「無理に答えなくてもいいですよ。演劇なんて匿名でも何でもできますから」
「深雪さん?」
 スカウトの経緯を知らない彼女が首を傾げる。が、そちらに構っている余裕はない。
「クレジットも役名の『ヒロ』でどうかと思っていたんです。名前が貴博ならちょうどいいかもしれません」
「……クレジット?」
「パンフレットやチラシに載せる名前です。言うほど仰々しいものじゃないけど、芸名みたいな感じです」
「ああ、なるほど」
 納得して頷く彼は、まんざらでもなさそうに見えた。やはりこの男、初めから舞台に興味があったのでは――。
「深雪、ヒロくんスカウトしたんだって?」
 またしても背後から声がした。振り返れば、我が劇団の事実上の代表が立っている。
「どうも、三井(みつい)勇也(ゆうや)です。主に舞台監督やってます」
「まだスタッフの説明はしてないです」
「じゃあ、事務方の雑用係だと思ってくれればいいですよ」
 ニコッと愛想の良い笑顔は、名うての俳優も顔負けだった。
 勇也さんは私を劇団カフェオレに誘ってくれた大学の先輩である。役者としては「街を歩けば必ず似た顔が見つかる十人並みの容姿」を完全に己の武器とした、名バイプレイヤーと言えるだろう。
 彼もまた遠慮なく貴博さんの顔を覗き込むと、ある意味で奈央子よりも容赦ない言葉を浴びせた。