「星さんお疲れ様です。え、そんなに私ニヤついてました? 嫌だな。変なところ見られちゃいましたね」
「何、良いことでもあった?」

隣、良い? と聞かれたのでどうぞと少しスペースを開けた。星の昼ご飯は鶏胸肉ブロッコリー定食。最近出た、体を鍛えている社員に人気のメニューだ。

「いえいえ、SNS見て笑ってただけです」
「へえ意外。阿久津もSNSやってたりするんだ」
「投稿はしてなくて、もっぱら閲覧用ですけどね」
「あ、そこはイメージ通りだわ。良かった。ところでさ」

星が話を変える。

「飲み、いつにする?」

そういえばそんな話も出ていたな。昔なら喜んで行ったんだろうが。阿久津はとりあえずとぼけてみる。

「ええと、何の話でしたっけ? 何飲み?」
「前に誘ったじゃん、酷いなー。仕事の話とかしたいんだよ、阿久津と。今、同じ部署の若い奴に手焼いててさ。阿久津は新人の時から優秀で、何も言わなくても仕事覚えてくれたけど。だから若手育成について、敏腕教育係様から教えを乞いたいわけ」
「ううーん、そうですか」

阿久津の新人時代の話については色々星に言いたいことはあるが飲み込もう。とりあえず、阿久津はお茶を濁すことにした。

「それじゃあ、既婚者の方と2人だと誤解を受けるとお互い良くないので……後輩も連れてきてワイワイやるんでしたら」
「そんな、誰も気にしないよ。まあでも良いよ。阿久津がよく飲んでる後輩? 例の気の強い系美人さんと間宮?」
「美人というのは花澤さんですね。花澤さんには手を出しちゃ駄目ですよ」
「花澤さんって言うのか。へえ〜覚えた」
「星さん……」
「冗談。あの子去年入社でしょ? 流石の俺も10歳以上歳下にはいけない」

そもそもお前は既婚者だから誰だろうと駄目だろう、と突っ込みたかったが、黙っておく。すると、星は阿久津に目を合わせて言った。

「俺はやっぱ、自分の歳にプラスマイナス2、3歳くらいが1番魅力を感じるね」

星は今年34歳、阿久津は31歳。またこの男はこうやって人をからかうのか。そして、星の年齢を正確に覚えてしまっている自分にも阿久津は腹が立った。

「おっと、噂をすれば阿久津の後輩2人じゃん」

顔を上げると、間宮と花澤がお盆を持ってテーブルの向かい側に立っていた。何故か、花澤が険しい顔をしている。

「阿久津さん! と、星さん……ですよね? 初めてお目にかかります。阿久津さんの後輩の花澤です。ご一緒してもよろしいでしょうか」
「え、ああ。良いよ全然。俺も花澤さんと喋りたかったんだよね」
「はあ、そうですか」

言葉遣いに失礼は無いが、完全に花澤は星を睨んで威圧していた。隣の間宮は困ったように苦笑している。

一体花澤がどうしたのか分からないが、雰囲気が最悪なのでとりあえず阿久津が話す。

「ちょうど良かった。今ね、花澤さん間宮くん達と飲みに行こうかって話をしてたんだ」
「えっ、それ、星さんもいるってことですか?」

花澤が明らかに色白の顔を歪ませて言う。あれ、いつから星のことがそんなに嫌いなんだろうか。というか本人を目の前にして、さすが花澤といったところか。

「すみませんが5年先まで予定埋まってます」

嫌悪感丸出して断る花澤。間宮が慌てて「ちょっと!」とたしなめるが花澤は構わず仏頂面を続けた。だが星はこれくらいでは怯まない。

「あれえ、もしかして花澤さん、俺みたいな筋トレ男子は嫌い? ショックー」

一切ショックは受けていなさそうな笑顔で腕を捲り上げる。なかなか立派に鍛えられて血管の浮いた浅黒い腕。阿久津は、それとは対照的な学の白くて細長い腕を思い出した。一方花澤は星の腕を一笑に付した。

「はあ、ラグビーやってた私の元カレのが凄かったですね」
「は、花澤さん」

阿久津も流石に見かねて割って入ろうとするが、星は構わないという感じで制止する。「おもしれー女」という風に見ているようだ。

「いやあ、なんか花澤さんからの俺のイメージ悪いみたいだね。もしかして俺の若気の至りとかを色々聞いてんのかな。その節は本当にお恥ずかしい。今はね、落ち着いてるよ。既婚者だしね」

どうだか、と阿久津が思ったその時、確かエネルギー部の部長の湯川さんだったか、その人が星に声をかけてきた。

「星くん、ちょっと明日の件でランチしながら話したいんだけど良いかい?」
「ああ部長。承知しました! ……んじゃ、また連絡するわ、阿久津。間宮と、花澤さんもね」

部長に呼ばれた星は、その場の全員にアイコンタクトを送ってから去っていった。

「ああ、気に食わない気に食わない! 何なんですあのチャラい既婚者」

星が居なくなると、早速花澤が星への不満を吐露する。

「あ、あれ? 花澤さんこの前までイケメンって言ってなかったっけ? 星さんのこと。そんな嫌いだった?」

阿久津が聞くと、花澤は形の良い眉を寄せて言う。

「イケメンだろうが何だろうが、既婚者なのに他の女性にベタベタする人嫌いです。しかも阿久津さんの優しさに漬け込んでる感じが卑怯です。スケコマシです!」
「花澤さん、よく既婚者に誘われるそうでそういうのに嫌悪感あるそうです」

間宮が補足する。

「んー、まあ、流石の星さんも既婚者となった今では落ち着いたと思うけどな」
「いや、あの感じは阿久津さんのこと狙ってます! 現に飲みに誘われてるし」
「飲みの誘いくらいはね……先輩後輩の関係だからおかしくはないけど」
「あの男とは、単なる食事でもやめた方が良いと私の勘が言ってます! 阿久津さんは私が守る!」
「ははは、ありがとうね」

彼女の勘は、おそらく当たっている。守ろうとしてくれているのは嬉しいけれど、本当のことが言えなくてなんだか気まずい。すると、阿久津の心の揺らぎを感じ取ったのかそれともたまたまなのか、花澤が急に小声になって問う。

「……こんなこと聞くの失礼かもですけど、阿久津さんと星さん、昔何かあったわけではないですよね?」

そのストレートな質問に、一瞬、阿久津の中の時が止まった気がした。

何も無いと言えば何も無いし、何かあったと言えば、あった。でも、もちろんそんな話を社員食堂でできるわけがない。

星への実らなかった片思いは、墓場まで持っていくと決めたのだ。

「もうー、んなわけないじゃん! 単に私の新人時代に教育係をしてもらってただけだよ」

間が空いて何かを悟られる前に。阿久津は間髪入れず、1ミリの動揺も見せず否定した。