「こ、こんな感じ……?」

食後、早速阿久津は広いリビングルームにて学の前でポーズを取ることになった。

指定されたポーズが随分と謎で、いきなり床掃除用のワイパーを渡されて「これを右手で持って立っていてください」とのリクエストだった。

「大丈夫です。あんまり動かないようにしようとかも思わなくて良いので。時々体勢崩してリラックスしてくれても良いし、喋ってくれても全然良いです。手とかの大体の骨格とか見れたらという感じなので。疲れたら休憩しましょう!」

こういうスケッチのモデルは少しでも動くといけないイメージがあったが、学は緩くて助かった。

一体このポーズは、この手に持ったワイパーは、どんな絵に昇華されるのだろう。芸術の素養が無い阿久津の発想だと「掃除をする女」みたいなテーマかな、と思うが、まさかそのままの絵を学が描くとは思えない。

「では、よろしくお願いします」
「うん! 頑張って!」

スケッチが始まると、学の目は真剣そのものとなり、スケッチブックに鉛筆を走らせる音が静かな部屋に響いた。さほど不安定なポーズではないので、阿久津も初めてのモデルではあるが、何とか形だけはこなせそうであった。

こんなに穴が空くほど人に見つめられた経験は無い。学の鋭い目が、阿久津の頭のてっぺんから指先まで、あちこちに向けられているのを感じる。その度に、なんだかくすぐったいような、恥ずかしいような、不思議な心地がした。

スケッチの間、たまに会話を挟んだ。主に絵の話だった。

「阿久津さん、疲れてないですか」
「全然。トイレ行きたいとか、どうしてもの時は言うからどんどん描いちゃって良いよ」
「ありがとうございます。やっぱり、本物を見るって大事ですね」
「あーやっぱりそうなんだ。今まではどうやって描いてたの?」
「表情とかは自分で鏡を使って見たり、体とかは、ポーズ集っていうモデルさんのポーズの写真が沢山載ってる本があるんで、それを参考にしてました。でもやっぱり、こうして実際に見ると光の当たり方とか、色合いとか、はっきり分かって良いですね」
「そう。それは良かった。私もやり甲斐があるよ」

自分の存在が学の助けになっていると思うと、阿久津も素直に嬉しかった。

スケッチが進むにつれて、学がふと筆を止めて考え込むことが多くなった。

「なんか悩んでるみたいだね。大丈夫?」

悩みすぎて一人の世界に入り込んでいた学は我に返ったようだ。

「ああ、すみません筆が止まってしまって。お待たせして申し訳ない」
「全然平気。私、表情とかポーズとか変えようか?」
「あ、いえ。大丈夫です! 阿久津さんのポーズとかに何かある訳ではなくて。ある意味、僕自身の問題というか……」

学自身の問題、というとスランプとかだろうか。阿久津には想像もつかなかった。

「私で協力できることがあるなら、協力するよ?」
「ありがとうございます。すごく、情けないお願いなんですけど……」
「大丈夫だから、言ってみて」

学は言うか言うまいか悩んでいた様子だったが、心を決めたようでついに彼の本心を言った。

「僕と、一緒に外に出てくれませんか」