朱美は、中学の卒業式を終えて颯太と一緒に帰宅していた時の会話を回想し、蒼と玲奈に話し始めた。

――中学校の卒業式後、帰り道で。

「あれ、颯太? 第二ボタンないね。えっ? ま、まさか!? ついに坂本颯太くんにも春がやってきたのですかー!?」

……バンッ。朱美が嬉しそうに颯太の背中を鞄で軽くはたく。

「こらこら、からかうなよ。そして卒業式の日に鞄で人の背中をはたくな」
「あはは、ごめんごめん。でも、どうして第二ボタンがないの?」

「美術部二年の後輩女子に頼まれたから、渡しただけだよ」

「わぉ!! ちゃっかり青春してんじゃん!! 良かったねー颯太! 灰色だった中学生活が最後の最後でパステルカラーになったよ!?」

「おい、人の中学生活を勝手にモノクロの世界にするんじゃない」

「はは。でも良かったね。その子、颯太に何か言ってなかった? まさか、二年間の想いを込めた愛の告白とかされてたりして!?」

「いや、それはない。ていうか不思議な事を言われた」
「えっ、不思議な事? ……どんな?」

「ああ。元々不思議な雰囲気の後輩で、部活でも宇宙の絵ばっかり描いてたんだけど。惑星とか彗星とか……」

「それはまた、だいぶ独特な子だね。芸術を愛する人のセンスは私にはよく分からないなぁ」

「まぁな。で、話を戻すけどその後輩が俺にこう言ったんだ」
「何て言ったの?」

「『坂本先輩、お世話になりました! 私、先輩の横顔いつも見てました! あのっ、第二ボタン下さい!』って」
「……」

(いやそれ、結構分かりやすい告白だと思うんだけど……)

 朱美の冷めた視線が颯太に向けられる。

「そんな目で見るなって。ここまでならまだ俺も分かるんだよ。そして、これだけで終わってたら流石に俺もドキドキするし、これってもしかしたら!? とも思うよ」
「そ、そう……ってことは続きがあるのね」

(……何だろう? この流れだと「ずっと先輩の事好きでした!」とかじゃないって事だよね? まぁ、颯太に限ってそれは無いか。でも、颯太は横顔だけはちょっとイケてるし……どうなのかな? カッコイイ横顔の美術部先輩……有りといえば有りな状況だけど)

 颯太の話を聞きながら朱美は頭の中で想像と疑問を巡らす。

「ああ、その後にその後輩が言ったのは……」
「うん」

「『坂本先輩! ……私の宇宙になってください!!』って」

(なっ!? 美術部員ってやっぱりセンス独特!!)

「……」

 リアクションの取り方が分からない朱美は言葉を失う。

「朱美、聞いてるか?」
「あ、うん、ごめん。何か、想像と違ったからびっくりした」
「だろ?」

「で、それを言われた颯太は何て答えたの?」
「『あの、ごめんない。俺、君の宇宙にはなれないです。だって人間だから』って答えた」

……バンッ!!

 先ほどより強めの威力で朱美の鞄が颯太の背中に炸裂する。

「痛って! 何ではたくんだよ! しかも先より強いし!」
「もう、颯太のバカっ!」

――朱美の回想による話が終わる。

「……坂本君」
「……坂本颯太、なかなかの男ね。一筋縄ではいかないみたい」

「颯太ってほんと、女心とか分かってないんだよねー。私、『だって人間だから』はちょっと頭に来て思わず鞄ではたいちゃった。シンプルに『ごめんなさい……』だけなら私も許せたんだけど」

「まぁ中学生の内から男子全員が女心に精通してても逆に困るし。坂本君はまだまだ発展途上でこれから成長させる見込みが残ってる……とでも思っておきましょう。あ、村上さんもうまい棒食べる? どうぞ」

 朱美は玲奈のポケットから出てきたうまい棒を受け取る。

「ありがと、玲奈ちゃん」
「でも、今は坂本君に彼女が居ない事が分かって良かったわね、蒼」
「う、うん……」

 蒼は嬉しそうに、少し赤いはにかみの笑顔を下に向ける。

(蒼ちゃん、本当に可愛いなぁ。外見から想像できないけど中身はとっても純粋で良い子なんだ)

「という訳で村上さん、最後に蒼からお願いがあるから聞いて」

 玲奈は机の下で、トントンッっと蒼の足をスカート越しに軽く叩いて蒼を促す。

(えっ、玲奈っ!?)

 突然のフリに少し戸惑った蒼だったが、大きく深呼吸をして朱美を真っすぐに見て言った。

「あのね朱美ちゃん、今までの話で大体わかると思うけど」
「うん」

「坂本君をっ! 私に紹介して下さい! で! まずはお友達になれるように協力して欲しいの!!」

 蒼の言葉を聞き遂げると、玲奈はその勇気を称えるようにスカートの上にあった蒼の手を優しく握った。満足げな笑顔を浮かべた玲奈と、不安そうに上目遣いで見る蒼が朱美の返答を待つ。

(……颯太の事、こんな風に想ってくれてる人が居たなんて何だか嬉しいな。しかもこんなに可愛くて純粋な蒼ちゃんがっ。どうしよう? ……なんて迷う必要ないよね。うん、決まった! 私、蒼ちゃんを応援する!!)

