○蓬莱家・台所

壁ドンの形で、彼方に壁際に追い詰められている唯香。

彼方「――結婚しよう」
唯香「!?!?!?」

彼方は真剣な表情。
驚く唯香。

唯香「な、なに言って――……っ」

すると彼方はぱっと相好を崩して、

彼方「いや、実は次の本、結婚をテーマに書くことになったんだけど、自分の経験どころか、親もほとんど家にいなかったからさ……」
彼方「どんな感じか、全然つかめなくて」

唯香(あ――……)

唯香は彼方の両親に思いを馳せる。
白衣を着た、頭の良さそうな二人の姿。

唯香N『彼方のご両親は研究者で、いつも忙しく世界中を飛び回っている』
唯香N『そのため昔から家にいないことが多く、私の家で一緒に遊んだりご飯を食べたりと、家族ぐるみの付き合いをしてきた』

唯香「それで、行き詰まっちゃってたり?」

唯香の問いに、彼方は黙って頷いた。

彼方「だから唯香がしばらく一緒に暮らして、新婚生活ってこんなもんだって教えてくれたらスランプ脱出できるかなって思ったん、だけど……」

徐々に目を泳がせる彼方。

唯香(そういうことか……)

唯香は一度自分の手元に目を落とす。

唯香(彼方にはきっと好きな人がいる)

唯香が頭に思い浮かべたのは、彼方の担当編集である渡来恵の姿。
顔ははっきりとはわからないが、ショートボブに眼鏡をかけた、スーツの似合う知的な美人。

唯香(彼方が書けなくなってあの人が悲しめば、きっと彼方も悲しいよね)

困った様子の彼方の顔を盗み見る唯香。

彼方「あーいや俺は何を……」(ブツブツ)
唯香(何より私は、小説を書いている時の彼方が好き)

決意する唯香。
同時に彼方は、

彼方「ごめん、寝てなくて頭どうかしてた。やっぱ今のなし――」
唯香「いいよ、彼方の役に立てるなら」

彼方「え」

驚く彼方。

唯香「あ、でも私なんかで大丈夫? 奥さんって感じ出るかな」

へらっと笑ってみせる唯香。
しかし言い終わるより早く、彼方に抱き締められる。

彼方「ありがと……すっげー嬉しい」
唯香「あ、えっと……」

彼方を抱き締め返すべきかどうか、手を彷徨わせる唯香。

唯香(喜んじゃダメ、彼方は困ってるんだよ……でも)
唯香(彼方のぬくもりをすごく近くに感じる……)

切ない唯香。

唯香(こんなの、勘違いしちゃいそう……)

結局、彼方を抱き締め返すことはできず、手を握り締めるだけ。

○蓬莱家・リビング

改めてリビングで向き合う唯香と彼方。

唯香「あ、でもこういう時ってお父さんとお母さんにも相談しないと……!」
彼方「それなら大丈夫。もう了承はとってある。うちと、唯香の方も」
唯香「早っ!?」

彼方、スマホを唯香に見せ、

彼方「おばさんからはSNSでメッセージきたよ」

スマホのメッセージ『唯香、彼方くんの邪魔にならないようにファイト♡』

唯香「お母さん!?!?」
唯香「お母さん、キャンプか何かと思ってるな……確かに昔はよく一緒に行ったけど!!」

呆れつつため息をつく唯香。

唯香「ま、親もこう言ってるなら問題なしだね!」

唯香は吹っ切れて、彼方に笑顔を向ける。

彼方「一週間くらいもらえたら大丈夫だから」
唯香「わかった」
彼方「あと部屋は上の母親のとこ使って」
唯香「はーい。おばさんによろしく言っといてね」

唯香の言葉に頷く彼方。

○蓬莱家・玄関

唯香「そしたら荷造りとかしに一回帰るね!」
彼方「ん」

出て行く唯香。
ドアが閉まると、は――……っ、と手で顔を覆って壁にもたれかかる彼方。
顔が赤い。

彼方「お前……本当にわかって言ってんのかよ」
彼方「こんなの……心配になんだろ」

一人呟く彼方。

○蓬莱家・居間(夜)

旅行用のボストンバッグを提げてきた唯香。

唯香「不束者ですが、よろしくお願いします!」

ぺこりと頭を下げる唯香に、ふわっと笑う彼方。

彼方「おかえり、唯香」

その表情に頬を染める唯香。

唯香(お……おかえりってこんなにドキドキする言葉だったっけ……?)

しかしぐっと気持ちを引き締め、

唯香(いやこれも彼方の小説のためだから!! 真に受けちゃだめ――)
彼方「これはおかえりのキス」

唯香に顔を寄せ、頬にキスする彼方。

彼方「これからよろしく、俺の奥さん」

抗えず顔を赤くする唯香。

唯香(あ、甘すぎるよ……)
唯香N『この新婚生活、前途多難です』