敏腕教育係は引きこもり御曹司を救えるか?

今まで数多くの芸能人やセレブを接客して来たであろう千絵も、さすがに彼の家がこのビルのワンフロア全てというのを知った時は驚いていた。

「え⁈ 入り口一個だけ? ということはこの階まるまるを一世帯で⁈」
「そうなんです」
「ハア〜たまげた。うちの家が犬小屋に見えるよ」
「私もそうだよ。世の中にはとんでもないセレブがいるもんだね」

改めて佐伯家の裕福さを実感した後、阿久津はカードキーを取り出して扉を開けようとした。それを見て、千絵はぎょっとする。

「え、沙耶が鍵持ってんの?」
「あ、ああうん。ちょっと……預かってて」

実は、学と一緒に住んでいることは千絵にも言えずにいた。

「なるほど。なかなか難儀な仕事してんね」
「ごめんね、話せるようになったら話したい」
「良いよ。仕事だもん、言えないことくらいあるよ。私も今回来たのは仕事を依頼されたからであって、だから今日見たことは胸に秘めておく」
「ありがとう、ホント千絵が居てくれて良かった」

千絵に礼を言い、早速カードキーで玄関の扉を開ける。予想はしていたが、学の姿が見当たらない。外には出られないだろうから、自分の部屋かどこかに引っ込んでいるのだろうか。やはり知らない人、しかも美容師というキラキラした職業の異性は学には眩し過ぎたのだろうか。

阿久津の心情を悟ったのか、千絵がフォローする。

「沙耶、いいよいいよ。いきなり来た人に対応するのは難しいよ。とりあえず、どこにいるのか探して声かける?」
「うん、そうだね」

怖がらせてしまったな、と思いながらも学を探そうとすると、奥の方からガタンと音がした。見ると、見慣れた黒いスウェット……の上に、初めて見るシャツを羽織っている学が出てきた。隣で千絵がハッと息を呑む音が聞こえた。

「出迎え出来なくてすみません。普段着ている服があまりにも見苦しい格好で……顔を洗ったり、色々整えていたら遅くなってしまいましたが。ええと、佐伯学、です」

学は千絵とほとんど目を合わせられなかったものの、きちんと挨拶をした。

「あとこれ、スリッパです。すみません、すぐに出さなくて」

いつの間にやらスリッパを客人に出すということを覚えたらしい。学は距離が遠いものの、千絵に頑張ってスリッパを差し出した。

「わあ、学くんって言うの! スリッパありがとう! 本日はよろしくお願いいたします。沙耶の親友で美容師やってます、石丸千絵です」
「よ、よろしくお願いいたします」

学は頑張って笑顔を作って挨拶した。阿久津に出会った頃と比べると、社交性が大きく成長している。

隣で千絵がボソッと、阿久津にだけ聞こえるくらいの声で「すごく良い原石……」と呟いた。