3月31日。
厚手のコートが要らなくなる春の頃に、ようやく阿久津沙耶の仕事はひと段落する。
「阿久津さ〜ん! お別れ嫌だ!」
半べそをかきながら抱きついてくる後輩・花澤美月を阿久津はなだめる。
「花澤さん、大丈夫だよ。花澤さんは覚えが早いし機転がきくし、違う部署になっても絶対上手くやれるよ」
「それは今まで阿久津さんが教育係でずっとついていてくれたからですよ! しかも私なんてこんな我が強いんだから他の女子社員と上手くやれるわけないじゃないですか」
後輩の自虐に阿久津は同調しなかった。
「ううん。花澤さんは一年前と比べてすごく話しやすく、雰囲気も柔らかくなったよ。私はこれから花澤さんと仕事出来る人、羨ましいよ」
「なんですかそんな嬉しいことを最後に言うなんて。ずるいです! 余計寂しい! ……絶対すぐ飲みに行ってください」
「うん!もちろんだよ。間宮くんとかも誘って行こうね」
ひとしきり別れを惜しんだ後、花澤にちょっとした選別のプレゼントを渡す。
ああ、今年も1人、育っていった。
毎年この儀式が終わるといつもそう思う。寂しいけれど、ホッとする瞬間でもある。
阿久津が新人教育担当になって、もう8年になる。
まだ自分も新人とそう変わらない2年目の24歳の時から何故か新卒の教育係を任され、それから31歳の今日まで年に1人、時には2人同時に担当していた。
新人教育に力を入れている三友商事の方針で、新人は1年間みっちり社内のことや社会人としての基礎、パソコンスキルなどを学んで、それぞれの適正部署に配属されていくのだ。
阿久津は基本的に、自分の事務もこなしつつ新人に付いてありとあらゆることを教える役割だ。
新人が入ってすぐに辞めてしまわないように気をつかう上、色々な性格の人が居るからなかなか神経を使う仕事だ。
「でも、ちょっと嫉妬しますね。明日からまた阿久津さん、新しい新人可愛がるんでしょう?」
花澤が口を尖らせて言って、ようやく思い出した。
「あれ。そういえば私、課長から来年の新人の情報何も貰ってないや」
「え、そんなことあります? だってもう明日から新入社員入ってきますよね」
「うん……おかしいな、いつも結構前もって教えてくれるんだけど」
もしかして、と阿久津は思った。
来年は教育係免除か? と期待半分、落胆半分といった気持ちになった。
新人に色々と教えるのは、やりがいがあるし、感謝してもらえるとやはり嬉しい。
一方で、自分の仕事の成果もなかなか上げにくいのも確かだ。
「敏腕教育係の阿久津」と周囲が自分を称すのは、その教える上手さや丁寧さを褒めると同時に、通常業務ではなかなか成果をあげられないことを揶揄しているのも知っている。
いよいよ自分も業務に集中する時が来たのだろうか。それとも教育係としてもお役御免か? などと考えていると、課長の山下から不意に声がかかった。
「阿久津さん、ちょっと」
厚手のコートが要らなくなる春の頃に、ようやく阿久津沙耶の仕事はひと段落する。
「阿久津さ〜ん! お別れ嫌だ!」
半べそをかきながら抱きついてくる後輩・花澤美月を阿久津はなだめる。
「花澤さん、大丈夫だよ。花澤さんは覚えが早いし機転がきくし、違う部署になっても絶対上手くやれるよ」
「それは今まで阿久津さんが教育係でずっとついていてくれたからですよ! しかも私なんてこんな我が強いんだから他の女子社員と上手くやれるわけないじゃないですか」
後輩の自虐に阿久津は同調しなかった。
「ううん。花澤さんは一年前と比べてすごく話しやすく、雰囲気も柔らかくなったよ。私はこれから花澤さんと仕事出来る人、羨ましいよ」
「なんですかそんな嬉しいことを最後に言うなんて。ずるいです! 余計寂しい! ……絶対すぐ飲みに行ってください」
「うん!もちろんだよ。間宮くんとかも誘って行こうね」
ひとしきり別れを惜しんだ後、花澤にちょっとした選別のプレゼントを渡す。
ああ、今年も1人、育っていった。
毎年この儀式が終わるといつもそう思う。寂しいけれど、ホッとする瞬間でもある。
阿久津が新人教育担当になって、もう8年になる。
まだ自分も新人とそう変わらない2年目の24歳の時から何故か新卒の教育係を任され、それから31歳の今日まで年に1人、時には2人同時に担当していた。
新人教育に力を入れている三友商事の方針で、新人は1年間みっちり社内のことや社会人としての基礎、パソコンスキルなどを学んで、それぞれの適正部署に配属されていくのだ。
阿久津は基本的に、自分の事務もこなしつつ新人に付いてありとあらゆることを教える役割だ。
新人が入ってすぐに辞めてしまわないように気をつかう上、色々な性格の人が居るからなかなか神経を使う仕事だ。
「でも、ちょっと嫉妬しますね。明日からまた阿久津さん、新しい新人可愛がるんでしょう?」
花澤が口を尖らせて言って、ようやく思い出した。
「あれ。そういえば私、課長から来年の新人の情報何も貰ってないや」
「え、そんなことあります? だってもう明日から新入社員入ってきますよね」
「うん……おかしいな、いつも結構前もって教えてくれるんだけど」
もしかして、と阿久津は思った。
来年は教育係免除か? と期待半分、落胆半分といった気持ちになった。
新人に色々と教えるのは、やりがいがあるし、感謝してもらえるとやはり嬉しい。
一方で、自分の仕事の成果もなかなか上げにくいのも確かだ。
「敏腕教育係の阿久津」と周囲が自分を称すのは、その教える上手さや丁寧さを褒めると同時に、通常業務ではなかなか成果をあげられないことを揶揄しているのも知っている。
いよいよ自分も業務に集中する時が来たのだろうか。それとも教育係としてもお役御免か? などと考えていると、課長の山下から不意に声がかかった。
「阿久津さん、ちょっと」