませんわ」
「確かにな。それなら領民を納得させることができるかもしれない。隣国もまた、こちらの内情を知っているから、撹乱できるだろう」
「はい。しかも、その状態で近づけば、相手は警戒しながらも、その理由を探ろうとします」
「つまり、取引に応じる、というわけか」

 私は皇帝の言葉に頷いた。

「うむ。そういうことなら、聖女の件はこのまま進めても良いのだな、エヴァレット辺境伯」
「……そうですね。妻もやる気になっていますし、俺も悪い案だとは思いませんので」
「そうか。では貿易の件など、楽しみが増えたな」
「ふふふっ。そうですわね。新たな命の誕生も楽しみにしていてよ」
「ありがとうございます」

 私は座ったままだが、深くお礼を申し上げた。
 お二人のお陰で、私も辺境伯夫人としての役目に、光が見えたからだ。