「太陽の光に照らされている阿久津さんを描いてみたいと思ったんです」と学は言った。

この47階の佐伯家にはベランダが無い。あまりにも高層すぎるため、またデザイン性重視のためにベランダが無い建物は最近多い。外に面した窓は大きめで、夜には素晴らしい夜景が見え、日当たりも良好だが、学の希望は窓際では叶わないらしい。

「風とか、上からの光とか、空気感とか……そう言うのも感じ取りながら描いたらもっと良いものが描けるんじゃないかって思ったんです」

わがままですみません、と謝る学に阿久津は言う。

「そういうものなんだね。全然わがままではないし、付き合うよ。でも、大丈夫?」
「ええ、そうなんです。僕もそれが心配で」

何しろ学は10年間も外に出たことが無いのだ。まさか自分から外に出たいと言うと思わなかったが、外の世界に出るには相当な恐怖を伴うに違いない。

「太陽の光も、この家の窓からしか浴びていません。ましてや、車の大きな音や人の視線に耐えられるかどうか……。パニックになって阿久津さんに迷惑をかけたらどうしよう。まず、僕の見た目がこんなんですし」

学は唸りながらそのモジャモジャの頭を抱えた。

「でも……それでも何故か、外でスケッチするのを諦めきれないんです。阿久津さんとなら、外に出られる気がするんです」

学の絵のためにも、引きこもり脱却のためにも、この機会を逃してはならないと阿久津は思った。

「それなら良い場所を知ってるよ。行こう」


◇◇◇


社長から貰った「魔法のカード」こと、47階の学の部屋のカードキー。前述の通り、このカードを使えば三友商事のビルにてジム無料やブランド品割引など様々な特典を受けることができる。贈与にあたるのではないか? などと色々と後から言われる可能性も考えて、結局阿久津は今までその特権を行使できずにいた。使うとすれば、社長の息子である学のためになることにしようと心に決めていた。

そして今日、ついに魔法のカードを行使するときがやってきた。

「ここなら多分、あんまり人がいないと思うから。特に今の時間は朝だしね」
「ほ、本当ですか……?」

阿久津は学を連れて、三友商事ビルの30階に来ていた。学は母親が買ったと思われるシャネルのキャップを目深に被り、阿久津の背後に隠れるようにしてついてきている。酷く怯えながらも、スケッチブックはしっかり握りしめていて、きちんと絵は描く気でいるようだ。

「以前チャットで社長……学くんのお父さんから教えていただいてたんだ。三友商事ビルの30階にはちょっとした庭園スペースがあって、外の空気を感じながら散歩できたりするんだけど、イベント時以外は一般客は入れないんだって。でも、このカードを持ってるビルの住人はいつでも入れるんだとか」
「そうなんだ! 何年も住んでたのに知らなかったです……。でもそれなら、このビルに住んでる人って僕含めても、他の階のマンションスペース合わせて30世帯くらいなものだと思うので、朝10時の何でもない日であれば……」
「そう! 貸し切りな可能性がある! しかも、ビルの上の階だから学くんのお望みの太陽光たっぷりで、風もある!」
「素晴らしいです。でも、なんかそれでも不安と緊張で胃がキリキリしてきた……」

無理もない。学からすると、47階から外に出ること自体が相当勇気がいる行為だったはずだ。今のところ関係者エレベーターの中では誰にも遭遇することはなかったが、これからはいつ人に会ってもおかしくない。

「大丈夫⁈ やっぱり引き返そうか?」
「いえ。行きます。ここで引き返したら、もう一生部屋から出られない気がする」

そう言った学の顔は、緊張で真っ青になりながらも目は前を見据えていた。

「分かった。行こう! 何があっても私がついてるから」