「お帰りなさい。貴博から連絡があるなんて珍しいわね」
 上がり框の上からこちらを見下ろした貴博さんの母、文乃(ふみの)さんは、息子だけに視線を向けてそう告げた。隣に立つ私の存在はほとんど無視されている。
 篠目社長の妻でもある彼女は、白のブラウスの上に一枚薄手のニットを羽織り、紺のタイトなスカートを穿いた、線の細い人である。色白の肌もゆったりと結い上げた髪も、上品なご婦人の代名詞のようだが、その優雅さを封殺するほどの圧が漂っていた。
「初めまして、越智深雪と申します。本日はお招きいただき――」
 鋭い一瞥を向けられ、言葉に詰まった。お招きなどしていない、と釘を刺された気分になる。用意した手土産をこの場で渡すべきか否かともたもたしていると、貴博さんが私の手ごと紙袋を握って前に突き出した。
「ほら。二人ともいつまで見つめ合ってんだ」
 張り詰めた空気をぶち壊し、彼がさっさと上がり込む。そしてまだ気後れしている私の方へ振り向いて、ついてこいと視線を送る。
 こうして私は、招かれざる客のまま篠目家に足を踏み入れることとなった。
 貴博さんの実家を訪ねる予定を突き付けられたのは、彼と抱き合ったわずか二日後のことである。家族に紹介する、善は急げだとさっさと日取りを決められてしまった。