学の体調はそれから2,3日かけて良くなっていった。「シュネッケ」のイラストアカウントには、しばらく更新が無いことへの心配のリプライなどがついていた。

看病中、風呂にも入れない学の体を拭いた方が良いものか悩んだが、阿久津が濡れタオルを持っていくと学が慌てて「自分で拭くから大丈夫です!」と固辞した。同居はしているものの、阿久津と学は家族ではないしましてや恋人でもない。このように、距離感をどうしたら良いのか分からないことが最近しばしばあった。

ようやく学が動き回れるようになったのは土曜日のことであった。阿久津は会社が休みのため、いつもより遅く起きると学がキッチンで朝食を作っていた。

「あ、学くん! おはよう。具合、良くなったの?」
「おはようございます阿久津さん。おかげさまで、全快です」
「良かった〜。これからは無理しないでね。って、早速朝ごはん作ってるけど」
「あはは。そんな悪いことしてるみたいに言わないでくださいよ。ハムエッグなんで、そんな手の込んだものじゃないです。久しぶりに一緒に食べませんか?」
「そう? ありがとう。じゃあ、いただきます」

2人は向かい合って朝食を食べる。学は病み上がりで久しぶりに風呂に入ったと見えて、髪や顔がスッキリしていた。ハムエッグは焼き加減がちょうど良く、阿久津の好みの半熟で仕上げてくれていた。

思えば学も随分と打ち解けてくれたものだ。こうして笑って会話ができるし、最初の頃より目と目も合う。学の変化を嬉しく思っていると、彼が口を開いた。

「阿久津さん、今日は会社お休みですよね? 何か予定はありますか?」
「ああ、全然何もないよ。散歩するかネトフリ見るかどうしようかなと思ってたところ」
「そうなんですね」

阿久津が学の質問の意図を測りかねていると、学が緊張した面持ちで話を切り出す。

「あの、もし時間があればで良いんですけど、その……今日、絵のモデルをやってもらうことって出来ますか?」

来た。モデルの話。何の心の準備もしていなかったけれど、請け負ったからにはそりゃいつか依頼は来るだろう。

「う、うん。良いよ! 学くん病み上がりだから、絵を描くのも無理しない範囲でね。ところで、前にも言ったけど私、全然モデルの経験も無いから大丈夫かな? 何なら私の知り合いで大学時代に読者モデルとかやってた子紹介しても良いけど……」
「いえ! 結構です」

学が結構な大きな声を出したので阿久津は驚いた。学本人も思いの外声が出てしまったようで慌てている。

「すみません、大きな声を出して。でも、僕の絵は阿久津さんでなくては駄目なんです。こんなこと言ったら気持ち悪いかもしれませんが、誰でもいいから描いてみたい訳ではなく、阿久津さんを描きたいと思ったんです」
「わ、分かった。それなら、私で良ければ学くんの良い被写体になれるように頑張るよ」

阿久津が言うと、学は嬉しそうに笑った。こんなに熱心に言ってくれているのだ。これ以上自分を卑下するのはかえってモデルに選んでくれた彼に失礼だろう。