 朱美も真っすぐに蒼を見て答える。

「分かったよ蒼ちゃん。私、協力する! 颯太が蒼ちゃんの事を想ってくれるようになるか? までは保証できないけど……」

「うん、それは勿論だよ! そこは私の問題だから! ……ありがとう! 朱美ちゃん!! ありがとう!!」

「良かったわね蒼! 村上さん、ありがとう! 私からもお礼を言うわ!」

「それにしても、颯太にこんな可愛い蒼ちゃんは勿体ない気がするなー。もし颯太が蒼ちゃんの事を何とも思わなかったら、私、颯太をぶっ飛ばしちゃうから!」

「あははっ、朱美ちゃんありがとう! やったー! 朱美ちゃんに相談してよかった! 坂本君と幼馴染の朱美ちゃんが協力してくれるなら百人力だよ!!」

 こうして朱美は、颯太の事をずっと気にかけてきた蒼の恋を応援する……という約束を交わす事になった。

――その日の深夜。

 蒼はベッドの上で、大きな枕を両手で強く抱きしめながら今日の会話を興奮気味に思い出していた。

(これから坂本君と友達になれる!? ああっ、今日は何て良い日だろう!)

 蒼がこれから颯太との距離が近づく事を想像し興奮していると携帯が鳴った。玲奈からのメッセージだ。

……ピコーン。

「蒼、まだ起きてる?」
「うん、起きてるよ」

「蒼は本当に分かりやすいわね。どうせ坂本君の事でも考えて興奮してたんでしょ?」
「さすが玲奈だね、私の事、よく分かってる」

……グッド! と指を立てるアイコン。

「嬉しいのは分かるけど、早く寝なさいよ。夜更かしは美容の敵よ」
「それは分かってる。でもやっぱりドキドキしちゃって」

「そんな事を言っても、明日からは坂本君に会ったら普通に挨拶したりできるかもしれないでしょ? その時に寝不足で目の下がクマだらけだったらどうするのよ?」
「あっ」

……ギクッ! と怯えるアイコン。

「分かったら今日はもう寝なさい」
「うん、ありがとう玲奈」

……スヤスヤと眠りにつくアイコン。

 おやすみのアイコンが玲奈から返された事を確認し、蒼は携帯の画面を閉じた。

(玲奈は本当に優しいな。いつも私の事を気遣ってくれて傍に居てくれて……それに朱美ちゃんも、嫌な顔しないで私に協力してくれた。高校に入学してすぐに坂本君と再会できて、朱美ちゃんとも出会う事ができて……こんなに嬉しい事に恵まれるなんて私は本当に幸せ者だな。玲奈、朱美ちゃん、坂本君……ありがとう)

 先ほどは強く抱きしめていた大きな枕を、今度は優しく抱きかかえて……蒼は眠りについた。

――同じ頃、朱美もベッドに横たわり天井を仰いでいた。

(まさか颯太があんなに可愛い蒼ちゃんの気を引いてたなんてね。本人が知ったらびっくりするだろうな……まぁでも、きっと颯太はそんな事は全く気付いてなかったんだろうけど。ふふっ、そんな所が颯太らしいな)

 恋に盛り上がる蒼とは対照的な飄々とした颯太の様子を想像すると、朱美は一人でニヤけてしまう。

(でももし蒼ちゃんと颯太が……もしもだよ? 付き合う事になったらどうなっちゃうんだろう? 颯太……今まで彼女なんて出来た事なかったし。女の子と二人でデートとか……うまくできるのかな? いきなりあんなに可愛い蒼ちゃんが彼女になって大丈夫かな?)

 朱美は蒼と颯太がうまくいった時の事を想像してみる。

……。

(あれ? なんだろう、この感じ? ……何か私、変だな)

 心にぽっかりと大きな穴が開いたような不思議な気分。何とも言えない虚無感に襲われる。朱美は深呼吸をしてもう一度、蒼と颯太がうまくいった時の事を想像してみる。

(えっと、颯太と蒼ちゃんがうまくいったとして、二人は恋人同士になって……映画とか見に行くのかな? 蒼ちゃん、ケーキ好きって言ってたから一緒にケーキ屋さんに行ったりするのかな……)

 様々なシチュエーションを想像してみるが、やはりその映像は途中でぱったりと止まってしまう。途中でデータが消失してしまった再生動画の様に……。

(あれっ? やっぱり何だか変だよ。二人が仲良くしてる所を想像してるだけなのに……この感じ……何だろう?)

 しばらく考えてみたが朱美に答えは分からなかった。心の中に生まれた疑問に答えを見つけられないまま、朱美は静かに目を閉じた。